2022年6月10日金曜日

病理の話(665) その倍率では伝わらない

「顕微鏡を使って細胞を見て診断をする」と言うと、たいていの人は、顕微鏡の視野(のぞいた部分)いっぱいに細胞が大写しになるところを想像するのではないかと思う。


実際、細胞をどんどん拡大して、「核」まできちんと見ることができるのは、医療業界広しと言えども病理医をふくめたごく一部の医療者しかいない。したがって細胞を超拡大するというのは、この職業の「強み」であることはまちがいない。


しかし……そうやって見た細胞のようすから診断を書いて、主治医をはじめとした「他の医療者に情報を伝えるとき」に、最強拡大で細胞の写真を撮って見せる行為は、あまり役に立たない。


それは「細胞に近寄り過ぎている」ために、かえって、「日常の医療からは遠ざかってしまっている」のだ。この感覚、おわかりだろうか?




たとえるならば……そうだな、とある仕事のことを考えよう。


その仕事では、「航空写真」を撮って、ある町が変化していく様子を観察する。飛行機に乗って、毎年、決まった場所・決まった高度・決まった角度から、町の全貌を一眼レフでバシャッと証拠に残している。

するとある年から、町の様子がかわりはじめた。ある地域において、家がなくなって、かわりになにやらあやしい集会施設のようなものが作られているのだ。もちろん、航空写真であるから、近隣の住民が何を話しているか、ざわついているかどうか、その集会施設のまわりで小競り合いがあるかどうか、といった情報はわからない。

あくまで、家がなくなって別の建物が建っている、ということがわかるだけだ。

飛行機の上にいる人は少し落ち着かない気分になる。あそこ、何が起こっているのかなあ、と。

そこで別に人を雇う。地上で現場に近寄っていって、そこにある建物をより近くで見て、なんなら中にいる人たちに会って実際に雰囲気を聞いてきてもらうわけだ。



もうおわかりだと思うが、飛行機に乗って町を眺めているのが臨床医で、町を歩いて人に近寄っていくのが病理医である。



病理医は、その集会所を作ろうとしているヤクザ集団(細胞)を間近に観察することができる。ヤクザひとりひとりの風貌(細胞形状)、しゃべりかた(周囲に対する接着能や浸潤傾向)、ドスとか拳銃と言った持ち物(細胞が有しているタンパク質の種類)を、チェックすることができる。

「あっ、こいつら、悪い目的でここに建物を作っているんだな」みたいなことを、接写的に観察することができる。

そしてその内容を、飛行機に乗っている写真家であるところの臨床医に話すのだ。


「えーとですね、現場にドスがあります。だからこいつら悪いっすよ!」



でも……じつは、飛行機に乗っていると、「ドスがあるからなんなんだよ」という気持ちになることがあるのだ。なにせ、見ているもののスケールが違いすぎて、そこは親身になれないのである。

つまり病理医が、細胞の強拡大写真を写真に撮って臨床医に伝えても、「うん、それ見せられても、なんというか、飛行機に乗っている限りは役に立たないわ。」となるのだ。



そこで現場の病理医は少し工夫をする。近づいて取材して「こいつらヤクザだな」と決めるのは確かに病理医の仕事。そして、この内容を飛行機の上に伝える際には、こうする。


「ヤクザであることはこっちで確認しました。ここから見ると、回りの家とはだいぶ形の違う、ヤバそうなでかい建物を今も必死で作ってまして、たとえばこの南側のほう、周囲の土地を地上げにかかっているんで、そのうち回りの人が追い出されて更地にされて、ここにもヤクザの家が建つと思いますよ」


少し描写のスケールをマクロ寄りにする。




病気を見るにあたっては、俯瞰も接写も両方大事だ。それぞれ、得られる情報が異なる。そして、俯瞰はわりと多くの職業が担当するのだが、接写はできる人が少ない、特殊技術である。だからといって、病理医の口から出ることばがいつも「接写についてのこと」だと、飛行機に乗っている人たちはピンとこない。ここには語り方が必要なのだ。テクニックが要る。俯瞰と接写とを橋渡しするような思考が必要で、そういうのがきちんとできる病理医は、教えるのがうまいし、なにより、診断すること自体への興味が複雑に豊かで、たぶん、総合的な診断力もハイレベルなのである。