2021年3月31日水曜日

病理の話(520) お互いが素人

ある日のカンファレンス。

数年来、診断がついていない患者について、各科の専門家が劇論を交わしていた。

この患者は数年前に一度、小さな手術をされていて、そこに病理診断が下されていた。


その病理診断は「特別なものではない」。

がんではないし、ほか、名前のついた病気でもない、という結果。手術をしたにしては煮え切らない返事だ。

がんと診断がなされればがんの治療がはじまる。また、名前のついた病気(炎症など)であったとしても、その病気ごとに治療方針は立つ。

しかし、「特別なものが見つからなかった」となると話はむずかしい。この先は、定期的に患者の体に起こっていることを観察することにして、また再発するようならそのとき考えましょう、という判断になった。


はたして患者は再発した。再発というか、治りきっていなかったものがそのまま少しずつ大きくなってきたという印象。

さて、こういうとき、医者たちはどのように考えるか。



多くの方が真っ先に思い付くのは、「かつての病理医の診断が間違っていた」であろう。この可能性は真っ先に潰しにいかなければいけない。しかし、話はそう簡単ではない。

ある意味、かつての病理診断が間違っていたというならば、(患者にとっては不幸だが)話は簡単なのである。ぼくが過去のプレパラートを見直し、たとえばそこに未発見のがん細胞を見つけたら、今の患者の身に起こっていることには説明がつくし、治療方針だってすぐに決まる。初回の病理診断を担当した病理医は「誤診した」ということになるかもしれない。もちろん、その時点では情報が足りなすぎて、そもそも医学の限界として診断できなかったという可能性もあるのだけれど。

しかし、何度見直しても、違う病理医が見直しても、これはがんではない。

そういうケースはある。というかそういうケースのほうが多いかもしれない。そういうケースのほうが厄介なのである。「だれもはっきりと間違っていないのに、誰も真実にたどり着いていない」ということだからだ。

さあ、どうする?


あらゆる検査を追加すればいい、というのは明確に間違っている。特に、検体を採取するタイプの検査には「患者の体への負担」がかかる。とりわけ、「カタマリを作るタイプの病気」のときに、そのカタマリを取り除いて検査に出すことは、いつも安全に行えるわけではない。大きな血管を傷つけてしまうリスクなどもある。軽々しく「もっと採ろう」と提案することは雑なのだ。まあ、どうしてもというときには「再手術」をすることもあるのだけれど。


それよりもまずは、数年の経過をおいて、病気がこのように進行したという「時間軸情報」を加味して、過去に一度診断された内容をもう一度よく考えなおす。洗い直す。この泥臭い方法が、結局はいい。刑事ドラマでも煮詰まったら最初から情報を整理するだろう。探偵の登場する番組の序盤には出てこなかった重要な情報が飛び込んできたあと、最初に聞いていた話の色彩が変わって感じられる、ということもある(コナン君がピキーンと気づくやつだ)。「この患者が年単位で少し悪くなった」という時間軸情報を手にした今、過去の検査データの解釈方法も、患者に対するアプローチの仕方も、変わってくる。



カンファレンスに出席していた外科医がこう言った。

外科医「そういえば過去に一度、同じようなケースを経験したことがあります。その人も、当初、がんではないと言われていて、病理診断がつかなくて、でも何年もよくならなかった。最終的にA病と診断されました。」

ぼく「なるほど。」

外科医「市原先生、今回もその病気ってことはないですか?」

ぼく「ではその目でプレパラートを見直してみましょう。」


A病は極めて珍しい病気だ。プレパラートをただ見ているだけでは診断にたどり着くことはまずない。外科医の経験がものを言うなあ、と思った。ぼくはその病気を診断するのに必要な「免疫染色」という追加検査をオーダーして、プレパラートをじっくりと見直した。


結果は、「A病ではない」。


ずっこける音が聞こえそうだ。えっ、ここまで意味深に盛り上げたらふつうはA病なんじゃないの?? でも実際の臨床現場はそう甘いものでもない。

ただしこのとき、ぼくは同時に、B病やC病の可能性も頭に思い浮かべた。なぜなら、外科医の言っていたこと、「昔もこういうことがあったんですよね」にひっかかりを覚えたからだ。


外科医が過去に経験したA病と、「臨床医が見る分にはよく似ている」病態で、かつ、「病理医から見るとA病ではない」というもの……。


ここまで情報が増えると、がぜん、B病とC病の可能性が頭に思い浮かぶ。


こうしてぼくはさらに細かい検討を加えて、最終的に病理診断をこのように更新した。


「前回の病理医の診断、『がんではない』は正しい。そして、それ以上のことがわからなかったが、数年経ってみて新たに検討を加えると、B病の可能性が残る。この病気は、今ここにある材料だけでは診断しきれない。B病であるかもしれないという前提で、追加の検査をしてほしい。それが患者の体にある程度負担をかけることであったとしても、B病という診断がつけば、患者にとってはメリットがある。患者と相談してほしい」


……こんなにフランクな書き方ではなくもう少し専門用語で書いている。でも大意はこういうことだ。診断が付けばいいというものではないが、ぼくは診断を付けた方がいいのではないか、と、個人的に感じているよという内容のことを書く。


臨床医は病理診断の素人だから、「A病じゃないの?」なんてことを言った。A病ではなかった。そして、それをヒントに、病理医は「B病じゃないの?」と言う。そして、病理医は臨床判断の素人なので、「だから追加検査してみたら?」という。検査を追加するというのはそう簡単ではないから、追加の検査はそもそも無理かもしれない。けれどもそれをヒントに、臨床医は今後の方針を立てていく。


お互いが、自分の領域でプロの仕事をし、相手の領域に対して素人ながらにコメントをつける。そうやって、ギリギリのラインで精度を高めていく。