その病理診断は、とても難しかった。
まず「依頼書」に書いてある内容が複雑である。レアな主訴(患者自身のうったえ)、特筆すべきことの見出せない血液検査データ。CTやMRIを得意としている放射線科医が、読影レポートに「腫瘍だと思うが、腫瘍ではないかもしれない」なんてことを書いている。つまりは何も言えていないのと同じではないか。
複数の医師が困惑している。となれば、病理医にとっても、間違いなく難しい病気だろう。
「いかにも難しそうなオーラ」がビンビンに感じられる中、おずおずとプレパラートを見る。
……なんっにもわからない! 心のそこからびっくりしてしまった。いやいや、「ひとっつもわからない」なんて、ここ何年もなかったぞ。
こう見えてもぼくは医師生活もうすぐ18年目。若手と名乗ってはいけないレベルだ。しかも、診断してきた量もおそらく一般的な病理医と同じかそれ以上である。ぼくの勤める札幌厚生病院は、少なくとも北海道の中ではトップクラスの病理診断数を誇る。単純な「場数」についてはぼくはそれはもう、かなり積んできている。さらには各種の学会や研究会、ウェブの勉強会などにもまじめに出席し、「希少がん講習会」のようなものにもコツコツ参加して勉強はしている。
それでも、ぜんっぜんわからない。場数が通用しないのだ。ほとほと参った。
病気というのは本当に、信じられないくらいの種類がある。細胞の示す姿も10とか100といったオーダーではなく、1000でも足りないくらいのパターンがありうる。でも、それでも、その「たくさん」を全部みることが、ぼくら病理医に求められた仕事だ。
人間の体の中には、とにかくたくさん臓器がある。脳、目、気道、口腔、咽頭・喉頭、唾液腺、耳、皮膚、甲状腺……こうして頭の上から順番に数え上げていっても、クビのあたりでもうやめたくなったし、読んでいるあなただって読み飛ばしてしまうだろう。この下にまだまだものすごい数の臓器があり、その臓器ごとに固有の病気がある。そんなこと、わかっている。だからちゃんと勉強するんだ。
そこまでわかっていて、歯が立たないのだからがっくりする。
しょせん、ちっぽけな一個人にすぎないぼくが、10年がんばろうが、20年がんばろうが、「見たことがない病気」はあるし、どうやっても太刀打ちできないこともある……。
……と、ここであきらめたら患者は途方にくれるだろう。だからぼくは、「あっ、歯が立たない」と思ったら、すぐに「ほかのプロ」に頼る。
病理医の世界にはとんでもないエキスパートがうようよいる。ほとんど無限ともいえるくらいに細分化した病気の、すべてに精通した病理医というのはさすがに「ほとんど」いないのだけれど、「ある臓器については超詳しい」みたいな人なら複数いる。
「あっ、これはぼくの手に負えないかもしれない」と思った瞬間に、その分野のエキスパートへの「コンサルテーション」の準備をする。躊躇してはいけない。だらだら時間をかけてはいけない。
まずい、と思ったらすぐにメールをする。メールの相手は日本病理学会であったり、個人的に存じ上げている一流コンサルタントその人であったり、いろいろだ。臨床医からもらった情報をなるべく早く、読みやすい状態にまとめ、患者名をマスクした特殊なプレパラートを作成し、「相談」するための体制を爆速で整える。
返事がきたらすぐに、エキスパートあてにプレパラートを送る。もしそのエキスパートが、たまたまぼくの住んでいる札幌にいる人ならば、向こうの指示にしたがって、日中だろうが夜中だろうが、相手の指定した時間に万難を排してかけつけることも辞さない。とにかく最短で診断に近づくためのあらゆる努力をする……。
ただし。
「まずい、と思ったらすぐにメールをする」とは書いたが、実際には、「ぼくが本気で、細胞をしっかり見て、悩みに悩んだ経験」がないと、うまくいかない。ちょっと見て難しいなと思ってすぐ相談、では、相談の切れ味があがらないのだ。ここにはさじ加減がある。
ろくにプレパラートを見もしないで、「この分野は難しいから最初からプロに聞こう」だと、相談はうまくいかない。なぜ、と言われると難しいのだけれど、感覚でいうと、「患者に対して真剣に向き合ったことがないと、患者にまつわる細やかな情報をとりこぼすので、誰かに相談しようにも相談するための情報がとりきれない」というかんじである。
わかる?
「これはぼくの手には負えない」と判断するのは、早ければ早いほどいい。
でも、「これはどうせぼくの手には負えないだろう」と、早めに見限ったりさぼったりすると、それはそれで、うまくいかない。
というわけでこのときのぼくは、まず、徹夜をした。一晩考えたのである。日にちはかけられないが徹夜すれば12時間くらい考えて調べることができる。
そして翌朝にはコンサルテーションの準備をした。考えられる可能性をすべてつぶして、それでもわからない、ぼくには診断ができない、と思ってはじめて、あるプロの手を借りることにした。そのプロはたまたま札幌に住んでいたから、朝、メールを送った。すると「昼に来てください」と言われた。なんて仕事の早い、そして話の早い人なんだ。ぼくはただちにその日の仕事をぜんぶ調整して、自分の車でその人の勤める場所にかけつける。満を持してプレパラートを診てもらう。
そしたら、なんと、3秒だ。
たった3秒で、
「これはあれだね。あのめずらしいやつ。A病だと思うよ」
度肝を抜かれた。プロすぎるだろう。なんてすごいんだ!
そこから4日かけて、さまざまな追加検査を行った。そのプロの言ったとおりの診断にたどりついた。
エキスパートってすげえ。病理診断って奥が深ぇ。全身が総毛立つくらいに興奮しながら、ぼくはとりあえず、自分が最低限の「現場の病理医としての義務」をはたせたことに安心した。自分ひとりでは診断にたどりつけなかったけど、少なくともこのプロに相談しようと決めることができた、そのことをまずはほめよう。
そして、これからもまた努力して成長しよう。自分ひとりで診断できなかった事実は消えないのだから。またゴリゴリ勉強する日々に戻る。そうやってずうっとやってきている。しんどいけれど、しんどいだけじゃない。