2022年6月30日木曜日

病理の話(672) コミュニケーションするかしないか選べるということ

病理医の仕事において、「主治医とのコミュニケーション」はかなり大事だと思っている。顕微鏡を見て考えたことを診断書(レポート)に書き、病名や分類を正しく伝えることで、ぼくは、はじめて医療の役に立てる。


しかし、中には、「人とあまりコミュニケーションしたくないから病理医を選んだ」という人もいる。顕微鏡を見て、教科書と見比べながら、ひとり静かに考えて仕事をすることに魅力を感じてこの世界にやってきた人。


たしかに……そういう働き方もまた、可能な世界だなあと思う。



最終的に主治医に診断内容を伝える段になっても、たとえば箇条書き、リストの穴埋めみたいな感じで、日本語を練り上げることなくチェックを入れていくようなやり方もある。

「毎日主治医と電話で相談しながら病理診断をする」というのは、別にスタンダードではない。ぼくがたまたまそうやって働いている、というだけのことだ。


このことは、病理の世界を考えて行く上で、けっこう大事なポイントかもしれない。


ぼくは、自分の執り行う医療のポリシーとして、「コミュニケーションを重視する」ほうだけれど、これはじつは、「コミュニケーションを絶対善と考えている」わけではない。

コミュニケーションをとるのが苦手な、あるいは、嫌いな人に、「この世界でも必ずコミュニケーションを取りなさい、そうしなければ病理医としては働けない」と言いたいわけではない。

というか、むしろ、病理医とは、臨床医の仕事とくらべて、「コミュニケーションを多くとる・あまりとらないを選べる仕事」である。



ぼくは自分の病理診断を多くの人と共有し、臨床医のもつ疑問を吸い上げて一緒に悩むことがこの仕事の醍醐味だと思っている。

しかしその一方で、たとえば病理AI(人工知能)の研究をしているときは、ひたすらバーチャルスライド(PC上にとりこまれた病理画像データ)とにらめっこをし、論文を読み、書き、少数の共同研究者とだけSlack上でディスカッションをするだけである。1日ほとんど無言のまま働いていることもある。

たぶんこの「コミュニケーションをとる回数を減らせる」ことも、間違いなく病理医の特性のひとつである。




よく若い医者に言う言葉がある。

「君ら臨床医が、手技や処置を覚えるために毎日汗をかいているのを本当に偉いと思う。そして、ぼくら病理医は、その技術研鑽の時間をほとんどすべて、読んで考えて書くことに使える。だから、病理医は、どんな臨床医よりも、読んで考えて書くことが得意じゃなきゃいけない。そうしなければ臨床医と同じ免許を持って働いている甲斐がない」

この中に「コミュニケーション」という要素はあまり入っていない。

ぼくはたぶん、病理医に特有の、「プレパラートと参考文献としかコミュニケーションしない時間」のことも、たぶん好きなのだ。



だから、コミュニケーションが苦手だなと思っている人にも、ぜひここを味わって欲しいなと思う。