今日はがんの話。
がんを見極めて退治する、あるいはがんを暴れさせないようにコントロールするために、医療者はタッグを組んであれこれ工夫を凝らして戦う。このとき、病理医は主に「そいつが本当にがんなのか」を探る役割を担う。
たとえば、ある場所を顕微鏡で覗いたときに、そこにある細胞が
・異常に増えていて
・異常なはたらきをしていて
・周りにしみ込んでいる(浸潤している)
とわかれば、「がん」と判定してよい。
専門用語では、異常増殖+異常分化+浸潤(しんじゅん)の3つが揃えばがんと診断できる。本当はここに「細胞の不死化」という用件も加わるのだけれど、普段あまり気にしていない。
この中で人体にとってもっとも嫌な「がんの性質」は、「しみ込んでいる」だ。元々細胞があるべき場所を乗り越えて、深く鋭くしみ込んで、ときには遠くに転移する。この性質によってがんを制御することがかなり難しくなる。
人類は「浸潤」と戦う。浸潤、英語ではinvasion。「インベーダー」と同じ系統の言葉である。浸潤とはすなわち侵略なのだ。
さて、一部のがんは、早く見つけてさっさと退治してしまえば治すことができる。だから人類は「早期発見」というのをときに大事にするのだけれど、この早期発見はある意味、犯罪捜査に似ている。
がんが周囲を激しく破壊し始めてから「逮捕」しても被害は防げない。
だから、できれば、「がんが周囲を破壊する前に」逮捕したい。
より詳しく言えば、「浸潤する前に捕らえたい」のだ。しかしこれは診断上の問題をはらんでいる。
くり返すけれど、
・異常に増えていて
・異常なはたらきをしていて
・周りにしみ込んでいる(浸潤している)
とわかってはじめて、我々は細胞を「がんだな」と判定できる。しかし「早期発見」の理念を追求するならば、「しみ込んでいる」を引き起こす前にがんを捕らえたほうがベターだろう。すると、
・異常に増えていて
・異常なはたらきをしていて
の段階で捕まえたい、ということになる。しかし条件を減らせば当然「誤認逮捕」の可能性が出てくる。
たとえば悪そうな顔をして特攻服のようなものを着て髪にそり込みを入れて腕にはタトゥーまみれの青年が歩いていたら即座に逮捕していいだろうか?
じつはその若者は「特攻の拓」のコスプレイヤーかもしれない。犯罪なんておかしていないかもしれない。家では猫を愛で、3日に1度ほど料理を担当し、祖母孝行にも余念が無いかもしれない。
しみ込んでいる=浸潤している≒侵略していることがわからない場合……「悪そうな顔をした細胞」が全部ほんものの悪人とは言い切れない。
そこで、警察……じゃなかった我々は、「状況証拠」を探しに行くことになる。
「家に大麻があった」(吸った形跡はない)とか。
「3Dプリンタで銃を作っていた」(まだ完成していない)とか。
いずれも、「それを持ってちゃだめでしょう」という意味で、逮捕の理由になる。ただしこれらの半端な悪人が、将来、ほんとうに売人になったり人を殺めたりするかどうかは、「まだわからない」。
このような議論と葛藤を、われわれ病理医は、「前がん病変をどこまでがんとみなすか」、あるいは、「非浸潤がんをどこまで診断するか」という命題として、日々議論している。基本的に、欧米の病理医は「明確に犯罪をおかすまではがんと診断してはいけない」という立場をとり、日本の病理医は「浸潤する前でもがんと診断できる」という立場をとっている……ということになっている。しかし実際に現場にいると、必ずしも欧米の病理医が慎重だというわけではないし、日本の病理医も逮捕に消極的であるジャンルも見る。子宮頚部の「異形成」などは洋の東西を問わず「前がん病変」と認められている。一方、胃における非浸潤性の腫瘍は、欧米ではがんと診断されないケースが半分くらいある。場合によって細やかに異なる。難しい話になる。
このように、「ある細胞が犯罪者かどうか」を細かく議論することも大事だが、実際には、「町が平和であり続けること」のほうがさらに上位のレイヤーで重要だと思う。だから、「がんかがんでないかはともかくとして、どちらであったとしても妥当な処置・治療」を求めるほうに医療は進んでいく。
すると、診断の担い手・病理医は、難しく細かい難問を解きながらも、臨床側の要請として「ま、だいたい決まればいいですよ」などと言われてしまうこともあり……つまりはハシゴを外されてしまうわけだが……そういうときも明るく真剣に、「あとは哲学の問題だなあ」などとうそぶきながら、細胞の「家宅捜索」をくり返して、何を持っていればがんとみなせるかというのを、ずっと研究することになる。悪い仕事ではない。