2021年11月19日金曜日

ときどき考えときどき存在

ブログに書くことがない日というのはない。なぜなら考えていない日というのがないからだ。ただし、この記事をどれだけの人が楽しく読んでくれるだろうか、ということを考え出すと、とたんに「書けない日」が出てくる。

何かを書ける、書けないという切り分けをするにあたって、人の目線、他者からの圧力みたいなものが決め手になる。

いや違うぞ、他人はどうでもいい、うちなる自分がその文章を良いと思うかどうかだ、みたいな話もあるだろう。そういう人は自分の中に「自分を客観視するもうひとつの人格」を作っている。でも、内部に自作の他者を用意してそこからの目線と圧力をバネにものを書いているわけで、うん、別に、たいして変わらないんじゃないかな、と思わなくもない。

厳密なことを言えば、自分が用意した「内にいる他者」は、偶発的に飛びかかってくる予測不可能の「外の他者」とは異なる。所詮は自分が作り上げた他者なんて、自分の想像の範囲内におさまることがほとんどだろう。そこがつまらないなと思う。「自分が自分の文章を良いと思うかどうかだ」などというセリフ、一見高尚なことを言っているかのようにも聞こえるけれど、なんだかたいしたことがない気もしてくる。自分の予測が及ぶ範囲で納得できればいい文章だなんて。

本を作る上で、編集者に伴走してもらうことの必要性は、こういうところに端を発しているのだろう。

ところで唐突だが「日記」の話をする。日記は他者はおろか、内なる他者、すなわち自分自身が「つまらんな」と思いうような内容でも一切かまわない。「書くことがあるかどうか」だけがポイント。人間が考えない日というのはないので、日記を書けない日というのは存在しないことになる。

しかし「日記的散文を載せているブログ」となると話は複雑になってくる。「どう読まれてもかまわないしそもそも誰も読んでいなくてもよい、誰かに何かを与えることも考えずにただあったことを書いているだけだ」という文章が持つ、「見られたさ」みたいなもののことを最近よく考える。誰も見ないのを良いことに、あったことと考えたことを好き勝手に書く、という「恣意」には多くの人が気づいている。他者の反応を受け入れませんよ、という宣言のわりに、他者のニーズに応えませんよ、という看板のわりに、日記的散文というのはしばしば他人からの反応をもって変節していく。どうもこのあたり、人生だな、と雑にまとめたくなってくる。

ところで、Twitterの可能性は「日記」ならぬ「秒記」にあると感じる。つぶやくという単語の根底にあるニュアンスは日記のそれに近い。そして、人間に「考えていない日」というのがないように、じつは「考えていない秒」もないとすると、そこから漏れてくるものを書けるものなら書こうかなと思う人がTwitterにハマっていくのだろう。ツイートを人に見せて商売がどうとか、反応をもらって引用RTしてどうとかいうのは、日記を切り売りするということに近い。






ポール・ヴァレリーという人は、デカルトの「我思う故に我あり」に皮肉をぶつけて、「じゃあ私はときどき考えているからときどき存在しているよ」と言ったという。元ネタをどこで読んだのか忘れてしまったが10年以上前、ぼくはTwitterという秒記の存在意義は「ときどき考え、ときどき存在」にあるのではないか、と考えていた。今ふと思ったけど「秒記」とは「病気」と同じ発音である。

2021年11月18日木曜日

病理の話(598) がんばれお医者さん

医者になって5年目とか7年目とかになると、「論文」を書かなければいけない。


……いや、ま、書かなくてもいい。毎日患者と向かい合って真摯にベッドサイドで奮闘していけば、それで医者としての最低限の仕事は果たせる。……たぶん。おそらく。


でも本当はそれじゃだめだと思う。医者は、患者に真摯に向かい合う「ために」論文を書かなければいけないのだ。


なぜなら、あらゆる医者は、「他人が書いた論文(や、教科書)」の御利益ではたらいているからである。




すっかり有名な言葉になってしまった「エビデンス」という言葉。まるで古代ローマのコロシアムみたいな雰囲気の単語であり、重厚・絶対のニュアンスを感じるわけだけれど、エビデンスというのは別にカミサマが用意してくれた石板に書いてあるわけではない。ぜんぶ、先達(せんだつ)の医者たち・研究者たちが、しっかりと研究をして、論文を書いて、その結果をさらにまとめあげて教科書などにして、歴史とともにできあがってきたものだ。

たとえば、ある病気を医者が見抜くために、いくつもの身体診察、血液検査、CTなどの画像検査を行うわけだけれど、このときに、


「お腹をおして痛がったらこの病気かも」


とか、


「血液データでこれとこれの値が異常だったら要注意かも」


とか、


「CTでこの臓器に何かができていたらあるいは……」


みたいな話は、全部、本当に全部、誰かが過去に論文にしている。


だから医者は安心して、「過去の論文によれば、この血液データとこの血液データが異常なこの患者に、こういう所見がとれたら、こう診断して、こう治療をすると、けっこうよくなる」ということを言える。


論文になっていない医学などあってはいけない。

数千、数万、数十万、ときには数千万人という規模の「過去の医者」が、とっかえひっかえ苦労して編み出した手法を受け継いでおくことがどれだけ大切か。仮にその病気の患者を過去に診たことがなくても、医者が先人達の知恵を使って戦うことができることの、尊さたるや……。



というわけですべての医者は論文や教科書をきちんと理解して診療に臨むのだが、このとき、論文という専門の文章を読むにはけっこうエグいコツがいる。


情報量がとても多いし、クセがあるし、難しい言葉や概念も用いられている。だから、「論文を読みながら医者として働き続ける」にもけっこう訓練しなければいけないのだけれど。


この、「論文を読むための訓練」として、おそらくもっとも有効なのが、「自分でも論文を書いてみること」なのである。フラジャイルの岸京一郎も宮崎に同じことを言っていた。「何本か論文書いてみればわかるよ」と。




過去の医者が、どういうプロセスで、どういうデータを集めて、どう考えて論文にまとめたのか。その表と裏の部分。ひだとひだの間に隠れたニュアンス。現場でしか体感できない空気のようなもの。これらをまるっと理解しようと思ったら、早いうちに論文を書くに越したことはないのだ。だから、医者になって5年目とか7年目とかになったら、「論文」を書かなければいけない。多くの指導者はそう思っている。



まあ人生が一番忙しいころでもあるんだよね、5年目とか7年目というのは。長い学生生活を終えて初期研修、後期研修と終わって、ようやく収入が安定しつつあるころだ。もっとも若くても31歳、それまでのキャリア次第では30代後半とか40代なんてこともザラ。ふつうの企業人だとそろそろ仕事も任されまくっているころなのかな、とか妄想をふくらませながら、医師免許をとって5年以上が経っているのにまだ上司に言われて論文を書かなければいけないんだから、たいへんだ。でも、これをやるのとやらないのとでは、「その後の伸び」がだいぶ違うと思う。がんばれお医者さん。

2021年11月17日水曜日

太ももがむちむち

集合写真を撮った。病理診断科のスタッフ、病理医3名、技師5名、助手1名の合計9名がスマホのカメラに写る。となりの検査室からスタッフを1名借りてきてシャッターを押してもらった。


撮られた写真を見てみると、辺縁の部分が魚眼レンズ的に少し湾曲していた。スマホの設定を風景用などに変えておくべきだったかもしれない。まあ、用途はしょせん「大学の基礎講座に送って教室だよりに載せてもらう」だけなので、これでもよかろう。


写真に写った自分を見る。椅子に座って太ももの上に拳を置いている。太ももが少しむちむちしている。写真の写り方の問題、というよりは、パンツの素材のせいかもしれない。GUで買った3000円しないパンツだ。


写真なんてめったに撮らないのでこういうときにあっしまったなと思う。




写真のためにみんな一瞬マスクを取った。しかしシャッターを押される寸前に、今のこの時期を記録に残すためにマスクをしたままでもよかったかもしれない、と少しだけ思った。そして次の瞬間には、「こんなもの記録に残してやるもんか」という意地のようなものがムクムクと湧き上がってきた。そして、よく考えるとおそらく今後病院では一生マスクを外すことはないので、この時期もなにも、今に限った話じゃないんだろうな、と思い直した。


新型感染症対策のために手洗い・マスクを遵守し、患者の面会を謝絶した結果、院内で発生する肺炎の数が減って驚いたのは、もう1年くらい前のことだ。結局は、今まで、持ち込んでいたのだろう、さまざまな感染症を、人が。そういうことがわかってしまった今、病院に勤める人間がマスクを外すことは、一部の必要な例外を除いてありえない。マスク以前とマスク以後は完全に分かたれた。


とは言え、ケアの現場では医療者の表情を伝えることが実益に結びつくこともまたよく理解できる。決めてかかることはないのだろう。50年もすればマスクも手洗いもありがたみが薄れてくる……のかもしれない。どうだろうな。防災意識くらいには残るのだろうか。


シャッター音が響いて、みんながそれぞれの仕事に戻り、ぼくはしばらく考えていた。「今を残すこと」とはなんなのだろう。変わっていく未来に、変わらぬ止め絵を贈る行為とはいったいどういうことなのだろう。たとえば10年後にぼくが今より痩せていたとして、この写真を見て、太ももを見て、マスクを付けていない顔を見て、そのとき何を感じるのだろう。写真ひとつにぶつぶつとものを感じるのも今だけの価値観なのかもしれない。あらゆる細胞が入れ替わり、おそらく考え方も変わっている10年後のぼくは、果たしてぼくと言えるのだろうか? 言うしかないにしろ。

2021年11月16日火曜日

病理の話(597) 病理医になる方法

1.まず大学の医学部に行きます。全国どこでもいいです。病理医になれない大学というのはありません。ただし、なかには医学部がさらに「医学部医学科」と「医学部看護学科」などに分かれている場合があります。「医学部医学科」を出ないと病理医にはなれません。

(※例外:歯学部を出ると口腔病理医になれる。獣医学部などを出ると獣医病理医になれる。けどその話は今日はしません)


2.医学部に入ったらほかの学生と同じように勉強します。6年間あります。卒業時に国家試験を受けて合格しましょう。医師免許が手に入ります。


3.医師免許を手に入れたら初期研修(2年間)をはじめます。内科、外科、麻酔科、救急診療、産婦人科、地域医療、精神科、小児科など、ひととおりの科を巡って病院とはこういうところなのだ、医者とはこうして働くのだということを頭に刻みつけてください。


4.初期研修の最中に、先輩病理医たちを探しましょう。大学にいるかもしれません。ふつうの市中病院にいるかもしれません。いないところでは教わることができません。教わらなければ病理医にはなれません。じつは、病理医は独学では絶対にたどり着けない資格なのです。なぜなら、病理専門医になるためには「解剖経験」が必要で、解剖は本で読んでもできるようにはならないし、そもそも死体解剖資格という国家資格を持っている人がついていないと執刀できないからです。だから病理医の先輩がいないとそれ以上先に進めません。


5.病理医がいるのは大きな病院が多いです。目安として200床くらいの規模から病理医が常勤している可能性が増します。300床を超えたらたいていはいます。500床を超えて病理医がいなければその病院は精神科や循環器科がメインのやや特殊な病院なのでしょう。初期研修を大きな病院でやる必要はないですが、その後のことを考えると、さいしょから大きめの病院で研修しておいたほうが、病理医を探しやすいかもしれません。


6.病理医を見つけたら相談しましょう。電話かメールで連絡し、あるいは院内で直接話しかけるなどして、アポイントメントをとって、空き時間に進路の相談をします。現場で働く病理医はたいてい、複数の病院の病理医や大学病院の病理部と連携しているので、どこで研修すればよい病理医になれるかという情報を持っているものです。そういう情報を持っていなさそうな病理医もいますが、少し話をするとだいたい区別がつくと思います。


7.初期研修(2年間)が終わったら、いよいよ病理医としての「後期研修(3年間)」をスタートさせましょう。令和3年現在、後期研修先としては基本的に大学病院がおすすめです。市中病院だと取れない資格や経験できない診断があるからです。市中病院から大学に通って教えてもらうのは慣れていないとけっこうハードルが高いです(うまく調整してくれているなら別)。でも、大学で研修をしながら、ときどき市中病院に出張したり勤務したりするのはわりと楽なのです。本社から支部に出張するのは気楽、支部から本社に出向くのはプレッシャー、みたいな雰囲気はあります。


8.というわけであなたはどこかの大学病院、あるいはそれに類するレベルのでかい病院の病理部(病理診断科)に無事就職できました。言い忘れましたが初期研修も後期研修も給料は出ますので安心してください。まず、後期研修の開始時に、日本病理学会に入会します。年会費は自分で払うものですが、病院によっては科が研究費で出してくれることもあります(でも最近は少なくなりました)。日本病理学会に早めに入らないと、病理専門医という強い資格の受験要件を満たせませんので注意してください。


9.後期研修では主に3つのことをやります。

    1)基本業務を覚える:切り出し、顕微鏡の使い方、一次診断の書き方

    2)臨床各科とのカンファレンスに出てしゃべる方法を覚える

    3)解剖の経験を積む

    4)論文の書き方を学び、実際に書く

    5)本を読み、論文を読んで、講習会などに出て勉強をする

3つのことと書きましたがリストアップしたら5つありました。このすべてを「好きな順番にやる」のではなく必ず全てやる必要があります。1)だけで後期研修を終えるとあとあと全然働けなくなりますので注意してください。2)カンファレンスでの病理医の仕事をきちんと学ぶ機会は今後訪れません。3)解剖経験は大学にいる間に積み上げないと、病理専門医の受験資格にたどりつけません。4)論文を書かないと病理専門医にはなれません。5)勉強をしないとあなたが医者である意味がわかりません。


10.年によって受験資格が微妙に変わるのですが、後期研修の3年間が終わったあたりで、うまくいけば病理専門医の受験資格が揃います。ただし、人気の研修先だと病理解剖の症例を研修医同士で分け合うために、解剖経験数が足りないことがありますので注意が必要です。病理専門医資格はなくてもしばらくは働けますが、ないままだと晩年の就職が厳しくなりますので、医師10年目くらいまでにはとっておきたいものです。


11.この間、診断をしたり(すべての診断は上司がチェックしてくれます)、解剖をしたり、カンファレンスで奮闘したり、論文をがんばったりしますが、おそらく同時に「出張」も経験することになります。大学病院以外の関連病院の病理検査室におもむいて、現地の病理医といっしょに診断をします。大学とはひと味違った経験ができますのでやっておいたほうがよいでしょう。というか、大学でだけしか働いていない病理医はキャリアの中盤以降に働く場所を探す上でけっこう苦労するので基本的に出張経験はあったほうがいいです。


12.学会・研究会にはなるべく出席しましょう。「そういうのに出なくても、いい病理医にはなれるよ」という人は99.9%の確率で少なくとも臨床医からはいい病理医と思われていません。というか学会や研究会に出ないとふつうに勉強が足りなくなるので病理医として働く上で不都合が生じます。交通費や宿泊費などは、施設の研究費でまかなえないこともあり、自腹になるとけっこうな負担で年間軽く数十万は使うことになります。でも最近はZoomでいくらでも無料で出られるようになりました。かつて、「自腹で行くなんて意味がわからない」などとブツブツ言っていた人たちは、無料になってもZoom研究会に出席していませんので、結局は勉強する気が無い人たちだったのでしょう。


(補遺: 「わりと長い時間、勉強し続けられること」が医学部を出て医者になった人間の唯一自慢できる点だと思っています。一夜漬けで医学部に入れた人はほぼいないでしょう。積み重ねの先に医者になったことを自覚し、医者になってからも「積み重ねる能力者」、すなわちツミツミの実を持つものとして研鑽しながら実戦する、それ以外に医者が、特に病理医が給料をもらって働く価値はありません。)


13.無事、病理専門医になってから、やることはまだまだあります。大学で基礎研究にも興味がわいたら大学院に進学して実験論文を多く書くのもよいでしょう。また、診断に打ち込みながら臨床医と組んでさまざまな臨床論文を作るのもありです。留学を考える人もいます。大学の関連病院など、市中病院に籍をうつして、いわゆる「普通の病理医」として給料をもらいながら医療のために診断を続けることもできます。ただ、個人的には、「病理専門医なりたて」くらいだと市中病院でひとりで診断を引き受けるにはまだ経験が足りていないことも多いと思います。不安も多いでしょうから、大学のコネを使いながら、あるいはネットのコネなども駆使して、複数の病理医がいる施設で引きつづき勉強を続けましょう。


ここまで、医学部6年+初期研修2年+後期研修3年+専門医受験のための追加勉強1~3年でだいたい高校卒業から12年~15年くらいが経過しているはずであり、医師免許を取得して6年~9年目くらいのことが多いです。


しかしここまでの話をぜんぶひっくり返すようなことを言うと、病理医になるには他にもさまざまなキャリアがあります。たとえば大学時代から基礎講座に出入りして病理の人たちと仲良くなって、初期研修の最中からなんとなく病理ムードをムンムン漂わせているとか、逆に医学部ではない大学を出て、社会人になってから医師になろうと思って再受験(社会人ワク)して、そこから医者になって病理医になるとか、いちどはほかの臨床医になったんだけど10年目で病理医に転向した、みたいなパターンもよく聞きます。なのであまり型にはめた考え方をする必要はないのですが、ひとつだけ言うとすると、「どんなルートをとるにしろ、日本病理学会に入会したら一生勉強する気持ちでやっていくしかない」のと、「大学をはじめとするハブ空港的機関を活用し、前後左右に多くのコネを作りながらやっていかないとルートが見づらくなる」ということだと思います。ひとつだけと言いながらふたつ言ってしまいました。

2021年11月15日月曜日

5案の中から

かつて『病理医ヤンデルのおおまじめなひとりごと』(大和書房)という本を出したときの話。担当編集者のWさんが「帯文、どなたかに書いてもらいましょうね」と言ったので、「どなたかというのはどなたがいいんでしょうか」と答えたところ、「そうですね……先生と縁のある人なら誰でもいいと思いますよ」みたいなことを言われた。


なるほどなあと思ってふたりで考えた結果、糸井重里さんにお願いしてみてはどうかという話になり、こういうのってお願いしていいのかどうかもよくわかんないな、と思いながら編集部から一報を入れて頂いたところ、快くお引き受けいただいた。なんかちょっとすげえなと自分でも思った。


で、今日書きたい話はそのくだりではなくてそのあとの話だ。以前にもブログで書いたことがある気もするがたぶん切り口は違うだろうからかまわずに書くと、糸井さんは帯文を、


「5種類」


送ってくださったのである。しかもそれぞれについて「この文章はこういう意図がある」とか、「これだとこのように読まれるのではないか」とか、「私はこの順番でおすすめする」というように、解説やふんわりとした序列がついた状態だった。ぼくは愕然とし、かつ、とても感心した。


このようなやり方がいわゆるコピーライティングとか広告プレゼンの場で行われている一般的な手法なのかどうかはよく知らないし、知ったところで活用する機会もないのだが、本を読んで帯の文章を書いてくださいとお願いした相手が1つ文章を練って送ってくださるだけでもうれしいのに、複数考えて送ってくださったのでなんというか撃ち抜かれた思いであった。


それ以来、果たしてぼくは今後このように、「ひとつの依頼に対して複数考えて提示して相手に決めてもらう」ような仕事をする機会があるだろうか? と、ことあるごとに考えるようになった。


たとえば、臨床医に「学会で発表したいので病理の写真を撮ってください」と頼まれたとき、写真を撮るだけではなくパワポに組んで解説を付けて渡すところまでは毎回やっていたのだが、ここでさらに、「発表する時間に応じてこの写真はカットしてもよい」などのサービス……というか、写真を受け取ったほうが選べるような仕事をできるものかとだいぶ考えた。主治医に頼まれて病理の写真を撮るという仕事は、消化器の研究会を除くと250例を突破したが、消化器系はさらにその倍以上あるのでたぶんこの14年間で700~800回くらいは臨床医の依頼に応えてきたことになる。年間50例とすれば週に一度のペースということだ。まあ市中病院の主任部長としては多くも少なくもないくらいだろう。で、「帯文事件」のあとで担当した100例くらいは、相手が写真を選べるようなシステムにしてみた。糸井システムを採用したのである。ただし、臨床医もヒマではないので、「いいから病理医のほうで決めてくれよ~」という気分になることもあるようなので、それこそ糸井さんがやったように、「おすすめの順番はこうだよ」と仮組みして提示するのがよい。このやり方だと、ただ病理の写真を2,3枚撮ってホイと渡すのに比べて臨床医の満足度が違う。結果的に、学会や研究会でどのような発表をしたのかをあとで教えてくれたり、そのまま共同研究に誘ってくれたりと、めぐりめぐってぼくの得になるようなシーンも増えた。なんだかんだで論文業績も増えており、ぼく自身の勉強にもなるので一石多鳥である。


ただしこのシステム、当然だが1案出すよりも時間はかかる。忙しい中で毎回どっぷり時間を使えるわけではないので理想と現実の落としどころが問題となる。しかし、「もてなし」的な気持ちは、秒単位であっても取り入れることが可能なのもまた事実だ。「やれるときはやろう」と気に掛けておくだけでもだいぶ違う。たとえば、新しいモノを2つ、3つと考え続けることまではせずとも、準備中に思い浮かべて最終的には棄却した「代案」みたいなものを、「メインのアイディアがあるからサブはいいや」と引っ込めるのではなく、そちらもある程度精製して相手に提示し、「いちおうこういう第2案も考えたけど第1案のほうがいいとは思う」みたいにプレゼンしてしまう。これは丁寧にやると相手にとって選択肢を増やすことになるし、思考を追体験してもらってよりよい第3案を生み出すきっかけになったりもする。


かといって、「あのとき5案をくださった糸井さんと同じようになりたい」と、本と末を転倒させるような目標設定では真に相手のオファーやコンサルタントに答えたことにはならないとも思う。相手の依頼によっては1案に絞って強めに提示したほうが全体が引き締まることもある。3000文字の原稿依頼がきたときに、相手が選べたほうがいいだろうと言って記事を5本書いて「この中から選んでください」というのはやはり違うような気もする。さまざまな案の中からひとつに絞り込むためのプロ意識というのも時と場合によっては必要だ。


世の中には「選択」という言葉があふれすぎていて、まるで人間は選択ばかりくり返す生き物みたいな気分になる。実際にはもっと「A or Bでは片付かない、AとBの中間付近で微調整をくり返すやりかた」がいっぱいあると思うのだけれど、それでも、人はありとあらゆる現象に対して無限に思考を続けられる脳を持ってはいないので、ときには事象を簡略化して、「ヘリ」の部分はそぎ落として、A or Bという選択でビシッと物事を前に進めたくなるときもある。選択か、微調整か、そのあたりのニュアンスは、あるいはぼくらの人生に、交互に訪れるくらいでちょうどいいのかもしれないなあと思う。思い返してみると、「5案を提示するけれどこれらにはふんわりとした序列があり、そしていろいろ調整してみていいよ」というのは、選択だけでも微調整だけでもない、絶妙のバランスの上に成り立つ仕事のやり方だったのではないか、と今さら腑に落ちるのである。なお、ぼくはその後いくつかの本から帯文を書くように頼まれたが、どれに対しても必ず5案ずつ提案した。長々と書いてきたがこういうところはわりと正直に真似していく。

2021年11月12日金曜日

病理の話(596) そこに菌はいますか

日ごろ、病理検査室の奥にいて、患者と顔を合わさずにこっそり楽しくやっている病理医のもとに、臨床医がやってくることがある。電話ではなく直接顔を出すからにはそれなりの理由があって、いくつかのパターンがある。困惑気味の顔でわからないことを聞きに来るとか、お調子者の顔で教科書や論文を借りに来るとか、使命感に満ちあふれた顔で共同研究の相談をしにくるとか、ぼくのデスクに常備してあるアメが目的とか。

そして、「あきらかに切羽詰まった顔」でやってくるドクターもいる。月に何度か経験する。



「先生、○○菌は見つかりましたか?」



○○に該当する菌はそう多くないが、ここでは書かない。大事なのは、これが何菌の話かではなく、「あとで病理診断報告書に書かれた『ある・なし』を見ればわかる程度の質問を、あえて病理医を直接訪れて聞き出したくなるくらい、臨床医がハラハラドキドキしている状態」のほうだからだ。



まず、この医者は、患者の不調の原因となっている「病原菌」が見つけられていない。あらゆる検査を駆使しているのに、だ。あらゆるというのはたとえば血液検査だったり、培養検査だったり、PCR検査だったりする。質量分析などのマニアックな方法もある。菌を見つける検査はいっぱいあるはずなのに、何をやっても菌が見つからないというならば、つい「菌が原因ではないからだろう?」と考えたくなるところだ。

しかし、ここが現場の医療の難しいところでもある。「何をやってもなかなか引っかからないが、じつはどこかに菌が隠れている」というパターンの病気は実際にある。このとき、菌が見つからない理由はいろいろである。


1.血液に菌が影響をおよぼしづらい

2.PCR用の検体を採取できる場所にその菌があまりいない(他の場所にいる)

3.体のどこかから検体を培地になすりつけて、菌を培養しようとはしているのだが、じつはこの菌は培地に生えて目に見えるようになるまでに何週間もかかる(発育が遅いのでそれを待っていられない)

4.レアな菌すぎて普通の病院だと検査法がない

5.そもそも菌が原因の病気ではない


「そもそも菌はいない」というパターンは最後に書いた。何かの菌にやられたときに似た症状を引き起こす、「菌が原因じゃない病気」というのもある。しかし、「菌がいるけれど見つかりづらいだけ」という、クライムミステリーみたいな状況もありうるのだ。これだから医療は難しい。




このようにさまざまな理由で「菌が見つからない」とき、医者はどうするか。究極的な答えがひとつある。それは、「菌探しをやりつつ、それはそれとして、今ある病気の状態に対処する」ことである。

もちろん、患者に悪さをしている「原因」がわかればそれだけ効果的な治療ができる。しかし、原因そのものが見つかりきらなくても、今起こっている症状に対して治療をぶつけていくことはできる場合がある。これは「原因探しをあきらめる」という意味ではない。原因は探し続けるが、その間、患者に何もしないでただ延々と苦しませているのはよくない。そして、「治療を入れることで結果的に原因までわかってしまうケース」も考慮する。俗に「診断的治療」という言い方もする。治療することが診断にもつながる、という逆説めいた言葉である。


「○○菌はまだ見つかっていませんが、○○菌の感染とみなしてこの薬を使います。もしこの薬がよく効いたら、検査では見つかりづらいタイプの○○菌感染であったとあとからわかるでしょう。」


推論としてはスジが通っている。ただし、「みなして」の部分では患者はもちろん、医者も緊張する。


こういうとき、主治医は慎重になり、よく歩く。細菌検査室の技師に「検査の雰囲気」を聞きに行き、外注検査会社に新しい検査が出ていないかをたずね、そして、病理医にも話を聞きに来る。

どこか1箇所、だれかひとりでも、「菌の正体」に肉薄している人はいないかと、チームのすみずみに目をくばって考えるのだ。そこまでしてなお、「現在の医療では誰がどう調べても○○菌が見つからないが、しかし、○○菌が引き起こした病気かもしれない」というケースだと考えたときに、主治医は患者とよく相談してから治療を開始する。




さて、このような相談を受けた病理医はどのように答えるべきか。

「○○菌ですか?

→ いました。
  いませんでした。」

のように、いた・いないの2択で返事してよいものか? 

よい。それが仕事である。しかし、それだけでは終わらないのが医療というものでもある。

「菌は見つかりませんでしたけれど、今、どのようにお考えなんですか?」と主治医の相談に乗る。これはおそらく、病理医としてやったほうがいい仕事なのだ。同じ国家資格を持ちながら、違う部門で働くふたりの医師が、それぞれの視座から考えていることをぶつけ合う。あるいは、もっと単純に、「困っている臨床医の話を聞くことで、臨床医の頭の中を整理するのに付き合う」くらいでもいい。



「病理医はいる・いないしか答えられないんだからあまり頼られても困るヨ」みたいなことを言う病理医は、医者としての給料をもらうべきではない。もっと親身になるべきだ、仮にも医者なのだから……くらいのことをぼくはときどき考える。でもこれは言葉が強すぎるので、なるべく言わないし、書かないようにしている(書いちゃった)。

2021年11月11日木曜日

マクロの波動関数

バスを待っていた。ぼくは中学生だった。塾の帰りであった。道を挟んで向かい側にもバス停がある。人はいなかった。その向こうに建物が並んでいて、ひとつはマンションを仲介する会社、もうひとつは……なんだったか忘れたがレンタカーかタクシーか、そこはさほど重要ではないのだが、とにかく会社のビルが並んでいた。そのふたつのビルの前にはある共通点があった。

各ビルの前にはひとつずつ、地面に立てる縦長の電光掲示板のようなものが置かれていたのである。そこには縦書きの文字がおそらく流れていて(車道に向かって表示されているので、向かいのバス停からは何が書かれているのかはよくわからなかった)、おのおのの電光掲示板の上にはそれぞれ明滅する赤いランプがついていた。ランプのサイズはパトランプくらいだったが灯りは回転するわけではなく、雰囲気としてはクリスマスツリーの電飾に近くて、点いては消え、点いては消えをくり返すものだった。

バスを待つ間、ぼくはそのランプをよく見ていた。どちらもチカチカと周期的に光って消えてをくり返すのだけれど、両者はわりとよく似たデザインなのに、点滅するタイミングは微妙にずれていて、それらはときどき一緒に光ったり、あるいは完全に「裏拍」で光っていたりした。BPMが違う音楽同士がときおりグルーブしてはまたすぐにずれていく。ぼくはそれを飽きもせずにずっと眺めていた。

ときおりシンクロする二つのランプには意思が感じられるように思った。彼ら、あるいは彼女らは、なんらかの理由で異なるリズムを体に刻まれてしまっているのだが、それでもときおり、示し合わせたように一緒に光って喜んで、またじわじわとタイミングをずらされていくのだ。


公園に置いてある、鎖の長さがなぜか異なるブランコ。


田舎の家に置いてあった、秒針と合わない振り子時計の振り子。


自動車のコンパネに映ったウインカーの表示を後部座席から延々と眺めている。シートに横になって、座面に押しつけているこめかみの、血管の拍動とウインカーとが毎回少しずつずれていた。


そう言ったことをぼくは塾の帰りによく考えていた。ときどき思い出す風景なのだがブログを書こうとPCに向かったタイミングで思い出したのは今日がはじめてである。これもひとつのシンクロではある、そう書いて締めようと思ったときに昔のぼくがしゃべった。


「それはシンクロじゃない。」


そうなのだ。シンクロではない。でもぼくはそれがシンクロっぽく見えることに、なぜだか静かに落ち込んだり少し興奮したりを周期的にくり返していた。そんなことをずっと考えていた。