2022年6月15日水曜日

後ろ向きな利己

気の進まない仕事をいくつかこなしながら、こういうのを下に押しつけるようになったらやべえなと思いつつ、この年齢でこのストレスをずっと受け続けていると心臓あたりに悪影響が出そうだからちょっとくらい負担を下に持ってもらっても大丈夫かな、なんてことも考えて、でも結局最終的には「そんなことを考えているヒマがあったら自分でしっかり泥をかぶるべき」といういつもの結論に至る。利己と利他のはざまで圧を感じながらバランスを取っている。ただしさすがに疲労が蓄積してきたとみえる。体が悲鳴を上げ始めている。


先日、胸の苦しさで目が覚めた。起き上がってうずくまっていると痛みは遠ざかっていった。狭心症にしては持続時間が長い気もしたが、心筋梗塞にしては治まるのが早い。体を起こすと楽になるというのも、心臓にしてはおかしいと思った。心当たりはある。前日、寝る前にちょっと腕立て伏せをした。めったにしない運動。その筋骨格系の痛みがベースにあり、日常のストレスによる自律神経の不具合が重なって、痛みを感じる閾値が狂い、寝返りの都合で多少胸元が進展されたときに過剰に痛みを感じた、といったところではないかと思う。ぼくは冷静な医師なのでここまで考えて安心を、

……できなかったので翌日循環器内科を受診した。ただしその経過も決して一本道ではなかった。ぶっちゃけはじめは病院になんか行かずに普通に出勤してしまえ、と思って実際普通に出勤した、まあ、出勤先も病院なのだけれど、そこは話がこんがらかるから置いておくとして、とにかく朝からいつも通りバリバリ働いているうちに、最近の労働時間は心疾患で頓死してもおかしくないレベルなんだよなとふと気づいてしまって、じわりと不安が増してきた。もう胸は痛くなかったが、不安というか焦燥感は昨晩よりもむしろ強まったようにも感じた。胸を触るとなんとなく肋間神経痛的な痕跡を感じつつ、記憶の中の痛みが蘇るような気がして、ついうつむき加減になった。そして胸はともかく疲労がひどい、それはもしかすると夜中に目が覚めたために単純に寝不足だったからかもしれないけれど、なんだかもうこれは無理なんじゃないかな、といろいろとあきらめて、仕事を他のスタッフに振って、どうしても自分でやらなければいけない仕事だけを片付けて、昼すぎに病院(まあ勤め先なんだけど)の外来を受診した。けっこう待たされた。症状のない職員は後回しになって当然である。

血圧を測ってやや高いと言われ、採血して尿をとって心電図をとりレントゲンを撮影、この春あたりに赴任したと見える顔を存じ上げない循環器内科医にやさしく説明を受けた。トロポニンIもCKもWBCもまったく上昇していない。心電図上も見るべき異常は無く、経過を考えても心エコーまではしなくてよさそうだということになった。あいかわらず血圧とコレステロールだけが高い、そろそろ薬を飲みますか、ええ、飲みます、とそんなかんじで診察は終わるかと思われたが、念のため「冠動脈CT」まで撮った方がいいでしょうとの判断に至った。現時点での病名は「狭心症(疑い)」、しかしまあたぶん違うんじゃないかなとぼくの本能が告げている。胸の不安は少し去り、このブログを書いている時点でまだ画像の結果は出ていないけれどたぶん最終的には血圧と脂質異常の薬をもらう「かかりつけ医」をひとりゲットしてこの騒動は終わる気がする。ぶっちゃけ「なぜ胸が痛んだのか」はわからないままだが、それをわからないから不安だと考えるほどぼくは医学知識が乏しくない。病名など付かなくてもいい。あのヤバいやつやこのまずいやつでなければ、今の所はこれでいい。おまけに、結果として、これから内科的な処方をきちんと考えていけるわけだし、ま、受診した甲斐はあったということである。(追記:その後結局狭心症(疑い)病名は外れることなく、現在は発作があったときの薬を携帯しつつ、血圧が高め安定だったので血圧の薬も飲むことになりました。)


以上はごくありふれた「かかりつけ医を得るまでのこと」。そのきっかけはあくまで自分に起こった些細な……しかしその瞬間は自分的にかなり決定的な出来事なのではないかと疑わせるような強い不安であった。振り返って見れば、ぼくのあのときの不安は過剰だった、もう少し様子を見てもよかった、何もせずに時間の経過にまかせても結果は変わらなかった。しかし、


「この不安と一人で戦うのがいい加減めんどうだな」


と、中年らしい疲労をもって何かをあきらめたことが結果的に、「薬をもらい続けるために長く付き合うことになるだろう主治医」へとぼくをつないでくれた。


利己と言っても前向きな利己と後ろ向きな利己があるのではないかと思う。ああ、もう、めんどうだからあとはお医者さんなんとかしてくれ、にたどり着くことなしに、ぼくにこれらの薬を飲む日が来ただろうか? ぼくは自分の体調を「前向きに」おもんぱかって医者に行くような人間だったろうか? そうは思わない。ぼくはあくまで、「あーもうめんどうだからプロにまかせて楽をしよう」という、ひどく後ろ向きな利己精神によって、ブツブツ文句を言いながら医者にかかったのだ。これまでぼくら医者は一般市民に向かって積極的に「気軽にお医者さんに行ってね♥」と医療啓蒙などをやってきたが、当の自分は、「病院に行くめんどうくささ」と「病院に行かないめんどうくささ」とを心で戦わせて、「病院に行かないほうがよけいめんどうじゃねぇか」までたどり着かなければ決して受診なんてしなかったのだから、ちょっとなんか、みんなごめんね、でもこういうのが人間じゃないのかなあ、と、言い訳したり開き直ったりをくり返しているところなのである。