2021年12月24日金曜日

夢試験解答用紙

夢の話をする。寝ている時に見る夢の話だ。


ただし、夢の内容についての話ではない。


「さっき見たぼくの夢は、きっとこのようにして作られているのではないか」と、メカニズムをひとつ思い付いたのだ。



夢の中でぼくは学校の廊下のような病院の廊下を歩いていた。うしろでひそひそと声がしたので振り向くと、20メートルくらい向こうで、名前を忘れてしまった高校時代の同級生、背が高くひょろっとしていて髪の毛はほとんど坊主頭に近い、声が甲高く、遠くで会話をしていると彼の声がきわだって聞こえてくるような、そして高校3年間でおそらく数度しか会話をしていない、名前を忘れてしまった男が、ぼくの同僚と何かを話ながらぼくの方を見ている。同僚は病理検査技師だ。


なにか悪口を言われている、と思って彼のもとに歩み寄り、胸ぐらをつかんで、おい、何か言いたいことでもあるのか、とすごむ。このセリフは、ぼくが「なんとなくこのシーンではこういうことを言うのがしっくりきそうだ」という連想で、あたかも空欄にはめ込まれるように、一連のフレーズとして空間に浮かび上がってくる。一瞬、実際にしゃべっているように知覚するのだが、正確には「脳に響く、もしくは浮かび上がっている」ものであり、しかもそのセリフは、出所は思い出せないのだがおそらく「テレビやアニメなどで目にしたことのある、他人のセリフ」である。


ぼくはその男の名前がどうしても思い出せない。そうだ、「名札」がついているだろうと思って胸元をあらためて凝視する。そこには、いわゆる名札としては大きすぎるプレートが貼ってあり、「なんとなくこのワク内にはこういうことが貼ってありそうだ」という連想で、あたかも空欄にはめ込まれるように、顔写真と名前、プロフィール、一言コメントが浮かび上がってくる。顔写真はなぜか「カイジの横顔」のようなアニメ調で、名前のところはよく読めないのだが「ああ、そういうやつだよな」という印象だけが書いてある。たぶんそこを凝視し続ければ、その「印象」という名の空欄部分に、「なんとなくこのワク内にはこういう名前が貼ってあるだろう」というのが浮かび上がってきそうなのである。





目が覚めて、メガネをかけ、身支度をし、実家から送られてきた少しいいパンを切って焼かずにかぶりつき、ふとんをたたんでから着替え、妻と一言ふたこと今日の予定を確認して、家を出て、車に乗っている途中、ずっと考えていた。


ぼくの夢には空欄がある。夢の中で、自分が注目する場所は瞬間的に、試験問題の回答欄のように「何かをはめ込む準備」がされている。そこに、「たぶんこんなことがハマるだろう」というのを、脳が、あまり理屈をこね回すことなく適当に、形や雰囲気が合うものを生成してはめ込んでいく。そうやって、抜き打ちテストを勘で埋めていくようなやり方で続いていくのが夢だから、目が覚めたあとには、「なぜそこにあれが出てくるのだ?」という破綻が感じられる。


日中、起きている間、ぼくが何かを知りにいくべく、見て注目したり、聞いて考えたりするときも、おそらく脳は無意識に、「そこにはこういうものがあるかも」という、仮の回答みたいなものをはめ込んでいる。ただし、日中は脳がもう少しきちんと補正をしていて、目に何かが映った途端に、観測したものの姿できっちりと事前の予想を上書きして消してしまう。そのように考えると、「目に意外なものが飛び込んできたときの、あの二度見する感覚」がよく理解できるし、予想を裏切り期待は裏切らないタイプの広告が持つ魅力みたいなものも肌感覚としてよくわかる。


しかし夢では、脳が「仮留め」したものがそのまま答えとして話がつながっていくので、細部は妙にリアルだが全体としては破綻している風景ができあがる。ああ、少なくともぼくのこの日の夢は、そうやって、「予測するも観測なし」「予感するも補正なし」で進んでいったのだろうなと、腑に落ちたところで職場についた。夢でぼくの悪口を一緒になって言っていた検査技師の机を蹴る。夢と現実を混ぜる。