学会のシンポジウムに参加するために出勤している。うちの職場はまだ職員がホイホイ出かけていくことを許していないので、今回の学会もZoomで参加する。Zoomはほんとうに便利だ。
しかし学会運営というのは大変だと思う。Zoomで100人も人が集まると、1人、2人くらいは自宅のネット環境のしょぼさで通信がカックカクになったりするものである。運が悪いと、聴衆が一番楽しみにしていた招聘演者のプレゼンが、通信障害でまるで聞こえない、なんてこともある。これではなんのために学会をやっているのかわからない。
そこで、最近の学会は、Zoomで参加する人は「事前にプレゼンを自前で収録する」よう求めてくる。今回のシンポジウムもそうだった。ほかの出席者は会場に集まっておりリアルタイムでしゃべっているのだけれど、ぼくだけは数日前に夜中の職場でひとりパワポに音声を吹き込んだmp4ファイルを事務局が再生することで発表に変える。
ではぼくは発表のときに何もしなくていいのかというと……自分の発表を画面で見たあとに、会場の方々からやってくる質問にZoomで、リアルタイムで答えるのである。15分の発表のあとに4分の質疑応答。15分まるまる自分の声を自分で聴いたあとに、4分だけ40代の疲れた顔を画面にさらして会場とコミュニケーションをとる。
……シンポジウムの総時間は2時間。スーツにネクタイで出勤して日曜日の職場。ここにいるのは4分のためだ。まったく不思議な時間の使い方だなあと思う。
ところで、普通のシンポジウムというのは、全員の発表が終わったあとに「総合討論」と呼ばれるセッションがある場合が多い。ひとりひとりが自分のデータを出したあとに、最後にみんなでわちゃわちゃしゃべるから面白いのだ。しかし、今回の学会ではそれがなかった。ぼくは自分の発表が終わった瞬間に、事務局側から接続を切られ、「演者」として発言できなくなり「視聴者」側に回された。うーむ、ほんとうに今日の仕事はこれで終わりなんだなあ。残りの演者のプレゼンを黙って聞く。
Zoomは本当に便利なので学会の参加数が4倍くらいになっている。飛行機に乗らなくていいから自腹を切る必要がない。こんなに忙しくなるとは思っていなかった。そして、「Zoom前」に比べると明らかに自分の実力が数倍以上になっている。いいことだらけなんだけれど、とにかく、細かく、なんでこうなのかなあ、ということが心の隅っこに綿ぼこりのように溜まる。なんでもそうなのだ。高校を卒業して大学に入ったとき、大学を出て大学院に進んだとき、学位をとったとき、環境が変わるたびに、「前よりあきらかにいいな!」と思うことばかりだったけれど、何かのカタチが変わってこすれて、研磨された自分から剥がれた粉のようなものがフワフワと舞って、形状の入り組んだ心の片隅、いかにもホコリが溜まりそうなところにそっと蓄積していくのである。