仕事場のPCの横に、無節操にキーホルダーをぶら下げている場所がある。近江神宮のお守りはいつかのクラウドファンディングでもらったやつだ。実際に行ったことがない神社のお守りが一番目立つところに飾られているというのもなかなかキワい光景である。その裏にケロリン(銭湯の桶のあれ)、丸山動物園のWe ♥ Polar Bearグッズ、宮古島のまもる君、マリオのコイン、奈良の鹿、稚内の鈴、さるぼぼ、ヒグマキティ、USJの蜘蛛、モンゴルの馬などがぶらさがっている。動物が多いなあ、無意識に動物を集めていたのか、と思うけれどUSJの蜘蛛は動物というよりは人間なので(※スパイダーマン)、一般化するにはちょっと無理がある。まもる君は動物ではなくあれは……えー……人形だ。
ほか、デスクの周りを見直すと、幡野さんの写真(額装、2枚)、ROROICHIさんのボールペン画、おかざき真里先生のイラストのジークレーなどがあって、幡野さんの写真のうち1枚をのぞけばほかはきちんとお金を払って手に入れたものである(1枚は幡野さんからもらった)。
自分の家に、何かを買って飾ることはない。しかし、職場は相変わらず「こう」。こっちがぼくの本来のやり方なのかもしれないなとはよく感じるところである。
20年以上前、はじめて一人暮らしをしたとき、部屋の中に何を置こうかウキウキと雑貨屋を巡って歩いたことを昨日のように思い出す。自分に文脈の紐が結び付いていないようなヘンプ(大麻)模様のグッズやhighway 66のロードサイン、知らない風景の絵はがき、観葉植物……。そもそもこういうグッズは壁紙や天井のランプなどをすべて整えた上で配置してはじめてそれっぽく居場所を手に入れるものなので、単発で買っても「単発で買ったなあ」としか思えないからなかなか部屋になじまなかったし、引っ越しするたびに特に思い入れもなく捨て続けたのだけれど、なぜか今けっこう鮮明に思い出してしまう。ぼくが最初に大学のそばに借りた部屋は家賃なんと17000円、シャワーとトイレは共同で、共用の廊下には絨毯がしいてあり、部屋のドアには「親指で押し込むタイプのカギ(昔のトイレによくあったやつ)」しかついていなかった。8畳一間、木造2階建ての2階、冬に部屋に入ると下の住人の熱ですでに部屋が暖かい。そんな築50年の骨董アパート(ぼくはここをよく「木造平屋2階建て」と呼んでいた。平屋なのに2階建てはおかしいだろ、と言う人はみな、実際に部屋を見ると納得した)の中にコタツがひとつあり(灯油ヒーター1つでは容易に凍死できた)、それ以外には本当になにもない部屋で、前の住人たちが無尽蔵にあけた壁の穴のひとつを拝借して釘を差し込み(打たなくてよい)、そこにHighway 66を飾ったところで、高速道路どころか道道(※北海道の県道にあたるもの)すら騙ることはできないのだ。弱い子犬のマーキングであった。「滑稽にもがくこと」が一人でやっていくことだと勘違いしていたころの話である。
その後さまざまな部屋に住むたびに小物を捨てては買い換え、捨てては買い換えしていた。最後に一人暮らしをした部屋は家賃35000円だったと思う。ツイキャスをやったときに部屋の中に映っていた光景がぼくの居住空間の7割くらいであったのだから、学生時代から「住み方」の基本は変わっていない、あそこも相当狭かった。ただし、置くものについてはさすがにスレていた。壁際にどこかのリサイクルショップで買った「棚のついた姿見」を置いてはいたけれど、特にそこにオブジェが並ぶことはなく、冷蔵庫にはもうマグネットは貼っていなかったし、壁にもポスターの類いはなかった。すでにぼくの部屋にも、あるいはぼくの体そのものにも、かつて虚勢が析出して既存構造を破壊しながら浸潤し、そのまま固着して器質化していつのまにか個性となってしまったものがべっとりと沈着していて、いまさらショップで手持ちのコインの限りを注ぎ込んだぶかっこうなアクセサリーを買い求めてアバターをデコる必要などなくなっていた。その後、家族ができて引っ越ししたとき、ぼくの部屋には何もなくなった、というか、ぼくは部屋自体を持たなくなった。
そうやってぼくの周りはだんだんそぎ落とされていったのだが、「職場のデスク」だけはなぜか昔のままである。大学生のときから大学院の講座には自分のデスクがあり、そこもおそらく今と同じようにさまざまなクッズ(グッズではなくて雑貨の屑(くず)のこと)が並んでいたはずで、結局そういう部分だけが残ってしまった、瘢痕という言葉を思う。たくさん無くしてきたのにまだ残っている。エアグルーブのぬいぐるみはどこに行った? ブラッド・サースティ・ブッチャーズのコースターはどこに行った? 膨大なノイズが失われた先でまだ雑音を抱えている。そういう場所でぼくは今日も仕事をしている。