2021年12月20日月曜日

レガシィ

車の備品がこわれたのでディーラーに来ている。タイヤ交換のピークは数週間前に終わったから、さほど激混みというわけではないが、事前に予約がない状態での修理なので、しばらく待たされている。車のパーツなんてものは、壊れるときは急に壊れるから事前予約できなかったのも仕方ない。歯の詰め物がとれたときに予約がなくても歯医者に行くのと一緒だ。もっとも、いまどきの子供たちは小さい頃からフッ素を歯に塗っており、虫歯はさほどないようだけれど。


ロビーに人はまばら。外でみる車よりも一回り大きなサイズ……に見える車が室内に数台留まっている。小顔効果の逆、みたいな技を使っているのではないかと思う。シーズンがシーズンなのでクリスマス装飾があちこちに施されている。いつもなら冷静に相づちを打ってくれる妻が今日は仕事でいないから、ぼくは「クリスマスっぽいねえ」みたいな感想を口に出さずに脳内で練ってちぎって捨てている。




今から15年以上前、はじめて自分の力で買った車はレガシィツーリングワゴンだった。 担当の営業はTOKIOの国分太一に似ていた。たぶん新人だったのではないか。若いぼくと若い国分太一は互いに車を買う喜びも車に乗る文脈もさほど持ち合わせていなかった。パンフレットを見れば書いてあるカーアクセサリー情報と、保険会社の提示したままの任意保険のオプションを、ぼくらはワクワクもハラハラもせずにやりとりした。北海道で車に乗るなら四駆以外はありえない、という、それなりに根拠があるがライフスタイル次第では別にそこまで気にしなくてもよいような「柱」のまわりでぼくらはぎこちなく笑っていた。ワゴンにしたのはスキーが積めますよと言われたからだ、でも前の妻とぼくが二人でスキーに行ったことはたぶんなかった。


こうして思い出してみるとぼくはおそらく買い物がへたなのだと思う。というか、世にまばらに存在する「買い物に満足したと公言するのがうまい人々」がSNSでことさら強調されているだけで、おそらくぼくのように根本のところで買い物にさほど大きな喜びを見出ださないタイプの人間はいっぱいいるのではないか。今より安い給料で必死で買った車なのだから、もっと迷って、もっと選んで、そしてもっと喜んでもっと記憶していればよかった。


レガシィの記憶はおぼろげである。色は何色だったろうか。何度ぶつけて何度修理したのだったか。前の妻がチャイルドシートをつけた日に満足そうな顔をしていた記憶がわずかに残っているのだけれど、それも後付けのようにプロットに付け加えられた偽物の記憶かもしれない。いい車だった、と言いたいぼくの脳が作った偽物の記憶かもしれない。