2022年3月22日火曜日

病理の話(638) さじ加減の加わる部分

ある病気か、そうでないかを診断するとき、さまざまな理由により、その診断に「ぶれ」が生じる。我々はそのぶれを制御するために、ある工夫をしている。

説明のために模式図を作った。これを見てほしい。



とある「病気A」を考える。この病気Aは、


 ・放置しておくと命にかかわる

という特徴があるため、病気Aだと診断したら、治療をはじめるべきである


ただし、診断を確定することは思った以上にむずかしい。


「このような症状が出たら病気Aだ」とか、「検査でこの値が異常だったら病気Aだ」と、誰が見てもわかるような目安があればいいのだけれど、そういうのはない。


じっさいに、さまざまな患者を診察してみた。「これはもう誰が見ても病気Aだな」とわかる人もいるが、中には、「ちょっと病気Aっぽい」とか、「わずかに病気Aのふんいきがある」という人もいる。

たくさんの人に対して「病気Aらしさ」を調べていくと、グラデーションがあることに気づく。まったく病気Aではない人が図の一番左側。ぜったいに病気Aの人が図の一番右側だ。図をもう一度載せよう。



みなさんもちょっと考えてほしい。赤い矢印の部分は病気Aだろうか? 黄色矢印の部分は? 青はまだ病気Aとは言えない、だろうか?


「ちょっとでも色がついたら病気Aとして扱っていいんじゃないの?」と考える人もいるだろう。しかし、思い出してほしいのだけれど、病気Aというのは「放置しておくと命にかかわる」という問題があり、「診断したらすぐ治療」しなければならない。


ほんとうに「青い矢印の部分」はすぐ治療するべきだろうか?


「すればいいじゃん、悪いことはないでしょ」というのは話をかんたんにしすぎである。あらゆる治療には副作用がつきものだ。病気Aと確定していないのに治療をすることは許されない。

そもそも、治療というのは「患者の人生の時間を費やして行うもの」だ。入院したことがある人ならわかるだろう。たとえば2週間入院したら、その分、「病院の外で自由に使えるはずだった時間」が2週間失われる。病気で人生がちぢまなくても、必要のない治療で人生の自由な時間をちぢめてしまったら、本末転倒である。


「病気Aかどうか」を確定するのが難しいので、研究者はいろいろと調べてみた。すると、あることがわかった。

この病気Aは、右側に行くにつれて「命が奪われるまでの時間が短くなる」。色が濃ければ濃いほど命に影響するのだ。一番濃い右端だと、数年以内に命にかかわる。しかし、赤い矢印だと、仮に病気Aと同じ結果をたどるとしても、10年単位だ。青い矢印だと、「100年くらい経たないと命にかかわらない」。


このような「程度の重さ」は、病気を考える上で非常に重要である。「たしかに病気Aかどうか」にグラデーションがあるだけでなく、「その病気Aがどれくらい深刻か」にもグラデーションがある。


そこで、診断者たちは、思い切って、病気Aかどうかという二択をやめた


図自体はさっきと変わらないのだが、2箇所に線を引いた。そして、多くの人が「迷う」領域を、中間領域として設定した。


一番右の「病気A」には治療をすすめる。

一番左の「病気Aではない」は、治療をしない。

そして「中間領域」の場合には、

 ・すぐに治療はしないが、病院に定期的に通ってもらって、病気Aっぽさがもっと増してきたら治療をする
 ・すぐに治療をはじめる。ただし、病気Aにする治療とは違う、もうすこし副作用が低くて、もうすこし入院期間も短くて、ただし効果もやや弱い(もし病気Aだったとしたらちょっと足りない)くらいの別の治療をする

といった、中間的対処をするのである。



なんだ、あいまいさは残したままなのか、と思われるかもしれないが、3分割方法はかなり有用なので、現在の医学では多くの専門家がこのやりかたを取り入れている。「前がん病変」、「異形成」、「ディスプラジア」、健康診断の「要経過観察」と呼ばれるものなど、すべては「病気Aとは言えないあいまいな部分」に、医療者と患者が思慮深く対処するための中間領域なのだ。



最後に病理医の話をする。3分割法において、「病気Aと確定」する部分については、診断にさじ加減がくわわる余地がない。「誰が見ても病気Aだ」と確信できるような証拠が揃ったときに、病理医全員が病気Aと診断する。

しかし、中間領域はそうはいかない。白黒はっきりしない「グレー」の部分については、病理医ごとに微妙なずれが生じる。中間領域で「ずれがあること」は、主治医も織り込み済みだ。病気Aと確定できない、してはならない部分なのだから、むしろ、ずれ・ぶれがないほうが不思議なのである。

病理医は、病気か否かが確定できない中間領域においては、「さじ加減」を効かせながら診断書を丁寧に書く。それが医療のあいまいな部分をきちんと支える。このとき大事なことは、医療者と患者に、「なるほどこれは客観的に見ると『中間』なのだな」と伝わることだ。




以下、おまけ。

中間領域では本格的な治療がはじまらないことが多いため、「治療が生き甲斐」の医療者にとって、中間領域の診断はいやでいやでしょうがないらしい。一部の、手術や手技に人生をかけている人などは、病理診断の中間的な部分をみると露骨にまゆをひそめたりする。まあ、その気持ちはわかる。「結局これ、治療すんの、しないの、どっちなの!?」と、患者と一緒になって怒っている医者をみると、

あー、グラデーションの「あわい」の部分で戦うのが苦手な医者なんだな、

と思って、コンビニでシュークリームを買って届けてあげる。するとなんかわかってくれる。甘い物はだいじだ。