2021年8月27日金曜日

病理の話(570) 悪人を生んだ時代と環境の責任について

体のあちこちにある細胞は、常に新しく生まれて入れ替わっている。

ほとんどの場合、新たに生まれてくる細胞はそれまでそこにいた細胞とまったく同じ性質を持つ。だから、細胞が入れ替わっても臓器のはたらきは変わらずに保たれる。


「イオンの専門店街にショップがたくさんある。ショップでバイトする店員は数年ごとに入れ替わっていくが、仕入れる商品の傾向が変わるわけではないし、陳列スタイルも変わらないので、店としての雰囲気は保たれ続ける」という感じだ。店員が入れ替わっても、引き継ぎがきちんとできていればショップとしては問題ないのである。


この店員の入れ替わり=細胞の新陳代謝が、あるとき乱れて、「異常な悪人」がそこにのさばるようになると、「がん」と呼ばれる。


がんは細胞の中に多くのエラーを抱えており、放っておくと無限に細胞分裂して徒党を組む。「ほどよく働いてから去る」という新陳代謝に従わないので、いつまでも居座るし、正常の機能を果たさないし、周りをぶち壊す。


この、がんの「原因」とは何か?

世間で有名なのは「たばこ」とか「放射線」あたりだろう。しかし、がんの原因はひとつふたつと数えられるほど少なくない。がんとは、「チンピラがヤクザ化して、たくさんそこにのさばった状態」であるが、これにはとてもたくさんの達成条件があるからだ。


先ほどの例え話で言うと、イオンのショップで、あきらかに反社会的勢力とのつながりを感じさせるようなチンピラが雇われることはまずない。ちょっとおかしいな、という人が面接に来たら、まずそのショップの店長は雇わない。これは人体においては「免疫」のはたらきに相当する。それぞれの臓器には常駐する免疫細胞がいて、生まれてきた細胞にエラーがあるとその場で反応して壊してしまう。毎日数百万の細胞が新たに生まれている人体で、がんが出てくるのが「数十年に一度」という低頻度にとどまる理由は、「がん細胞が爆誕してもそのつど免疫担当細胞がそいつを倒しているから」というのが大きいと言われている。ショップはそれぞれいい面接をしているのだ。


仮に、ショップの面接をすり抜けて、ショップで働きはじめたとしても、チンピラとしての化けの皮が剥がれると、客やほかのスタッフに見とがめられてクビになる。いったん生まれて増え始めたがんも、体内の別の免疫によって遅れて退治されると言われている。人体の中には、警備員や警察的な存在がいっぱいある。十重二十重の防御機構がある。


さて、たとえば「たばこ」というのは、体内の非常に多くの細胞にいっぺんに多くのエラーをもたらす力を持っている。すでに存在する細胞にエラーを起こすとけっこうな問題で、たとえば肺というショップの人員が不足して「肺気腫」という病気になると、呼吸は非常に苦しくなり生命にかかわる。しかし、それだけでなく、「生まれたばかりの細胞」……つまり前途ある若者にもエラーを抱えさせるというやっかいなやつだ。若いときからエラーを抱えると、そいつは将来がんになることがある。

たとえるならば、「テレビですごく教育に悪い、暴力的な特番を何日も何日も続けて流していると、それを見た子どもの中から『犯罪やってみようかな』という若者が育ってしまう」というイメージだ。

ただし、「暴力的な特番を見れば必ず若者がチンピラになってそのうちヤクザになって徒党を組む」かというと、そういうわけではない

だってショップの面接は相変わらず機能している。そもそも悪いテレビを見て悪人になるというのは確率問題ではあるけれど、「絶対」なんてことないだろう。

はっきり言うが、喫煙者にがんが発生したからといって、その原因が「たばこだけ」とは言えない。たばこによってエラーを抱えた細胞がいても、ショップの面接が正常に機能していれば、たいていのチンピラは面接で落とされる。



こうして考えると、がんというのは、「環境にも原因があり、本人(細胞自体)にも原因があり、それらが運悪く積み重なって、折り重なって、ぽっと出てきてしまう」のだということがわかる。原因は常に複数あり、メカニズムもいつも複雑なのだ。







あるイオンのある街の治安が悪化している。宇宙人が襲来して街にビームをあびせかけ、あちこちに穴をあけてしまったからだ(ひどい)。


(※まさかそんな、いきなりエイリアンかよ……と思う人もいるだろうか? でも、たとえばたばこというのは人体にそれくらいの攻撃をするので、イオンの例えを使うならこれくらいしても間違ってはいない。)


イオンのショップも歯抜けになってしまった。店員も実家に帰ったり家族の手当てをしたりして、常勤の店長がいるショップといないショップがあるようだ。どことなく、バイトの店員を雇うシステムも適当になっている。


テレビでは毎日へんな番組をやっている。陰謀論うずまく黒いノンフィクションがひたすら放送され、ただでさえ暗い気持ちにストレスが蓄積していく。


こうしていつしかイオンの中にチンピラやヤクザが棲み着く。これが、「複数の原因が積み重なりまくってがんになった」という状態。


しかし、逆に、こういうパターンもある。


街はとてもきれいだ。ゴミ一つ落ちていない。人びともみんないい笑顔をしている。警察も十分に機能している。


ただし、ある日、イオンのショップで、たまたま、偶然、うっかり、店長がシフト調整をまちがって、バイト面接をあまりよくわかっていない若手社員にやらせてしまい、ひとりのチンピラを雇ってしまった。


そのチンピラは目立った悪さをすると通報されるというのがわかっていたから、おとなしい顔をして、一般人のふりをして、毎日それなりにまじめに働きながら、機会をうかがう。


数年以上の時を経て、警備員とも顔なじみになったところで、少しずつ仲間を増やす。次第にそのショップの店員に対するチンピラの割合が多くなっているが、まわりはなかなか気づかない。


このチンピラは子どものころ、別にへんな番組など何も見ていなかった。おかあさんといっしょやちびまる子ちゃんを普通に見てすごした。しかし、なんか、たまたま、悪い心に育ってしまった。


不運が重なった。街中のあらゆるショップでは善良な人びとが入れ替わりながら街を維持していたのだけれど、たまたま、偶然、イオンの中のあるひとつのショップだけで、チンピラがヤクザとなって、周りの店を壊す準備をはじめようとしていた……。



こういうタイプのがんもある。ていうか、こっちのほうが多いのではないかと思うくらいだ。なにせ、体の中には、37兆とも60兆とも言われる数の人が……いや、細胞が住んでいるのだから。地球の人口よりはるかに多いのだから。不運が重なることは、あるものだ。