2022年6月20日月曜日

病理の話(668) 頭の中でポジとネガを入れ替える

画板に画用紙をはさみましょう。

あの……上のところに、指を挟んだら痛いタイプのでかいクリップがあるでしょう。トムとジェリーに出てくる、チーズを取ったらシッポをバチン! と挟む罠みたいなやつ。あれに画用紙をはさみましょう。

白くてちょっと粗い「地」の紙に、風景を模写していきましょう。

あなたの前には大きな木があります。それを描きましょう。

鉛筆であたりをとるところからはじめましょう。

木を描くときには、葉っぱの外側の輪郭を描くだけではなくて、幹や枝も描き込んでみて、その上に葉っぱを重ねていった方が、立体的な樹木のありようがよりリアルに描けます。そうそう、根っこもあることを忘れないでください。もちろん土の中は見えませんが、きちんと大地に根を張っていることを意識して木を描いた方がいいです。


葉っぱが光合成をしてつくった栄養が、枝を通って樹木全体に行き渡っていきます。

根っこから吸収された水分も、幹を通って葉先まで行き渡っていきます。



……と、こうして、画用紙の白い「地」の上に、木という「図」を描いていくわけだ。

自分で手を動かして描いた木は、幹、枝、葉、根、さらにはその木に留まる鳥や虫たちまでも、なんとなく思い入れがあるし、どこがどうなっているのかをしっかり考えることができる。

で、このとき、忘れがちなのが、じつは「地」の評価である。

木の背景となる空間を、白のままにするのか、青く塗るのか、それとも夕焼けの色に塗るのか。後ろにも森があることを意識させるためにうっすらと灰色っぽく、あるいは濃紺や深緑に寄せた色を付けるのか。

熱心に木を描くことだけ考えていると、背景をどうするかがおろそかになる。そして、描き込まなかった背景の部分は、あとから思い出して付け足そうと思っても、「そもそもちゃんと観察していない」ので、うまく描き込めないし記憶に残らない。



なんと、病理診断にも同じ現象が存在する。

顕微鏡で見た細胞が、木の幹や枝、あるいは葉っぱに相当する構造を作ることがある。導管とよばれるダクトのような構造や、腺房と呼ばれる「葉っぱに相当する」構造はさまざまな臓器に認められる。乳腺、膵臓(すいぞう)、肝臓、唾液腺(だえきせん)。

これらを観察して異常をみつけだすのが病理医の仕事なのだが……。

病理医になって10年未満くらいの人は、「図」の評価が精一杯で、うまく「地」(背景)を観察できていないことが多い。

図を頭の中で描くのに必死で、地まで意識がおよばないのだ。

そして、この、地の部分にも情報がかなりある。



炎症細胞がどれだけいるか、はわかりやすいほうだ。木に対する虫や鳥みたいなものと考えるとよいだろう。しかしそれだけではない。

浮腫(ふしゅ=むくみ)がどれだけあるか。膠原線維(こうげんせんい)が増えていないか。それらの元になる線維芽細胞(せんいがさいぼう)がどれくらいあるか。細かな血管はどうなっているか。

これらを見極められるようになると、病理診断のキレ味は2倍くらいにアップする。さらに言えば、「病理プレパラートから発想した基礎研究」にもめちゃくちゃ役に立つ。

ただ、言うほど簡単ではない。「図」を解析するのはちょっと勉強すれば誰でもできる(学生でもできる)、まあ、極めるにはそれなりの訓練がいるにしても、見て考えるだけならそんなに苦労はない。しかし「地」の解析はかなり難しい。

「地」に目をやるというのは、写真のポジとネガを入れ替えるくらいの「脳の切り替え」を必要とするからだ。あっ、ネガフィルムなんて今は死語なのかな?




先日日本から出た、とある研究論文。

https://www.nature.com/articles/s41467-022-30630-y

心臓の中にある「心筋細胞」という「図」と、その背景に存在する「線維芽細胞」という「地」との相互作用が心不全というよくある病気において重要なのではないか、とするものだ。

このような「地図両方をみる」研究は、骨髄や消化器などでは10年以上前から行われていたのだが、心臓でもやれたんだなあと思うと感慨深いものがある。ただ、言うほど簡単な話でもない。ネガに目をやれる研究者がいたんだな、それはすばらしいことだ。