2022年3月10日木曜日

忙しすぎる人たち

人間の精神と肉体というのはほんとうに、かなり密接に関係していて、いや、これ、ほんと、マジでそうなんですよ。


「ストレスでカラダ壊した」みたいなセリフがカジュアルすぎるんですよね。そもそも。しょっちゅう聞くでしょうこのフレーズ。でも、実際にマジで壊れるからね。


たとえば円形脱毛症なんてまさにそうでしょう。ストレスがきついときに毛根が活動を止めるわけですよ(たぶん)。すごいよね。そこに来るのかよって。


あと腰。あれは単に座りすぎというか、長時間の凝り固まった姿勢の問題では? と思う人もいるかもしれないけど、いや、違うと思うんだよね。メンタルが疲弊しているときって、体のあちこちの痛みを感じやすくなるのは事実です。ぎっくり腰なんかもそうだし、ヘルニアとかもそうなんだけど、椎間板が多少ずれただけ(?)でも、メンタルが落ちてるとめちゃくちゃにしびれるからね。やはりメンタルというのは体のあちこちを「補正」しているんだなと思う。


なおぼくの場合はほんとうにきついときには腰や首、そして腸に来る。でも最近は大丈夫です。おかげさまで。





ぼくより10個くらい上の人(50代なかばくらい)の中で、それは死んじゃうでしょうという顔、それは死んじゃうでしょうというメールを送ってくる人がたまにいる。ぼくの仕事相手の場合、そういう臨死体験的なメールは、9割くらいの確率で大学に勤めている人からおくられてくる。大学以外の職場に勤めている人の仕事がラクだという意味ではないのだけれど、どうもメールを読み込んでみると、


本職

+人の世話

+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用+雑用

みたいな感じで、比率としては完全に雑用のせいで精神を削られている。「鬼滅の刃・無限雑用編」、マジで大学に特有だ。ぼくも決してヒマではないけれど、大学のマジもんの多忙人から見たらハナクソみたいな量の仕事しかしていない……いや、より正確に言えば、「ぼくは大学の人ほど雑用をしないで済んでいる」のである。差は雑用の部分にあるのだ。同じ量の実績を上げている大学の人と市中病院の人とを比べると、大学の人のほうがHP表示が黄色に変わっている率が高い。



なぜ大学のスタッフたちにばかり、雑用が今年の札幌の雪のように激しく降り積もるのか?

それは、ぼくが仕事をしたいなと思うような「優れた大学のスタッフ」が、揃いも揃って、


・有能

・いつもいる

・いい人


だからだな、と考えている。要は三拍子揃っているのだ。有能な人と仕事をしたいのは人の常である。ただし、有能な人になかなか声をかけられない、なぜなら忙しくてあちこち飛び回っているからだ。そういう人とはそもそも仕事がしづらいはずである。しかし、中には、有能なのに「いつ見てもいる、いつ連絡しても返事が来る」というタイプの人がいる。そういう人はとにかく重宝される。おまけに性格がいい人だと、何を頼んでも「オッケーやってやらぁ」と二つ返事だ。こういう人だからこそ、雑用が無数に降りかかってきて大変なことになるのである。有能で、いつもいる、いい人。


ここで、冒頭の話につながるのだけれど、ぼくが一緒に仕事をしたいなあと思う大学スタッフ(教授、准教授、講師、助教)は、手で摘まむと髪の毛が抜けてしまう状態になっているか、腰がひどくてデスクで動けなくなっているか、ガリガリに痩せているかのいずれかだ。かわいそうすぎて、あまり一緒に仕事をしようと言い出せない。でも、優秀なので、いい仕事をしたいなあと思ったらつい以下のようなメールを送ってしまう。


「ご多忙のところ大変おそれいりますが……」


決まり文句の社交辞令? いや、彼女らは本当に忙しいので、本心からこう付けている。でも、忙しい人に長いメールを読んでもらうのもしのびない。結局は時候の挨拶もそこそこに、型どおりの恐縮だけを示してから要件だけを短く送る。するとたいてい、数時間以内に返事が来る。とんでもないことだ! 仕事相手の多くは臨床医であり、患者の前にいる時間だって超長いはずなのに、いつデスクでメールしているんだろう。答えはiPhoneなどでその場で返事をしているのだよね、なぜなら、数時間以上PCから離れると大量のメールに押しつぶされてしまうから、どこにいてもメールを返事できるようにしている。いい人である。メールなんて無視していいのにな(したことないけど)。




今、無意識に、「彼女らは」という代名詞を使っていた。そこではたと気づいたのだが、最近ぼくが仕事をしたいと感じる大学スタッフの過半数は女性であった。なぜだろう?

ぼくが観測する限りでは、大学スタッフの「有能さ」は男女ともさほど変わらない。「いい人」かどうかも、「いつもいるかどうか」も特に差はない。なのに、ぱっと思い浮かぶ仕事相手に女性が多かった。その理由はなんだ?


答えは簡単だ。


「偶然」である。


歴代の仕事相手を思い出してみると、「彼らは」と言いたい年も、「彼女らは」と言いたい年もある。今年はたまたま女性比率が高くなっているにすぎない。

あらためて、仕事をする相手の性別は何の判断基準にもなっていないなと感じた。彼ら・彼女らのような言葉を使わざるを得ない日本語の構造にだけ問題があったのだ。今後は、「やつらは」と呼ぶことで、theyの代わりにしてみよう。忙しいthemにこれからも仕事を頼みたい、その仕事が、なるべくならばやつらにとっての「雑用」以上であることを望む。円形脱毛症も腰も下痢も大変だからね。みんな健康になろう。