2021年3月22日月曜日

ろうかは走ってはいけません

かれこれ2週間ほど人差し指の先がしびれている。右手が特にそうなのだが全体的に両方とも上肢があまりよくない。これは頚椎症だろうとわかっている。5年ぶりくらいに再発した。


どうすればいいかもだいたいわかっている。姿勢を気にして生活し、枕を微調整する。ただし、今回の不具合は前回ほど簡単に治らないだろうなという予想もしている。なぜならそれだけ歳を取ったからだ。


「パイプのトラブル8000円」というCMがなぜすごいかというと、それで「なおる」ことがほぼ確実だという雰囲気を見るものに与えるからだ。実際には経年劣化しまくったパイプはクラシアンがいくら高圧噴射をかましても開通しないことがある。住宅トラブルですらそうなのだ、高度の情報の編み上げたものである人体をそれより簡単に修理できるわけがない。


けっきょく、体調不良というのは「うまく付き合っていく」こと以外の対処がない。そのことを自分の体をもって経験している。そうか、これが、ぼくが長年なりたいと熱望し、一直線に目指してきた「中年」というものなのか。





ぼくは20代の前半くらいから45歳を目指していた。もう少しはっきり書くと「45歳くらいのたたずまい、45歳くらいの言葉の力、45歳くらいの見られ方」に早くなりたいなと思っていた。そして今こうして45まであとえーと3年、いやもう3年ない、2年、に迫って思うのだけれど、体内にずれや炸裂を持った人間の言うことはみんなそれなりにしっかり聞こうとするものだ。おそらく風格とか貫禄というものは、劣化した素材からにじみ出る出汁みたいなものなのだと思う。それが自分に備わりつつあることを思う。


実際に40代に突入してみて、しびれても、痛くても、見えなくても、聞こえなくても、それでもなお今が一番「自分であるなあ」と感じる。このままどこまで自分の痛み・苦しみに対するガマン比べができるのかはわからないが、人生というものは常に過去の自分の上に何かを積算していった端緒の部分にのみ存在しているような感覚があり、振り返ってあの頃に戻りたいとは未だに一度も思ったことがないし、若いときの何かを取り戻したいとも一切思わない。後悔はあるのだが回帰願望がない。反省をしても強くてニューゲームモードに興味がない。だから痛くてもしびれていても今より前に何かを期待することはない。


そうやって、自分の最先端を……いや、最深部を過ごす。海溝を潜る。プランクトンの雪が降る。