2021年3月17日水曜日

病理の話(515) 指の角度が違う

昔、プロレスラーの冬木弘道が、「冬木スペシャル」という技を繰り出した。


ところがその技は、かつての盟友・川田利明の得意技、「ストレッチプラム」とほとんど一緒であった。


試合後に囲みの記者に「川田へのメッセージですか?」と問われた冬木は、「指一本角度が違えば別の技なんだよ!!」と吠えた。このセリフは伝説となる。


プロレス技では、指の角度が違えば別の技になるのだ!!(笑)




ところで、話は変わるが。

病理診断で「低異型度異形成(low-grade dysplasia)」と「高異型度異形成(high-grade dysplasia)」の区別をはじめて聞いた医学生は、「これ、指の角度の違いよりわかりづらいんだが……」と頭の上にクエスチョンをいっぱいならべるに違いない。





細胞核の大きさが大きい方がhigh-grade。小さい方がlow-grade。

核が細胞の「底の部分」におさまっていればlow-grade。細胞によって核の置き場がバラバラであればhigh-grade。

細胞核内のクロマチン(核質)の量がすごく多くて汚いとhigh-grade。

免疫染色という手法を使って、p53異常タンパクがめちゃくちゃ蓄積していたらhigh-grade。




なんだ、こうやって基準を書いてくれるなら安心だ。気を取り直した医学生は思い直す。

でも、実際には、「核は大きめだけれど、配置は揃っていて、クロマチンはへんだけど、免疫染色は別に正常と区別できない……」みたいな、どっちつかずの症例がいっぱい存在する。

そして医学生は再び驚く。「ええーこれ、どっちなの。結局区別付かないんだけど」



一方、病理医はこれらをいとも簡単に見分けていく(ように見える)。どうやって区別したんですか、と尋ねると、このように答える人がいる。

「長年の勘かなあ……」




えっ! 病理医って勘でがんかそうじゃないかを分けているんですか! みたいな噂が立つのも無理はない。だって当の病理医が、「なぜそれをがんと診断したのか」を必ずしも説明できない場合があるのだから。


ただ……これは「勘」という言葉を使った病理医がやや雑ではある。なぜなら、一流の教科書をひもとくと、「勘」は必ず言語化されているからだ。もちろん、言語化された内容を読み解くためには、膨大な背景知識と臨床経験が必要だし、多くの先人達の「知見の積み重ね(エビデンス)」に精通している必要があるし、さらには実験室的な手法にあかるく、遺伝子検索や統計解析などにも詳しくなければいけない。簡単ではない。でも、少なくとも「がんか、がんでないのか」は、きちんと体系化されている。


そもそも、「病理医が勘で決めている」というわりに、多くのがん診断の「ぶれ」は少ない。たいていの病気は「100人病理医がいれば100人ががんと診断する」のが当たり前で、ぶれない。

もちろん、診断の難しいケースというのはある。100人病理医がいれば50人はがんと診断するが、残りの50人は「がんになりかけている、まだがんではないもの」と診断するなんてこともある。えっ、がんかがんじゃないかが決まらないってことですか? それは大変なことでは? ……いや、そこは本質じゃないんですよ。

この場合、臨床医は、「がんになりかけ、もしくはがんになったばかり」という大枠の理解で、治療を進めることができるのだ。


「誰がどう見てもがん、なものをがんではないと診断する」のはまずいのだが、「がんかどうか迷うくらいの病変」という診断はそれで十分役に立つのである。


大事なのは診断をビシッと決めきることではなく、ある程度幅のある診断をしても患者に対する治療や処置などが決まること。「6割方がんになっている細胞」とわかれば、その細胞が将来がんになる前に取ってしまう(あるいは焼いてしまう)治療は妥当とされることが多い。


病理医の勘は、AかBかを勘で決めるわけではなく、AかA'かを勘で決めるというイメージだ。Aであることまではビシッと決まる。「その先」が難しいから、経験や知識を駆使して、多くの人々の意見を参考に、言語化できていないような知覚までも駆使して診断を決めに行く。





冬木弘道も、本人の中で言語化していない部分で、あるいは、冬木スペシャルとストレッチプラムは別の技だという確信があったのだろうか。……単に照れ隠しのアングルだったのかもしれないが。




なおプロレスラー・冬木弘道は42歳の若さで大腸癌によって死亡する。彼の死を惜しむレスラーは多く、リングでは敵対していたレスラーたちでさえ、葬儀の際には大粒の涙を流して彼の死を悼んだのだと伝え聞いている。