2021年12月15日水曜日

病理の話(607) つれづれなるままに勉強の話

今日はいつも以上にぼんやりとした結論に向かって書き始めるので、覚悟してください。つまりあなたは振り回されるかもしれないということだ。


「何を思って毎日病理学の勉強しているか」ということを書く。


はじめに書いておくとぼくは毎日勉強している。ぼくのやっている病理医という仕事は、


・患者に会わず、治療も処置もしない代わりに、勉強をする


ことが求められているからだ。つまりは職務の一環である。


医療者というのは概して忙しい。多忙の理由は「マルチタスク」にある。職員ひとりが患者ひとりのために働くのではなく、常に5人、10人、ひどいときには1日100人といった規模の人びとのことを考えて動くのだから忙しいに決まっている。看護師をイメージすればわかりやすいだろう。たくさんの患者を相手にするときに、「流れ作業」的にこなしてしまうと一人一人のトラブルに目が行き届かなくなる。かといって、たった一人の患者にずっと向き合っていると病院という場所はうまく機能しない(病院に限った話ではないが)。

医者もこれといっしょで、外来にやってくる患者、たった今入院している患者、両方のことを考え、診断のこと、処置のこと、治療のこと、家族との面談のこと、複数のことをずっと考え続けている必要がある。だから忙しい。


でも病理医は診断と研究のことしか考えなくていい。なぜなら病理医は「勉強に特化することで誰よりも賢くなること」を求められた特殊な職業だからだ。治療をしなくていい、処置をしなくていい、看護をしなくていい、当直をしなくていい、外来で患者と話さなくていい、病棟の管理をしなくていい。その分、「勉強して診断のプロになること」を求められている。


つまりぼくらは勉強するためにほかの仕事を免除されている。そういう職種だ。


さて、本題に入る。勉強で何を学ぼうとしているか?


「世の中のできごとを雑学的に仕入れてくる」とか、「自分の興味があることを芋づる式に学んでいく」といったことのは趣味でやるべきことで、本職のためにはもう少し明確な目標を立てなくてはいけない。これらは何種類かにわけられる。


1.一緒に仕事をする臨床医の使う言葉を学ぶ

2.「最新の病気」を知って脳内の図鑑をアップデートする

3.病気の見極め方に関する知識を得る

4.病理診断報告書を書くときの「語彙」を増やす


だいたいこんなとこかな。それぞれ見ていこう。


「1.一緒に仕事をする臨床医の使う言葉を学ぶ」はとても大事だ。これをやっていない病理医は病院内での評判がどんどん下がっていく。医療の世界は毎日レベルアップしており、前の年にはなかった治療法がばんばん開発される。すると、病理医がみる臓器の「手術方法」とか、病理医がみている患者に「投薬されている薬」が変わる。これを知らなければ病理診断はできない。消化器内科医、呼吸器内科医、感染症内科医、肝臓内科医、血液内科医、さまざまな外科医、産婦人科医、泌尿器科医、耳鼻科医、皮膚科医、放射線科医……。それぞれの世界ごとに生み出され続ける最新情報を知る。


「2.最新の病気」を知るのは病理医にしかできない仕事である。医療者は、あたかも昆虫の新種を発見して命名するかのように、「この症状を呈する病気はひとまとまりにして考えよう」「このような患者にはこういう治療をすると効くぞ」みたいなことを日夜発見し続けている。病理医の大事な仕事のひとつが「患者に病名を付けること」なので、最新の分類を知っておかなければいけない。病院で勤める99.99%の人が知らない病名であっても病理医だけが知っていればそれでその病院はなんとかなる。そういうことがよく起こる。月に何度か、「この珍しい病名はどういう意味なんですか?」と、医療者から呼び出されて解説をすることがあるくらいだ。


「3.病気の見極め方に関する知識を得る」というのは、ざっくり言うと「顕微鏡で何が見えたらどの病気と診断するか」を知るのだ。ネコの種類を見極めるようなものである。マンチカンとアメリカンショートヘアとスフィンクス(すべてネコの種類だそうです)を見極めるには何に着目する? 耳? アゴ? しっぽ? 同じようなことを細胞診断においても行う。腺癌と扁平上皮癌の見極め方では核や細胞質、細胞どうしの配列をチェックすることが肝要だ、みたいに。付け加えて言えば、そのネコは今屋根に飛び移ろうとしているのか、これからご飯を食べようとしているのか、みたいなことも見抜くのが病理医の仕事だ。おなじがんという病気であっても、このまま一箇所に留まっているのか、もうすぐ転移しそうなのか、あるいはもう転移してしまっているのかを見分けないと適切な医療はできない。「病名を見極める」のに加えて「病気の挙動を予測する」のも細胞診断の大事な仕事である。病理医の部屋にある教科書の9割くらいは「細胞の何を見ると病気の何がわかるか」が書いてある。


「4.語彙を増やす」というのは少し特殊で、これをやらない病理医もけっこういる。病理医の仕事は、自分だけわかっていればいいというものではなく、主治医に伝わらなければ意味がない。「なぜこの細胞を見てこの病気だと思ったのか」が、主治医、さらには主治医を通じて患者に伝わらなければ、病理医が給料をもらって専任で働いている意義は失われる。したがって、診断をした「根拠」をわかりやすく書くために日本語の勉強をしなければいけないとぼくは思っている。とはいえ国語の教科書で勉強するとか小説を読むという意味ではない。病理の教科書や講習会などで、エキスパートたちが「どういう根拠で診断をするか」をきちんと日本語にしてくれているから、そういったものを「輸入」しながら自分なりの語彙を毎日増やしていく。複数の病理医同士で相談するのも大切なことである。ウェブカンファレンスによってこれらはすごく簡単になった。



こうして書き上げてみると、病理医に限らずあらゆる医療者、あるいはあらゆる職種の人が「同じようなこと」を勉強したほうがいいだろう、という当たり前のことに気づく。ただし、病理医は、この勉強を「絶対に毎日やるべき」である。なぜなら治療も処置も看護も当直もメンテナンスもしていないからだ。ほかの医療者がやっている仕事をすべて免除されている以上、ほかの医療者たちと同じくらいの勉強量では「サボっている」ことになるというのがぼくの考えだ。ほかの医療者たちの勉強量の10倍、20倍、あるいはもっと、100倍とか1000倍というオーダーで勉強をし続けることで、ようやく病理医はほかの人から、「あいつ雇っとくと、うちの病院にとってトクだよな」と思われるようになる。……逆にいえば、それくらい、病理医以外の医療者たちの仕事(治療、処置、看護、当直など)はたいへんで、尊いものなのである。ワークライフバランスという言葉があるけれど、ほんとうは、ワークライフスタディバランス。スタディしなくていいのはワークが大変な人だけだ。ワークを半分にしてもらっている分でスタディするのが病理医である。……まあ、「半分」にはなかなかならなくて、せいぜい五分の四くらいなんだけど。