世のファスト文化はますます加速している。YouTubeにもNetflixにも倍速視聴機能が標準で搭載され、誰もが便利に使っている。
先日、某通信系予備校のオンライン講義すら倍速再生が可能だと聞いて、たまげた。
娯楽はまだしも、教育・学習でも早送りするのか。いや……まあ、わかるのだけれど。
倍速視聴が流行る理由はさまざまに語られる。よく言われるのは、コンテンツ数が多すぎて、友人・知人との会話の「あれ見た?」に「見た~」と返すのが(通常の視聴のやり方だと)難しくなった、という話だ。
「あれ見た?」からはじまるコミュニケーションは思いのほか多い。共通の話題があれば仲良くなれるというのは、現代の日本に限らず普遍的な理屈だろう(先日読んだ人類学の本にもそういうのがあった)。
若い人たちは、倍速視聴や切り取り文化を駆使してはじめて、クラスメートや同僚と共通の話題を得てやりとりができる。ファスト映画などの(ときに違法な)やり方が、取り締まられながらもなくならない理由も、肯定するわけではないが理解はできる。
しかし、「動画を倍速で見るのに慣れたから、講義で講師のしゃべるスピードが通常だと遅く感じてしまう」というのもすごい話だ、そこには飛躍があるように感じる。
教育も倍速でやってしまってよいのだろうか?
「昨日の三角関数見た~?」
「(切り取り+倍速視聴で)見た見た、要は余弦定理が神」
「それ」
「わかる」
地頭がいい方々はそれでもいいのかもしれないが、倍速で入力したものがそのまま倍速で脳内構築されるわけではないと思うので、「ファスト教育」は長い目で見ると効率が悪そうだ。
でもいったん短い動画に慣れちゃうと、もう、学会や研究会の講習動画とか、かったるくて見てられないのかもしれない。となると……これからの学術教育は、倍速対応していないとだめ?
いやー、病理組織学の講習を倍速でというのは、さすがに無理があるんじゃないかなあ。情報密度が高すぎるよ。
今どきの若い人は倍速で情報を入れるのに慣れているはず? でもそれは多数のコンテンツを一時的に脳内に格納して、コミュニケーションに用いたらすぐ廃棄していくような、回転数の早い情報消費に慣れているだけのことなんじゃないの? 2年前に流行った映画(例:鬼滅の刃)の話とか、常速で反復視聴するようなゴリゴリのオタクを除けばほとんどの人はやってないじゃない。
うーん。問題をもう少し細かな粒度できちんと観察してみたほうがいいかもしれない。
そもそも若者のすべてがコンテンツの倍速視聴に慣れたわけではなかろう。たとえば音楽なんていうのは速度をあげるとまるで別モノになってしまうから、流行りの曲を聴こうと思ったらそこで必要なのは速度変更ではなくて「サビだけ切り取る」である。つまりは切り取り文化。若い人の中には、「べつにあらゆる動画を倍速で見ているわけではないですよ(笑)(ただし一部しか見ないけど)」という人だっているだろう。
すると、学術講演を1時間やりますと言ったときに必要なのは、学会にお願いして動画に倍速視聴ボタンを付けてもらうことだけではなくて、「切り抜き動画を作ったらどうか」という話になるのである。講演を切り抜くだって!? そんなバカな! と声を荒らげる講師もいそうだけれど、そもそも講師の側だって、「Take home message」と称して、講義の最後にここだけは覚えておいてくださいとメッセージを発するではないか。切り抜き文化自体は別に新しいものではない。ただし、それを以前よりも鋭く利用する視聴者が増えているということをもっと我々中年の側は考えておかなければいけない。
あと、鍵になってくるのは書籍かな、とも思う。自分のスピード、自分の編集でコンテンツを摂取できないとストレスに感じる人にとって一番いい入力方法は書籍だろう。読むスピード、ページをめくりはじめる場所、どこをすっ飛ばすか、すべてが読み手に委ねられている。倍速編集も切り取りもしなくていい(それでも切り取りが求められることがある、何かといえば、書評である)。
動画は便利だが、作り側の意図したスピードや編集点と視聴者側とがマッチしないと情報がフルでは伝わらない。通常速度での通し再生をする機会が減ってしまった今の若い人たちの動画は、コミュニケーションと娯楽のためにひらかれているが、教育的にはどうかと思う場面を目にする。
だから、本だ。きっと本だ。やっぱりいい本を作り続けよう。
……ここまで書いていて思いだした。
「神脳」と呼ばれる教育系(あるいは秀才系?)のYouTuberが、何時間も勉強しているシーンをただ耐久配信している動画、というのがある。学生さんが、自分が勉強する横にスマホを開けば「神脳」も一緒に勉強している、という状態をつくるのに使っている。けっこう人気だ。
じゃあ病理学を教える講師も、いっそライブ配信で病理学の勉強をする姿を実況すればよいのか。
切り抜かれて終わりそうだ。「ヤンデル先生ロビンス病理学通読まとめ」。見どころ少なそう。