2021年3月12日金曜日

いったいどれが夢なんだ

Zoomは誰かとコミュニケーションするツールであるが、やたらと「正面やや下側から顔をまじまじと見てしまうツール」でもある。


自分に話しかけている他人と、他人に話しかけている自分。


これほど顔を見る機会はこれまでなかった。


まず、画面のフレームと顔のサイズがぴったりマッチしていない人が山ほどいる。振り返ってみると、テレビってのは、見栄えがいい人を見栄えよく撮ることについての技術がすごいんだな。Zoomでは「撮る技術」がないので、とにかく、顔の写り方が雑である。


あなたは遠いよ。あなたは近いよ。あなたは頭が切れているよ。あなたは光量が変だよ。


意図せずにうつる人々はみな一様にだらしない。そしてこれが本来の人間なのだ。人間ってのはもともとだらしない。


しかし不思議である。対面するとここまでのだらしなさは感じないのに、Zoomになると全員の顔面クオリティが4割くらい落ちる。美男美女であろうが関係ない。個人でいくらライトで補正したところで無駄なのだ。


Zoomだとメイクが雑だから? いや、そうではあるまい。


おそらく、これまで人間の脳は、「対面で話す相手の顔」をなんらかの手段で補正していたのだろう。


何万年にもわたって、「細部を気にせず、コミュニケーションに必要な顔面の変化だけを敏感に取捨選択する」という回路が、視神経からつながったどこか、あるいは大脳基底核のどこかに、複雑なネットワークとして組み込まれているのではないかと思う。


それがたぶん崩れたんだ。Zoomという新興デバイスの、対面とは微妙に違う映り込み方によって、ぼくらは他者の顔を補正できなくなった。


「顔面というやたら凹凸があって複雑な気持ち悪いもの」を、なんだかフラットに見てしまうようになったのだと思う。





あと、もうひとつ。


「たいていの人間は無意識で自分の顔に手をやっている」ということが、これほど可視化されるとは思わなかった。


ぼくは仕事中に、こめかみのあたりにある水疱瘡のあとをコリコリかいていることがある。これもZoom以降に気づいたことだ。かゆくもないのにな。


「無意識で顔に手をやる」ことが生存の上で何の役に立つんだろう。


「思わず口に手をやる」なんて普通に考えると毒を口に入れかねないはずなのに……。


……逆か? 経口免疫寛容のシステムをゆるめに用いて、体を守っているのかな?




だんだん体が硬くなる。オンラインでは緊張したやりとりしかできない。だらしなくはなれない。ぼくがZoomでだらしないやりとりをしたのはたった一度だけ、しかも、それはぼくが自分でやったわけではなくて、自分で書いた小説の中で、登場人物にやらせた。もはやどこからが現実なのか。