2021年12月16日木曜日

ごくごく私的な相性の話

真っ正面からツイッターの話をする。ツイッターをやっていく上で、けっこうはっきりと「ルール」にしていることがある。それは、

「ぼくのことをフォローしていないし、ぼくからフォローもしていない人から、リプライが来ても返事をしない」

ということだ。

もちろん単なる自分ルールなので、めちゃくちゃ強い決め事というわけでもなくて、たまに返事をすることもあるのだけれど、経験的にあまりいいことは起こらない。



理由はシンプルである。「フォロー関係が一切ないにもかかわらず、いきなり会話をはじめようとする人は、人との距離のとりかたがおかしい気がするから」だ。……この場合、「おかしい」というのは完全にぼくの主観であって、「いや、別にそれは普通だよ」と思う人がいても一向にかまわない。でもこれはぼくのコミュニケーションの話なのでぼくの主観で語ってよい話だと思う。

喫茶店で一人で本を読んでいるときに、隣に座った人から「その本おもしろそうですね」と突然話しかけられたら、ぼくは返事をしたくない。そんな距離の詰め方をする人が隣に座っているのがいやで、すぐに席を立って店をあとにしてしまうだろう。これと同じことをツイッターにもあてはめている。



ただし、付け加えておくと、喫茶店でいきなり話しかけられたときに「つい返事をしてしまう雰囲気の人」というのも、確実に存在する。

具体的にどういう感じの人、とは言えない、性別とか年齢だけでは語れないニュアンスがある。話しかけること全般がだめ、とは思っていない。さらに、他人が他人に話しかけているのを見ても「やめろよ」とまでは思わない。

しかし、割合の問題として、一人で座っているときに話しかけてくるたいていの人は妙に攻撃的だったり、妙になれなれしかったり、どこか「へんだ」と感じることが多い。だから原則的には警戒してしまう。



この話には多数の例外があって、たとえば医学にかんするツイートをしたあとに、フォローしてもされてもいない人から「質問」があったらなんとなく答えてしまう。きっと困っているのだろうな、と思うからだ。しかし、これがまた本当にふしぎなことに、そうやって例外的に質問に答えたときに限って、途中から妙な距離の詰め方をされたり、あるいはよくわからない内容の会話にスライドしたり、ひどいときは中傷がはじまったりする。

これまでもここからもすべてぼくの主観なのだけれど、「誰かに話しかける」という行為に対して、「でもなあ、これまで絡みがない相手だからなあ」と、躊躇できない人と根本的に性格が合わないのだろう。すべての人に資質として持っていてほしいとか、これが世の中に必要な倫理だとは全くおもわない、単に、「ぼくとの相性」という切り口でのみ今日の話をしている。誰かとの距離を詰めるときに躊躇がない人とやりとりをして良かった記憶がない。完全にプライベートな話だ。しかし、一部の人にはわかってもらえるのではないかと思う。