年内締め切りの原稿書き仕事は、もうない。レジデントノートの連載は5月号の分まで書き終えた。論文も先日ひとつ投稿して、今は次の論文の準備をしている。こちらにはまだしばらく準備に時間をかけなければいけないが、今回は前回ほど急ぐものでもないので、ま、ゆっくりやろうと思っている。
ヨンデル選書のnoteやこのブログは、仕事ではないし、負担でもないので、このまま年末まで書き続けていくとして。
「ゲラ」が、あとひとつ残っている。この記事がアップロードされるころには、すっかり手入れを終えて出版社に返送しているか、あるいはちょうど最後の手入れをしているころではないかと思う。
ふと思い出した。かつて、ぼくの名前が入った雑誌記事や本がはじめて出たころ、「ゲラ」や「赤字校正」の意味がわからず難儀したことを。
ゲラとは、ぼくがパソコンで書いた原稿を、実際の本のデザインに似た感じで、きちんと文字組みして印刷したものである。「本番リハーサル印刷物」みたいなイメージだ。このリハーサル印刷物は、けっこう手直しが許されている。著者はゲラを見て、「ここには誤字があるな」とか、「ここの表現が少し硬いな」とか、「この写真は位置がずれているな」みたいなことをチェックして、本格的に印刷されるまでに調整をかけていく。ゲラの取扱いに関しては、独特の決まり事も多い。
そんな「ゲラ」は明らかに出版業界の専門用語だが、紙媒体の原稿未経験だったころのぼくに、最初から用語の説明は一切なされなかった。それまで、ありとあらゆる相談に優しく乗ってくれて、細やかに説明をしてくれていた編集者たち(複数)が、「ゲラの手入れ」に関しては全員ノー説明だったので、けっこうびっくりした。ありとあらゆる版元の編集者が、なぜか「ゲラ」の説明だけはしない。書く仕事をはじめて2年くらい経ったときにそれに気づいて笑ってしまった。
たとえば、ぼくは徹頭徹尾マイクロソフト・ワードで原稿を作っているのに、「ゲラの直し」のときはいきなり印刷物に赤ペンを入れることになった。えっ、そういうものなの、だってこれパソコンでやったほうが早いじゃん、と思ったので、あるとき、「これってパソコンで直せないんですか?」とたずねたら、なんとあっさりパソコンでいいですと言われて、それ以来PDFが送られてくるようになった。
あるいは、このゲラというのは、どれくらい手直しが許されるのか、ということに関する説明もなかった。誤字脱字のチェックだけして返せばいいのか、それとも全体的にもっさりとした雰囲気を調整するくらいのことをしてもいいのか。ぼくは小説を書いていたわけではなかったので、幸い、「ストーリーを変えてもいいか」と悩むことはなかったけれど。
複数の版元と付き合うにつれて、ゲラの形態が紙の印刷物か、PDか、Dropboxでの共有がいいのかメールがいいのか、何度まで修正が許されるかなどのバリエーションがけっこうあるということがわかってきた。しかし、とにかく共通して、「ゲラのことだけは教えてくれない」のがおもしろかった。
さらに。「ゲラの直し方」をググると、「ゲラゲラ笑うタイプのリアクションを治すにはどうしたらいいですか」というQ&Aが見つかるばかりで、いわゆるゲラの手入れ方法についてまとめたページというのはなかなか見つからない。なんと、編集者だけではなく、インターネットすらも、ゲラの扱い方に関しては教えてくれないのであった。
そんなぼくも今はゲラに対する「わからなさ」はだいぶなくなったが、不思議なことに、「ゲラのことを全く知らない人」にどうやって手入れの方法などを教えたらいいかはよくわかっていない。ああ、ぼくも編集者たちと同じだ。ゲラの直し方だけはわからない。ゲラの直し方だけは教えられない。ゲラの手直しというのは、声に出したり文章に出して伝授することが難しい、秘匿された技術だ。だから数多の編集者たちも、ぼくにゲラのことを教えることができなかったのだ。ゲラは神秘。ゲラは秘宝。ゲラの秘密を漏らしてはならない。