以前、いまよりももっと体がナイーブだったころ、忙しくなると首や腰が痛くなっていた。一番苦しんだのは30代の前半である。最初は運動不足による「こり」なのだろうと思っていたのだが、ひどいときには手や指がびりびりしびれてくる。これは筋肉ではなく神経じゃないかと疑い、案の定、頚椎症と診断されてさもありなんと思った。これだと長時間のパソコン仕事はきついなあと感じた。
しかし、幸いなことに、神経内科医と相談して背骨との付き合い方を覚えていくにつれて、年単位で症状は少しずつおさまっていった。今では、昔と同じくらいのストレスをかけても首も腰も痛まないし、しびれも出ない。適切な姿勢で働くことがいかに大切なのかということだ。
正しい姿勢で長時間働けるようになった結果、仕事の量は着々と増えた。
そして近年は、仕事が忙しいときに限って腸の調子が悪くなるようになった。
野菜を欠かさず、過剰に糖質制限をかけることもなく、米もタンパクも食物繊維もきちんと同じように採っているのに、仕事の量に応じて腸が急降下していく。そういえば、小学生のころのぼくは今思い返してみると腹痛型の過敏性腸症候群だった。たまに夜にお腹が痛くなって、トイレの前でうずくまって寝ていた(ふとんに入ってもまたトイレに行きたくなるからトイレの前で寝ていたのだと思う)。あの頃と今では食べているものもタイミングも違うのに、腸の反応だけは似ている。トイレの前で寝っ転がることはなくなったが、心はときおりうずくまっている。
首と腰のトラブルを乗り切った結果、それだけストレスに耐えられるようになり、より高度の負荷を体にかけ続けたことで、今度は腸が耐えられる閾値を超えてしまった。なまじ地方予選で勝ち残ってしまったために、甲子園球場でボコられる、みたいなことだろうか。
高負荷の連鎖から降りる必要がある。もしくは、ストレスで体が反応するラインと戦わなくてもいいような働き方にシフトすべきなのだ。
ここで自分の体力と気力をたのみにして、今回の腸も乗り越えたぞ! とやれば、次にどこにトラブルが起こるかはだいたい想像がつく。「代謝」か「血管」だろう。そろそろこのあたりで引き返すことを考えておこう。
43歳の今、ぼくは、「まかせる」ことの難しさを思う。「自分でやったほうが早くて正確だ」というのはおそらく後付けされた理由であり、本質ではない。積み上げた専門知を用いて、自分だけ疲労することなく、周りを巻き込みながら大きな仕事をこなしていけばよい。体がそうしろと言っているし、社会もそうあれと願っている。
いくつになっても元気に働いている人たちは、自らを機械のパーツではなく、潤滑油のように使う。パーツは摩耗するが、潤滑油は摩耗することがない。若いころのぼくはパーツでいるしかなかったし、できるだけコアなパーツになろうと思ってがんばっていたけれど、きしみがひび割れにつながる前に、自分を社会のグリスとして用いるやりかたに変えていったほうがいいのだろうな、と思っている。