2022年6月28日火曜日

病理の話(671) AIによってなくならなそうな医療

昔から伝わるさまざまな診察技術がある。患者のお腹のどこかを押すと痛がる、だからそこに病気があるだろう、くらいにわかりやすければ医学生でなくともすぐ覚えることができる。しかし、診察というのは奥が深い。

「患者を左側臥位にする(左向きに寝かせる)」

「右下腿を伸展させる(右脚をピーンと伸ばしてもらう)」

「股関節を過伸展させる(脚を伸ばしたままおしりの方向に(医者が)手で押して反り返らせる)」

「右の下腹部に痛みが出れば腸腰筋に炎症がある」

くらいのものが山ほどある。これは大変だ。患者と医者が協力していろいろ手順を踏まないと、筋肉の異常ひとつ感知できないというのだから難しい。実際、昔の医者はこういうのをひとつひとつ覚えて、ベッドで患者に診察をしていった。


しかし現在このような手技は、(いくつかは便利に用いられているけれど)少しずつ廃れつつある。……なーんて言うと、歴戦の内科医や外科医は間違いなく怒るのだが、現場の実状としてはこの30年で大幅に廃れた。「名医」でないかぎりできない診察、というのが増えてきていることは間違いない。では現代の医者は診察なしにどうやって医療を行っていくかというと――

超音波やCT、MRIを使う。

画像検査をすれば良い、という考え方だ。

しかしこれがまた泣かせる話につながる。

「診察だろうが画像だろうが見逃しはある」

ので、めんどうなケンカが起こる。


臨床現場ではたまに「画像では見逃していたが、名医があとから丁寧に診察したらわかった」みたいなケースがあるのだ。そういうときは、名医が鬼の首をとったように、

「ホラ! 若い医者はすぐ診察を軽視して画像に逃げるけれど、こうして、画像で見つからない病気だってあるのだ!」

と説教をする。しかしこれはぶっちゃけずるい言い方である。なぜなら、逆のパターン、すなわち「診察では捉えきれないけれど画像検査では見つかる病気」も山ほどあるからだ。

けっきょくのところ、身体診察と画像検査というのはお互いが補い合うものである。どちらかをやればどっちかは省略できるという類いのものではない。

となると今の医者は、診察も覚え、画像も覚えるしかない。覚えることが増えていけば自然と……少なくとも「空前絶後の記憶力」がない限り、必ず何かを取りこぼす。

では空前絶後の記憶力を持っている医者というのはどれくらいいるのか? じらさずに答えを言えばそういう人はいない。「いない」。大事なことなので2回書いた。人間の脳には限界がある。これは自明である。円周率を5万桁暗記できる人が世の中にはいるらしい(適当に書いていますが)。それがどうした。現在、円周率は100兆桁まで計算されている。つまりは人間の脳なんて「世の中の真理の一部分をかするのが精一杯」である。

では膨大な診察技術と、増え続ける画像診断学にどうやって対応するのか? 人間の脳がすべてに対応するのは無理、であれば、一部をコンピュータに肩代わりしてもらうことになる。こうしてさまざまなAI(人工知能)技術が臨床現場に入ってくる。


AIがいれば人間は働かなくていいと思っている人の数はだいぶ減ったと思うが、まだいるようだ。ところが話はそう楽観的ではなくて、AIと脳とを両方全開でぶんまわしてもなお医療というのは奥深く、AIのサポートなしでは厳しいのはもちろんだが、AIだけでも対応はできないのである。実際に開発に携わってみればわかる。診断精度が99%のAIも、1%外すのだから怖くて怖くて。

診察、画像診断、それらを統合するAI、どこまでいっても、「ああ、なんかまた増えたなー」というのが現状の医者の実感なのである。ただまあ今までの画像診断と比べてもAIはかなり強力だ。モビルスーツでいうとガンダムくらい圧倒的である。だからといってガンダム一機では戦争は終わらずアムロもシャアも延々と新機種で戦い続けていたのだ。AIはガンダムである。「最後の(戦争を終わらせる)ガンダム」というのがいないことを考えれば、AIがすべてを置換する未来はこないだろうなということが遠回しにわかる。


将来もっともっとAIが進歩するとどうなるか? 未来のAIはきわめて合理的な判断として、「診断を確定させるために○○科の医師が診察をしてください」などと命令を下したりもすると思われる。「エコープローブをこの位置にあててください」とか。将来、医者という職業がこなす仕事の一部は順次AIに置き換わっていく、これは間違いない。診察が少しずつ画像に駆逐されているのと似ている。そして診察が今でもなくならないのと同じように、人のやる仕事も一部は残るだろう。

昔ながらの内科医は言う、「今なお診察はとても重要だ」と。まったくそのとおり、しかし、きれいごとはともかく、今の若い医者は診察がへたくそなまま医者になり、それでなんかうまいことやっている。

AIというのもそうやって、診察や画像診断を少しずつ、少しずつ置換していく。

最終的に医者の仕事はどこにたどり着くかって? 患者とていねいに腹を割って会話をして、日々の生活をどうしていくべきかと落としどころを相談するカウンセラーとしての役割……これはAIにはなかなかできない。「人間味」がいるのだ。ペッパー君にはぼくらの気持ちはわからない。もっとも、患者とのトークスキルは看護師のほうが高いけれど、「医者が偉そうにしゃべること」で納得する患者もいるので、医者が話すという役割はなくならないだろう。

あともうひとつ。現代の患者の苦しみをどうやったら解消できるだろうと、病気や症状を研究して、新しい診断や治療のありようを開発していく仕事。これが一番なくならないだろうと思う。


https://news.yahoo.co.jp/articles/a54a52c5b8953447331184ecb799f621bc44fc82 

上記はスイスの研究機関による報告……のヤフーニュース。これによると、

【ロボットやAIによって消えるリスクが低い仕事】

 1位 物理学者

 2位 神経科医

 3位 予防医学専門医

 4位 神経心理学専門家

 5位 病理医

ということだ。1位が学者である。学者の仕事はAIでは置換不可能だろうというのはわかる。2位以下は医者・医療従事者だが、神経科医・予防医学専門医・神経心理学専門家というのはいずれも、「難治もしくは長い目で患者と関わる必要があり、患者との関係が複雑になる科」なのですごく納得できる。その次に出てくるのが病理医だ。

ここにはいわゆる内科医も外科医も、産婦人科医も小児科医もランクインしていない。手術はAIに代わられる。あるいは、AIが指導し、手先の技術は専門の技術職員が担当する、ということでいける。「手術士」みたいな資格が別に登場するのだ。手術士になるには勉強も大事だがとにかく手先の技術が必要。e-sportsのランカーレベルの人が就職する人気の職業になるかもしれない。それは医者である必要はない。外科医の仕事は細分化されていくだろう。手術のために診断をする仕事と、入院患者を病棟で管理する仕事、そして、AIが対応できない「緊急オペ」……いや、緊急オペこそAIの出番だろうし、ロボット手術が当たり前となった昨今、緊急時だけ上手に手が動かせる「医者」というのがなかなかイメージできない。徒弟制度で大学卒業後からすぐにシミュレータで手先の訓練をしまくるタイプの職業が新設されるべきではないかと思う。外科技術が医者の手に残る可能性は低いかもしれない。そう考えれば、このランキングの中に外科医が入ってこない理由は納得できる。

そして第5位に病理医が食い込んでくるというのがおもしろいし、ぶっちゃけぼくには納得できるのだ。病理診断AIがこれだけ開発されている今、それでも病理医という職業が残る理由。それは病理医の本質が「学者」だから、あるいは、臨床医とトークすることで進めていく仕事だから。

元論文を読んでみたかったが、有料なのであきらめた。ほかの論文では病理医がなくなると書いてあるかもしれないから、ま、今日のはあくまで「話半分」で。