2021年12月9日木曜日

病理の話(605) 論文が掲載拒否されたときの話

ある論文を投稿し、掲載拒否(リジェクト:reject)された。よく言う話だが医学論文は投稿しても5割とか7割といった割合で掲載を拒否される。これにはさまざまな理由があるが、端的に言うと、


A)論文のできがわるい

B)単にその雑誌との相性がわるい


のどちらかである。同じ内容のままで投稿先を変えるとすんなり受理(アクセプト:accept)されることもあるので、一般的には(B)のほうが多い。


さて、今回のぼくの論文であるが、(A)とも(B)とも言えた。雑誌を変えればすぐにアクセプトされる気もする一方、やはり(A)の問題が少し気になっている。


当たり前だが投稿するときには「この論理は筋道が通っている」と思って執筆している。しかし今回の論文については、途中、数多くの専門家たちの意見を聞いて、内容をどんどん付け足し、あるいは変更していったために、最終的には結論がけっこう突飛なものになっていた。「これが本当ならばすごいことだ、本当ならばね。」みたいな感想をもらっても無理もないのである。はたして、論文リジェクトの際のコメントを読むと、


「この症例はおもしろいね。でもこの名付け方は違うんじゃないか」


のような、ぼくが最初の論文でそうとは書いていなかったんだけど直しているうちにだんだんそういう表現になった、みたいなところを的確につっこまれていて、「うっ、『(A)み』があるな」という気持ちになった。


では次にどうするか。これも医学研究の世界ではよくやられていることなのだけれど、論文をちょいと手直ししてすぐに別の雑誌に投稿する。ただし今回に関しては、ぼくは「ちょいと手直し」じゃなくて大幅に手直ししてもよいかもな、というのを考えている。今回は雑誌の形式にあわせて「文字数制限」を厳しくかけて、そのせいでニュアンスがそぎ落とされた部分もあったので、今度はもう少し長文を載せてくれる雑誌を選んで、そこで丁寧に解説を増やして勝負したほうがいいのではないかと思うのだ。この作業には早くても2週間はかかるだろう。こうして論文投稿は数ヶ月の単位にわたる長い仕事となる。


これから論文を手直ししていくにあたっては、「共著者」全員にいろいろ確認していかないといけない。ひとつの論文にさまざまな協力者がいる(今回のぼくの論文にも10人の名前が書き連ねてある)ので、そういう人たちを差し置いてぼくだけの意見で論文の内容を入れ替えてしまってはいけない。昔の医学論文のように、たいして貢献していないのに同じラボだからというだけで名前を載せるようなことは今はまずあり得ない。名前が載っているからには働いてもらうし、名前が載っているからには全体の進行に納得していてもらわないといけない。


あと、細かいけれども、今回リジェクトされた雑誌はイギリス英語を推奨しており、次に投稿する雑誌はアメリカ英語で書くよう求められているので、英語を見直さないといけない。有名なところでは腫瘍という単語があり、tumour(英)をtumor(米)に直す、みたいな感じだ(※なお今回のぼくの論文に腫瘍は出てこないのだけれど)。言い回しなんかも微妙に違う(らしい)ので、ネイティブ・スピーカーに見てもらって、「英語を米語に直す」。こういう細かい作業にお金と時間が少しずつ消費されていく。やれやれがんばらないと。