2021年12月2日木曜日

AIの寿命の話

早朝や夜中、つまりは時間外。まわりから話しかけられたり電話がかかってきたりすることがないのを良いことに、仕事のかたわらよく音楽を聴いていた。オルタナ、エモコア、インストゥルメンタル。懐ゲー(※懐かしいゲーム)のBGMや、Lo-fi hiphopを聴くことも多かった。

では音楽にじっくりとひたりながら仕事をしているのかというと、どうもそういうわけでもなかった。高度の集中を要する仕事の最中は、「音楽が鼓膜の手前で引き返すような感覚」に入る。つまりは耳の外で何かが振動していることだけはわかるのだけれど、その音楽の記憶が飛ぶのである。気づいたら好きなアルバムの好きな曲が終わっていた、みたいなこともよくあった。

ところが最近そういうのがぜんぜんできなくなった。音楽を聴きながら何かをすることがすごくつらくなってきたのである。半年ほど前に、偉い人から突然舞い込んだメールの返事を書こうとして、「音楽聴いてる場合じゃねえ!」と思ってイヤホンを耳からはずしたとき、あれ、俺って前はメールの返事も音楽聴きながら書いてたんじゃなかったっけ……と気づいて驚いた。

実際、ぼくがはじめて書いた一般書である『いち病理医の「リアル」』の中には、イヤホンを片耳に入れてバックグラウンドで小さく音を鳴らしながら仕事をしているので、メールの着信があったときにそれにすぐ気づいて、すばやく返事をする、みたいなくだりがある。でも43歳になってこれができなくなった。




なんとなく連想したのは、「Windows update」であった。パソコンのOSはしょっちゅうアップデートをするが、たまに大きな更新があり、デスクトップのデザインまで変わることがある。Microsoftはすぐに「これからはもっと便利に!」みたいなことを言うのだけれど、そして実際、Windowsは年々便利に進化しているのだけれど、更新が終わって再起動を2回ほどかけると、それまでふつうに動いていたはずのメモリがなぜか足りなくなり、挙動が不安定になったり、動きが遅くなったり、ソフトウェア(アプリ)を同時に立ち上げるのがつらくなったりする。

これを思い出した。つまり、ぼくはupdateによってメモリを食うようになってしまったのではないか、と思った。今のぼくが以前のぼくより衰えたとはあまり思わない、むしろ、仕事にしてもプライベートにしても、できることの幅を少しずつ地道に広げてきて今があるとは思っているのだけれど、ここに至るまでに脳内では膨大な量の並行処理が更新され続けていて、「音楽を聴きながら概念を扱う」ために必要な脳内メモリが不足しはじめたように感じる。

このメモリばかりは増設するわけにもいかない。




大好きなマンガ『空に参る』の中で、AIロボット的な存在であるリンジンに「判断摩擦限界」というものが設定されていたことにとても感動した。外環境の情報を取り入れて学習をくり返していくうち、AIの判断の挙動が遅くなる、それが一定より遅くなると人との関わりが困難になり、いわゆる「AIの寿命を迎える」。この設定にぼくはのけぞって感動した。遠い将来、ドラえもんのような人工知能が開発されたとして、きっと「持ち主・飼い主」が寿命を迎えたあともドラえもんは生き残らなければいけない、その本質的なさみしさにオールド・マンガファンは密かに涙していたはずなのだけれど、冷静に考えて、Windows updateのように、電子の知能は更新をくり返して複雑性が増すと急激に使いづらくなっていくものなのだ。つまりAIにも寿命がある。過適応みたいな状態になってハングアップするのだ。それはきっとAIにとっての「痴呆」のような、あるいは「超越した仙人」のような、もしくは「仏」のような状態なのではないかと思う。もし将来のAIに意思が発生するとしたら、そのときAIたちは、自らの脳に寿命を設定して定期的にフォーマットするか、もしくは情報のアップデートをやめてそこまでの知識で生き続けるか、あるいは第三のまだ想像もつかないなにか、を選ぶことになるのではないか。ぼくは仕事をしながら音楽を聴けなくなった。AI、君にもいずれこの感覚がわかる日がくる。