2021年3月5日金曜日

病理の話(511) 俯瞰はボランティアではできない

病気や健康についての情報をわかりやすく伝えることはとっても大事だと思う。


わかりやすさのためには、語る側の脳内に、人体の「地図」が叩き込まれていることが重要である。


どこに何があるかをすみずみまで知っていたほうが、よりよい案内ができるであろう。





……と、このような例え話を使うと、読んでいるほうは、「そうね、大事ね、地図」とうなずいてくれると思うのだけれど、たとえば観光名所を案内するにあたって、地図だけを暗記していてその地域のことをきちんと伝えられるものだろうか?


「地理マニア」が、その土地のグルメをさも美味そうに紹介するぴったんこカンカン的リポートができるものだろうか? 


「地理オタク」が、インスタ映えする観光名所を軽快なトークと共に案内するめざましテレビ的リポートができるだろうか?


ぼくにはそうは思えない。


やはり、地図を俯瞰して眺めて暗記するだけではなくて、実際にその土地を歩いて回って様々な経験をした、「現場感」みたいなものが必要なはずである。


つまり、医療健康情報を「わかりやすく伝える」ためには、地図だけあってもだめなのだ。


その世界を実際に巡礼するかのような「臨床経験」を積んでおかないと、言葉に熱が籠もっていかない。




では逆に、「現場感」だけあれば、観光名所の案内に上手になれるものだろうか?


もうおわかりだろうけど、その土地で暮らして歩き慣れているからと言って、上手な観光案内人になれるわけではない。


「それは住んでいるあなたの偏った意見ですよね」


みたいなズレがどうしても起こる。土地の人間にとって居心地がよい場所、おいしい食べ物が、一見さんの観光客にとってもフレンドリーであるとは限らない。



俯瞰だけでもだめ、接写だけでも足りないのだ。

この両者を同時にやる必要がある。そのためにはどうしたらいいか?



「手分けする」というのはひとつの回答であろう。つまりは人数を集めて分業する。そしてそれぞれの役割にグラデーションをかける。


「お前は地図を覚えるほうが得意そうだ、あなたはクローズアップした現場の熱量を伝えるほうが向いている」


と、役割ごとに微妙にやり方を変えていくのがいいだろう。


医療情報に限った話ではないけれど、これらを分業するにあたっては、誰かが音頭を取ったほうがいい。


地図を覚えるのがうまいタイプの人は、民放のリポーター的なセンスはよくわからないことも多い。逆もまたしかりだ。


両方を見通してバランスをとってくれる人が別にいないといけない。




ではバランスをとる人というのはどういうタイプか?


NHKのディレクターみたいなタイプ、という答えがひとつある。視聴率も多少は気にしつつ、番組の網羅性も、ひとつひとつの番組がもつメッセージ性にも気を配る仕事。


あるいは米国CDCやがんセンターのような、国家が気合い入れて作った公的機関がバランサーの役を担うのもいいだろう。というか、この膨大な仕事、とてつもない予算と人員が必要なので、本来は国家できちんとやらないとうまくいかない。




で、日本を含めた多くの国では、「そこまでやれてなかった」ので、情報の出し方やまとめ方がどうしても「個人の努力頼み」になっている部分がある。専門家向け、玄人向けの部分はわりとしっかりしているのだけれど、広く公衆のみなさんあてに情報が整備されているかというと、まだまだ頭数が足りない。


情報というのは「伝えきる」ということがあり得ない。どこまで整備しても、困った人たちのニーズに100%応えることは難しい。そういうときは、困った人の目の前にいる医療者たちがボランティア半分、職務半分で、一期一会の情報をやりとりするしかない。


ボランティアをSNSで連結させると、「擬似公的機関」みたいなものができあがる。「みんパピ!」などはいい例だ。あれはすばらしい。まるで国家機関のような網羅性を帯びている。


しかし、あくまで「疑似」であることには注意が必要だ。プロフェッショナルの善意に追いすぎているし、個人的には、俯瞰性が完璧ではないようにも思う。一方で、接写の力がこれまでにないほど強いので、今まで世の中に足りなかった情報をうまく補完していることも確かである。




最後に書くのはぼくが現時点で問題視している部分だ。


「俯瞰」の部分にカネがかかっていない。地図を整備する役割が足りていないと思う。医療は専門性が高いので、ボランティアのひとたちはたいてい、自分の専門領域のことだけ言及する。そこをつなぎあわせるシステムがまだまだ整備されていない。


「俯瞰」は基本的にボランティアではできないのだ。個人の能力を超えているし、かかるカネの金額が段違いである。そして何より、「俯瞰している人」が尊敬されづらい構造が、この世界にはある。


そしてぼくはこの、「俯瞰はボランティアではできない」の部分を疑おうとしている。かれこれ5年くらい。善意の医療者たちをSNSでつなぐことで「俯瞰」するシステムができないものか、と、ずっと考えている。