2022年3月29日火曜日

いったん無線になってしまったら

ワイヤレスイヤホンの充電端子の調子が悪くて、うまく充電できない。冬にはたまにあることだ、静電気がたまっているのだろう。小さい精密機器が寒冷シーズンに誤作動を起こしたら、慌てずに静電気が放電するまで待つといい。

古いほうのイヤホンを取り出してみる。しかしこちらも長いことしまっていたので、充電しなおさないと使えない。結局、有線のアナログイヤホンを選ぶ。ひさびさにスマホと耳とを線でつなぐ。すぐに音が飛び込んで来る。手軽で気軽だ。音質にもなんの問題もない。


だからといって、「ワイヤレスはだめだ、有線がいい」と断言できるほどぼくの頭は一貫していない。ワイヤレスイヤホンの調子が戻ったらまたワイヤレスに戻すだろう。ここはもう、戻れないのである。

マウスをはじめて無線式にしたときにも、「電池が切れたらめんどうだから有線のほうがいいんじゃないか」と一瞬思ったが、いったん乗り換えてしまうとコードにしばられていたころのことをとても不便に感じるようになり、二度と有線に戻すことはなかった。

「便利」がひとつ生まれると、それまで当たり前にやっていたことが急にだめに感じられるから不思議だ。「便利」はいつも不可逆的である。腕時計は電池が切れるからだめだと言っていまだに日時計を使っている人がこの世のどこかにいるだろうか?




Facebookで投稿に「友人の紐付け」をする人たちをよく見る。同じイベントに出た人たちを投稿に登録することで、通知が飛んで、「ああぼくも出たよそれ、いいね!」とばかりに、いいねの連鎖が広がっていくシステムになっている。多くの人がFacebookの友人タグを「便利」だと思っているようだが、ぼくは「有線で紐付けして縛っている」ように見える。せっかくSNSで日常の縛りから解放されるチャンスなのに、なぜわざわざリアルの紐付けを復活させようとするのだろう、不思議でしょうがない。

このことを先日とある友人に言ったら(書いたら)、「そもそもFacebookは『有線の本数』を増やすサービスであって、無線化するためのものじゃない。SNS=social network serviceというからには、ネットの網目を増やすのが主目的だろう」と言われた(書かれた)。思わず黙り込んでしまう(元からだけど)。ぼくはSNSは縛りから解放されるためのツールだと思っていた。マウスもイヤホンもWi-Fiも線を切断する方向に進んでいるのに、人間関係だけは線を増やしているのか。ではこれは「便利」とは違うのではないか。ぶつぶつ書くと、友人はとどめをさすように書いた。


「SNSは『便利』ではないよ。もっと可逆的なものだ。糸電話だと思ったほうがいい。不便だが目新しくてやってて楽しい、というのが本質だ。大人は誰も糸電話なんかしないけれど、糸電話が楽しかったときのことを覚えている、SNSだってたぶんそっちのたぐいのものだ」


そうかなあ。ぼくはそれは「例え話すぎる」と思った。けれど、SNSの線を切っていったん無線になってしまったら、なぜあんなもので毎日自分を縛っていたのかと不思議に思い、二度と線の多いくらしには戻らないのかもしれない。職場のデスクの引き出しを開けると、どう捨てていいかわからなかった有線マウスや有線キーボードがいくつか出てきて、ああ、SNSもいつかこうしてノスタルジックに引き出しにしまわれるのかもな、と気がついた。