2022年3月24日木曜日

病理の話(639) 犯罪者は生まれ育った町の方言を話す

体の表面を覆っているのは「皮フ」だ。


皮フは扁平上皮という細胞からなる。扁平上皮は、細胞同士ががっちり横に手をつなぎ、強固なスクラムを組むことができる。するとどういういいことがあるか?


扁平上皮で覆った部分は防御がとても硬くなる。水も漏らさない。われわれがお風呂に入ったときに、湯船からお湯を体内に吸い込まなくてすむのは、皮フが扁平上皮でおおわれているからである。


さて、この「防御最強」の扁平上皮は、体のどこまでをおおっているだろうか?


くちびる。色が赤い。ぱっと見、ここは違う細胞でできているような気持ちになるけれど、じつはくちびるも、皮フとさほどかわらない扁平上皮によっておおわれている。


そしてここからがけっこう驚くのだけれど、口の中の粘膜、すなわちほっぺの内側や舌、上あごなどもぜんぶ扁平上皮なのだ。皮フとはまるで違って見えるけれど、細胞を採りだして見てみると、「角化」のわりあいが異なるだけで、同じ扁平上皮なのである。


ちょっと考えるとこれはまあ納得できる。口の中には食べたばかりのかりんとうが突き刺さったりするし、ミルクもお酒もジャージャー入ってくるので、防御を最強にしておいたほうがいろいろいいのだろう。


ではこのまま消化管もぜんぶ扁平上皮でおおわれているかというと、そうではない。


食道は扁平上皮だ。食べ物がゴックンと飲み込まれる最中、穴が空いては大変だから、防御は強くしておく。しかし、胃に入ると、粘膜は扁平上皮ではなくなる。


「腺上皮」にかわるのだ。腺というのはにくづきに泉と書く。人体内では、泉のように粘液や消化液をふき出す必要があるのだが、扁平上皮のように防御が硬すぎると、体内で作った消化液を外に出すこともできなくなってしまう。そこで、細胞の性状を、もうすこし融通が効くやつに変えるのである。そのぶん、防御は弱くなる。

で、このまま、胃も小腸も大腸も、すべて腺上皮でおおわれている中を食べ物は進んでいってそのうち便にかわる。最終的に、肛門の絞られたところから外側が、また扁平上皮に覆われておしりの皮フにつながっていく。よくできている。


さてここからは「がん」の話をする。


口の中にも、食道にも、胃にも、大腸にも、がんが出る。がんというのは細胞のチンピラ、もしくはヤクザみたいなものだ。まわりの細胞と少し似ているのだけれど、攻撃的で、犯罪的である。そして、がんにもいくつかの種類がある。


口の中に出るがんは、もともと口の中にあった粘膜に似た性質を示す。口の中は扁平上皮におおわれているので、発生するがんも「扁平上皮癌」となる。


食道から出るがんの多くもまた「扁平上皮癌」だ。


そして、胃から出るがんは「腺癌」である。


このように、がんは、発生部位に存在する細胞の性質を受け継ぐのだ。「生まれ育った町の方言を話すヤクザ」みたいなものじゃけぇ。


応用問題。


「食道と胃の境界部」では、扁平上皮癌が出る場合も、腺癌が出る場合もある。両方がありえる。端境の部分は、がんも何でもアリだ。


「食道と胃の境界部から、少し食道側のところ」ではどうか? もうすぐ胃が見えてくる、くらいの場所。もちろんほんらいであれば扁平上皮癌が出るはずなのだが、このあたりは、胃から逆流してくる刺激により、粘膜が微妙に「胃っぽくなっている」ことがあるためか、けっこう、腺癌も発生する。



「だから何?」と思った人はいるだろうか? その知識が何かの役に立つの?


役に立ちますねえ。なにせ、扁平上皮癌と腺癌では、効く治療が異なるのだ。放射線治療の効き方が違うし、抗がん剤も別だ。手術でどれくらいの範囲をとるか、その判断をするにあたっても、「そのヤクザがどこの国の生まれか」を見極めることは重要である。生まれ育ちは大切なのだ。仁義なき細胞たちは映画のように名乗ってはくれないので、こちらがきちんと生国を見抜く必要があるのだけれど。