超音波検査をやっている技師さんがいっぱい参加する勉強会に、よく顔を出す。みんなで一緒に勉強をするのだ。
勉強会と言っても、塾に並んで座って教科書を読んだり問題集を解いたりするわけではない。社会人には社会人なりの勉強方法がある。
たとえばとある勉強会では、参加者が持ち回りでホストを勤める。ホスト役の人は、自分の職場で撮像した「超音波画像」をみんなに見せる。先月はA病院のBさんが画像を出しましたね、では今月はC病院のDさんに画像を出してもらいましょう、みたいな感じだ。
ホストは会の最初にこのように言う。
「○○歳男性、健康診断で肝臓に病変を指摘されました。精密検査の超音波画像を供覧(きょうらん)いたします。」
供覧という言葉はほかでなかなか見る機会がないが、要は、「これをみんなで見て考えようね!」ということである。
ホスト以外の出席者は、出された画像を見て考える。超音波検査技師さんたちは皆、日ごろは自分で超音波のプローブ(端触子)を手にして患者にあて、超音波画像を撮っているのだが、勉強会のときは他人が撮った画像を見て考えることになる。
そこで何を考えるか?
映し出されたものが何なのか。診断は何か。それを知るために、どうやって画像を撮ったらいいか。超音波検査は技師の実力によって見え方が変わってくることがあるので、勉強会に出て、上手な人の撮り方を真似するのはとても大事なことである。
出席者たちは次々に発言する。
「この肝臓の病変ですが、私は○○病だと思いました。」
でもこれだけで終わってはいけない。なぜ○○病だと思ったのか、それを、他人がわかるように説明しなければいけない。
画像を見て考えることを一般に「読影(どくえい)」という。レントゲンという「影絵」方式の画像検査があることから、画像を見て考えることを「影を読む」と呼ぶ。超音波検査は超音波を反射させる検査だし、MRIは磁気をあててスピンの変化を見ているので、正確には影を読む検査ではないのだけれど、慣習的にすべて「読影」という言葉を用いる。
そして、勉強会では、読影する際には「根拠」を述べなければいけない。○○病だと思ったから○○病なのです、では通じないのである。個人の頭の中でだけ完結するストーリーで画像診断をしてはいけない。勉強会のキモがここにある。
「なぜ○○病だと思ったのですか?」
「病変のふちの部分がギザギザとしているから、周りにしみ込んでいる(浸潤している)のではないかと推測し、それならば『がん』であろうと考えました」
「病変内部の模様がわりと均質で、ムラがないので、全体が一様な成分から構成されているだろうと考え、それならば『がんではなく良性よりの病変』ではないかと考えました」
読影の根拠をぶつけ合う。参加者がもし、「もう少し違う写真も見て根拠を探したいな……」と思ったら、次の超音波検査の際に、「他人が見ても考えが進めやすい画像の写真を撮ろう!」という気持ちにつながっていくだろう。こうして、他人の撮った画像を見ながら診断を考えて、勉強する。
なおぼくの役割は、最後のほうで出てきて、手術で採取されてきた病気の正体を「病理学的に」あばきだし、超音波画像でなぜ「あのように」見えたのかを解説する役目である。「ホストを除けば一人だけ回答をしっている男」みたいな立場になることが多い。でもそればかりだとつまらないので、ときどき、病理診断をあらかじめ教えてもらわずに、みんなと一緒に超音波画像を見て考えるようにしている。こういうのもいずれ病理診断の役に立つ。