2022年3月9日水曜日

病理の話(634) 手術の前の判断と手術の真っ最中の判断

外科医などが手術をするにあたっては、(あまり知られていないが)事前にとても綿密に患者の体内のことを調査する。CT, MRI, 超音波, 内視鏡などの画像診断で、病気がどのあたりにどういう形で存在するかをしらべ、さらには「手術で切って良い場所と、切ってはいけない場所」をもめちゃくちゃ見る。さらっと見るのではない。めちゃくちゃ見る。

そうやって、病気や臓器の場所を覚えるだけではなく、「どこをどのように血管が通過しているか」を頭の中に叩き込む。安全な手術をするためには極めて重要なことだ。

人間は誰しも、だいたい似たような形で血管が走行している。経験を積んだ外科医ならば、どこにどういう血管が走行しているかをかなり覚えている。しかし、血管走行にはときおり「バリエーション」があるので、毎回同じ暗記だけで乗り切れるほど甘くはない。いつもと同じように肝臓を切り進めていったら、普通の人ならこんなところには走行していないはずの、切ってはいけない大きな血管を切ってしまった、なんてことが万が一にも起こっては困る。

だから、手術の前には、とにかく本気で患者の体内の構造をがっちり見て、その人固有のカラダの構造を覚える必要がある。手術前に入院した患者は、しばしば、「CT撮ったなら早く手術してくれよ!」と感じることだろうが、そういうわけにはいかないのである。事前の準備なくして安全な手術はあり得ない。ベッドサイドに主治医がなかなかやってこないからと言ってあまり怒らないであげてほしい。外科医は手術をしているとき以外にも、患者の体内のことをめちゃくちゃ調べていたり、手術が終わったあとの患者の治療計画を立てていたりで忙しいのである。


さて、周到な準備をして手術に望んだ外科医は、予定通りに手術を進める。しかし、手術の中盤あたりで、「事前にはどうやっても確認しきれない、重大な情報」が必要になることがある。


それは、「病気が細胞1個のレベルでばらばらと散らばっていないかどうか」だ。


ある場所に病気があるとして、それを「取り切る」ことが手術の大テーマである。テーブルの上にこぼしたミルクをすべて拭き取るように、手術では病巣を完全切除(完全に取り切る)ことが前提なのだ。しかし、こぼしたミルクはしばしば飛び散って、テーブルのはしのほうにもぴとっと残っていたりするだろう。このような「取り残し」があると、病気が再発するリスクは高くなる。

ミルクの水滴のように「ちりぢり・ばらばら」に病気が広がっている場合は、事前に外科医がいくら熱心にCTを見ても、その範囲を追い切れない。画像には解像度という限界があるためだ。したがって、どれだけ周到に準備をしたとしても、「この手術で病気を取り切れたのかなあ……」という疑問は残ってしまう。

このとき、「念のため」ということで、臓器を大きめに切り取ってくれば、病気を取り残すリスクは減る。でも、そうすると今度は、「採らなくてもいい臓器まで採ってきてしまった」というデメリットが生じる。なんともない臓器は残しておきたい(もしくは、残しておかないと生きるのが大変になったりする)。



そこで病理医が手を貸すことになる。手術の中盤、標的となる臓器を取り終わった外科医は、切った場所を縫って閉じる「前に」、切り取った臓器の切り口の部分(断端、という)を、病理検査室に提出する。

そして、待つ。

患者のお腹の傷はこのとき、開いたままである。

病理検査室では、いそいで切り口部分のプレパラートを作成する。日ごろは1日かけるプレパラート作成を、なんと10分ちょっとで終わらせる。その分、じつはプレパラートのクオリティが低いのだが、患者のお腹が開いた状態で1日待つわけにはいかないので仕方がない。

そして、病理医はただちに、それまでやっていた仕事をいったん止めて、たった今患者から取られてきたばかりの「断端」を顕微鏡で観察する。

切り口の部分に病気があれば、それは、事前の見立て以上に病気が細かく周囲に広がっていて、「切り取った範囲を超えて病気が広がっていた」ことを意味する。

病理医はただちに手術室に電話をかけて、「断端に病気がありました。」と伝える。

すると、外科医は、ちきしょーもっと広がってるのか、と少し悔しがりながら、臓器をさらに追加で切り取るのだ。

逆に、切り口の部分に病気がなければ、「断端に病気はありません。」と伝える。すると外科医や麻酔科医、手術室看護師は喜んで(実際に拍手されたことがある)、手術を予定通り先に進めて終了させる。



手術中に、患者のお腹が開いたままの状態で行う病理診断を、「術中迅速診断」という。手術の最中に急いで標本をつくるから、迅速診断だ。しかし、実際には、ここに病気があるかないかという判断で手術の方針が大きく変わってしまうわけで、しかも、あとでもう一度見直すという「念のためのチェック」が一切できない一発勝負なので、病理医的には「いつもの診断よりもむしろゆっくりと時間をかけて、確実性をより高める努力をする」。マニアックな仕事です。