2017年10月27日金曜日

戻りガツオの旬だそうです

土佐の高知のはりまや橋は、がっかりするぞと言われたが、

ぼくは以前にここにきたとき、仕掛け時計のあれをみた。

土産屋さんの前で待てよと、思わせぶりに友が言い、

橋の手前で日差しをあびて、行き交う親子を目で送る。

時報が鳴ったら意味がわかった、店員さんがはすに見た。

ちょっと小粋な楽しい曲が、小春の陽気にしみだした。

あるいはこれは作った記憶か、いやいやぼくは覚えているぞ、

響くはよさこい節だった。息子がきょとんと聞いていた。

からくり時計が開くと見せて、ちょっと裏切る楽しいしかけ、

時計の下に踊り子が出た、右に伸びるははりまや橋だ、

左に延びるは桂浜、誰もが知ってるたてがみの龍、

しずかに響く鐘の音。拍手をするはぼくばかり。

土佐の高知のはりまや橋で、おっさん時計が鳴るを見た。




高知に来るのはこれで3度目。

台風が近い。あすには帰る。

ホテルの窓から城を見ている。

いずれまた来る、晴れた日に。

わらでたたいた、カツオを食べる。

2017年10月26日木曜日

病理の話(135) スポーツ解説者と病理医の共通点

たとえば消化器内科医が、胃カメラや大腸カメラで胃・大腸の病気を見て、診断をする。

診断は詳しければ詳しいほどいい。

 ・なにか盛り上がっているなあ
 ・なにか赤いなあ

だけではなく、

 ・ここが出っ張ってここがへこんで、表面がちょっとざらついていて、超拡大すると表面の模様がみえて、白いふちどりみたいな円弧状の曲線がいっぱい見えて、赤茶色の血管が縦横無尽に伸びる様子が見えて……

てな感じで、彼らはとことん見る。たいしたものである。




彼らは、毎日いろいろな症例を見る。症例の中には、「ズバッと病気の本質まで見えてしまうもの」もあれば、「なんだか難しくて、その場で表面から見ただけではわからないもの」もある。

わからないものをどうするか?

持ち寄ってみんなで検討したり、論文にして世界に見てもらったりする。



難しい症例を持ち寄って、みんなでああでもないこうでもないと、「読み方」を勉強したり、新しい疾患概念を考え付いたりする場を、俗に「研究会」という。

この、研究会のときに、病理医の出番がある。





たとえば胃カメラ。たとえば超音波検査。たとえばCT, MRI。

臨床医はカメラで病気を直接見たり、あるいは体にX線とか磁気とか超音波とかを当てたりして、なんとか病気の正体を探ろうとする。

その後最終的に、病気の正体に最も肉薄するのは、病理医である。

病理医は、とってきた病気を切って、じろじろ見て、さらにプレパラートまで作って、細胞レベルまで見まくる。免疫染色を使って異常なタンパク質を見破ったり、ときには遺伝子検査まで行って細胞のルーツまで見極める。

一番答えに近いものを、見ている。

ということになっている。





そういうことになっているから、「研究会」という場で、病理解説という仕事が回ってくる。

臨床医たちがさんざん胃カメラや超音波やCTで見まくった病気に対して、「病理医からはこう見えたよ」、とパワーポイントでプレゼンをすることで、その場にいる多くの医者たちが

「おおー、なるほど、そういうことかあー」

となるように、がんばる。

これが病理解説なのであるが……。




ま、なかなか、思うようにはいかない。




病理で見たものをそのまま説明しただけではだめだ。

顕微鏡を見て思ったことを言う。細胞がこうなっているぞ、と。タンパクの異常があるぞ、と。

いくらミクロの世界を正確に読み解いたとしても。

「……で、その結果、なんで俺たちが胃カメラで見たものは、赤くて飛び出しててざらざらしているように見えたわけ?」

という、マクロの世界に対する質問が、ずばずば出てくる。



*



病理解説はサッカーの解説に似ているような気がするのだ。

テレビでサッカーの試合を見ていると、さまざまな実況・解説者がいる。

ひとりひとりの選手の名前をひたすら呼んでいくタイプの実況。

「あぁー!」「あぶなーい!」と、見ている人を盛り上げるが、その実、なにも解説はしていない、お調子者タイプの解説。

「長友の運動量がいいですね」「大迫のポストが効いてます」と、個人のはたらきを説明するタイプ。

テレビはエンターテインメントだから、どのようなやり方であっても、場が盛り上がり、視聴者が楽しめばよいと思うわけだが。

純粋に「どっちのチームが勝ちそうか」を予想するには、どのようなスタイルの解説がよいだろうか?




選手個々人の能力(身長とか足の速さとか)を語るだけでは、足りないだろう。

それぞれの選手のはたらきを読み解き、相手チームの選手とのポジショニング、フォーメーションのバランスに着目。

どの選手がどう動くことで、どこにどのようにスペースができ、そのスペースをどちらが有効利用するか。

ボールを持っていない選手の動きが、ほかの選手を考えさせ、走らせ、結果的にチーム全体の攻撃力を上げていることもある。



そして、解説は、

「サッカーのことはそこまで詳しくない人」

にわかってもらわなければいけない。これがポイントである。




サッカーを何年もプレーし、ゲーム理論なども理解している選手を相手に説明するのは簡単だ。どの選手のどの動きが有効だったかを、専門用語で語れば用が足りる。特殊なフォーメーションの効力を短い言葉で伝えられる。

けれど、「サッカーは好きだし興味はあるが、そこまで詳しくない視聴者」に、専門的な用語を多用して説明しきれるものだろうか。たぶん、無理である。





夜のニュースなどで、スポーツコーナーがはじまると、その日に行われたサッカーのダイジェストが流れる。日本代表戦などがあった日には、少し詳しい試合の解説が行われる。

その際、プレービデオを一時停止させて、選手にマルをつけたり、画面上に矢印を書いてみたり、早送りや巻き戻しを駆使したりしながら、ときには、フォーメーションを簡単にまとめたイラストのようなものも添えて、「視聴者がきちんとサッカーを楽しめるような、なぜ勝ったか・負けたかがわかるような」解説が行われる。

病理解説は、どちらかというと、この、「夜のスポーツニュースの解説」に近い。わかっているだけではだめだ。わかってもらう必要がある。

むずかしい。奥が深い。

うまくいかないことも多い。





ぼくは、病理解説のしゃべり方を考えるとき、「テレビ」を参考にしている。

スポーツニュース。お天気の解説。

あれ、やっぱ、すげぇと思う。色の使い方とか、矢印の見せ方とかね。ぼくはテレビっ子だから、余計にそう思うのかもしれないけれど。

2017年10月25日水曜日

フォーカルフォーワン

「モニタリング」をたまに見る。帰宅が間に合わないときには、「桜井有吉・夜会」を見る。

だいたい、ゲストが、そのクールのドラマの主役だ。

はいはい、番宣番宣。

けど、まあ、これだけ若くて足が長くて顔のちっちゃいモデルさんみたいな俳優・女優ばかりが次から次へとドラマに出る時代だ。

正直、番宣でバラエティに出てきてくれないと、ドラマがはじまっても、「……誰?」となってしまう。

番宣で何度も何度もいろんなバラエティに出てくれるから、同じような顔をした若い俳優を、少しずつ覚えていけるのだ。






最近、こういう風に感じることが、なんだか多くなった気がする。

「テレビのやることにまかせておいても、ま、いっかな」

昔は、もうすこし、とがっていたんだけどなあ。






テレビのやることは商売だからさ。

テレビ局に得になることは伝えるけど、損することはぜったい伝えないよな。

事務所のひいきとかひどいんだろ?

裏で利権がさあ。






なんだかもうめんどくさくなってしまったのだ。

だって、そんなの、テレビに限った話じゃない。

ぼくのやることは商売かもしれない。

ぼくが得になることは伝える。損することはそこまで伝えない。

ひいきも利権もあるかもしれない……。

なんにも「信頼できない」時代だからこそ、なんかうまいこと、自分にハマる現象をみつけて、

「そういうとこ、ぼく、ありがてぇな」

って、部分的にでも信頼しないと、なんにもできねぇんだよなあ。





そうか、今気づいたけれど。

ぼくは、「全幅の信頼」みたいなことを言わなくなった。

どれだけ仲が良いとしても、どれだけ尊敬しているとしても、どれだけあこがれているとしても、「信頼」しているのは、その人の一部分だけでいい。一部分だけでも信頼できれば十分なのだ。

「すべて」をどうこうしようなんて、おこがましいんだよな……。




自分自身も、一部しか信頼できない、それでいいんだよと、20年くらい前の自分に伝えたい。

「わかってらあ」と言うかもしれない。だって、当時は、誰も信頼していなかった。

2017年10月24日火曜日

病理の話(134) 病理解剖の先にある会話

おおかたの予想と異なる経過をたどった患者。

きわめて診断が難しかった病気。

効くはずの薬が効かなかった腫瘍……。

その結果、医療者にとっても患者の家族にとっても、解せない死というのが、ときにある。



全力を尽くした医療者が、亡くなった患者に対してもまだ尽くせる「全力」がある。

それを病理解剖と呼ぶ。




病気の全体像を取り出すことで、なにがどのように「いつもと違ったのか」を細かく検索。

画像ではとらえきれなかった小さな変化。

新しい疾患概念。

病理解剖とは元来、「病理学の礎」であった。




現代。

画像診断や、臨床医学は、とても進歩した。今や、患者の死に臨み、医療者が「解せない」ケースは昔よりもはるかに少ない。

そのため、病理解剖の数は減っている。

そんな現代においても、なお医療者が「わからない」と感じるケースというのは、すなわち、「超難解症例」であることが多い。

だからこそ、病理解剖の結果も複雑となる。



病理医が精魂込めてレポートを書く……。

その難解なレポートだけで、「全力」と呼べるだろうか?



最後の最後に、患者の死に対して医療者が行えることは、病理解剖の先にある。

CPC。Clinico-Pathological Conference; 臨床病理検討会、という。

患者を担当した主治医。患者に関わったことのある他科の医師。放射線科、循環器科、外科、リハビリ科、腫瘍内科、緩和ケア科。あるいは医師以外の医療者……看護師、放射線技師、臨床検査技師、理学療法士。

そして、患者を直接担当してはいないが、CPCを通じて学問を修めようとする者。研修医、指導医……。

これらが一同に介する。

主治医がプレゼンテーションを行う。患者の経歴を。病院に来たきっかけ。原病における問題点。何がいつもと違ったのか。

これを受けて、病理医がプレゼンテーションを行う。双方が発表を終えたあと、ディスカッションがスタートする。




「先生ね、これ、すごく珍しい病態だと思うんですよ。少なくともぼくは、30年この世界にいて、こんな病気をはじめてみた。ね、これ、珍しいですよね」

「ええ。確かにレアケースです。ただし、私はこれと類似の症例を、今までに3回経験しています。その全てで患者は亡くなりましたが、うち1例において、亡くなる前に診断がつき、治療方針を少し変更することができました」

「えっ、先生、ぼくより若いのに、これもう4回目ってこと? なんで? 病理だから?」

「そうですね。病理だからです。コンサルテーションで関わった症例、前の施設にいたときに検査センターを通じて出会った症例、大学経由で相談をうけた症例」

「それは病理だからでしょ? 普通に臨床やってたらこんな疾患、一生に一度お目にかかるかかからないかだよね」

「そうですね。ですから先生、これは症例報告すべきだと思います」

「そうか……英語? 英語で出せそう?」

「十分な珍しさです。過去に経験した症例の主治医に問い合わせて、ケースレポートではなくケースシリーズのかたちで報告するのもいいかもしれません」

「よし、じゃあ、研修医ひとり先生のところに行かせるから、指導してやって」

「わかりました。では先生、さっきのプレゼンの、臨床情報の部分はぼくにください」

「OK、そうか……今回は死ぬ前にはわからなかったなあ」

「それなんですが。生前に出して頂いていた例の検査のうち、こちらについては陽性尤度比は高いのですが、陰性尤度比があまり高くないんですよ。今回、陰性でしたが」

「だからって、こんなめずらしい病気のことまで毎回あたまにひっかけて診療できるかなあ……」



「ちょっといいですか?」

「はい(放射線科の)先生どうぞ」

「これ、もしかしたら、画像の典型所見がこっちに出てるのかもしれません。生前は気づきませんでしたが……」

「ほんとうですか?」

「ええ、さっきの解剖での臓器写真を見ると、こっちにも病変が及んでるんですよね? これ、気づきにくいですけど……ふりかえってみれば、ここに、造影効果の異なる領域があります」

「おお……うわぁ、これはわかんないなあ……」

「ええ、まったく情報がないと難しいですね。けれど、検査前確率がもう少し高ければ、そのことが放射線科の読影医に伝わっていれば、あるいはこの所見は拾えるかもしれません」

「これ、論文化のときに、ちょっと検討してみましょう。他の例でもみられたかどうか」




「あの、ちょっといいですか」

「はい、(看護師の)○○さん、どうぞ」

「この方、いつもと違う痛み方をしていたんですが、それについては何かわかりますでしょうか」

「なるほど、病理の写真は出していたんですが、説明が足りませんでした。すみません。この方の病気は、このように、いつもよりも広く、この形式で進展をしているんです。先ほど、放射線科の読影でこちらにも影があるかもしれない、と読まれていましたね」

「これで、痛みの説明がつきますか?」

「つくと思います。ただ、このことは今回の1例だけではちょっと言い切るのは難しいですね」

「それについては私から」

「はい、(麻酔科の)○○先生」

「ペインコントロール目的でこのような例をコンサルトされたことがあります。ここまで進行してしまうと局所の制御も難しいのですが、たとえば……」





ここまで「盛り上がる」CPCというのは、そうめったにはない。

CPCに出席したことがある人であれば、一部の医者だけが盛り上がり、研修医を含めた多くの医者達が「はやく終わらないかなあ」とあくびをしている、みたいな経験もあるのではないかと思う。



ただ、「ハマれば」すごい。

ハマらせることができるのは、CPCの病理を担当する病理医……。

さらには、症例に対する「くやしさ」を各層としない主治医。自分がもう少し、何かできたのではないかと思い悩む主治医がからむCPCは、必ずハマる。

そして、ここが大事なのだが。

周りにいる、医者に限らない、医療者たちが、CPCに対して貪欲に「何かを得よう」としていると、そのCPCは異様に盛り上がる。




ぼくは今、複数の病院の、さまざまな形式のCPCに出ている。

病院や主治医によって、CPCのスタイルはさまざまだ。

会話がほとんど交わされないカンファレンスであっても、プレゼンが丁寧に作り込まれていると、あたかもひとつの「講演」を聴いているような気になり、ふるえるほど感動することもある。

逆に、院長以下、ほとんどすべてのスタッフたちが怒号を飛び交わせる、おっそろしいカンファレンスもある。





「ハマった」CPCを経験したことがある研修医は、病理医にそうそう悪い感情を抱かない。

今、病理医のことがあまり好きじゃない臨床医がいる場合、その人はたいてい、「つまらないCPC」を乗り越えなければいけなかった、悲しい過去をもっている。

2017年10月23日月曜日

だいたい短編4本くらい書きあがってます

ノーベル賞受賞を記念して、Eテレで再放送をやっていたのだという。親父が録画した番組をみせてもらった。カズオ・イシグロの白熱文学教室。たいへんおもしろかった。

アイディアが浮かんでから、それをどの舞台装置に放り込むか、を考えるのにとても時間をかけるのだという。

小説のよいところは、舞台を自由に変えることができること。

日本を舞台に書いた小説は、欧米においては「それは日本でのできごと、日本人だからこそ考える心のうごきなんだろう?」と受け止められたのだという。

しかし、日本を舞台にして書いたテーマを、舞台をイギリスに変え、登場人物を執事に変えて、「日の名残り」として世に出したら、彼の代表作と呼ばれるほど世に広まったのだ、という。

あるテーマを描くときに、舞台を自由に設定できるのが小説のすばらしいところであり、だからこそ、書くテーマが決まってからも、舞台を設定するのに長い時間をかける。




この話はぼくをめちゃくちゃ感心させたし、あまりに深く腑に落ちた。




「医療ミステリ」というジャンルがある。

医療ミステリは、たいていの場合、「単純に舞台が医療現場だというだけ」のミステリだ。

作者が医療の現場に何かテーマを見出して、そこを掘り下げよう、何か感じたことを綴ろうと思って書かれた医療ミステリなど、数えるほどもない。

医療の現場でなければ成り立たないトリック、というのはある。

しかし、医療の現場でなければ成り立たないストーリーと呼べるまで練り込まれた医療ミステリには、ほとんどお目にかかったことがない。

たとえば、人気のアニメに必ず「水着回」と「浴衣回」と「ヒロインの妹回」が設定されているかのように。

ミステリを書いているうちに、「今度は医療を舞台にしよう」「今度は電車と時刻表を舞台にしよう」みたいに、場面だけを変えて、結局おなじミステリを書いてしまう人、というのがいる。

ぼくは、そういうのが苦手だった。なぜ苦手なんだろうと思っていた。



カズオ・イシグロの顔としゃべりくちを見ている間に、すっかり、わかってしまった。

自分がなぜ、「場面だけを医療現場に設定したものがたり」があまり好きになれないのか、を。




もしもぼくが、舞台を医療現場に設定した小説を書けと言われたら。

それは、「医療現場を舞台にしなければいけない」ものなのだろうか。

小手先の技術と、むりやりひねりだしたテーマを、オファーにあわせて単に医療現場にあてはめただけのものに、なりはしないだろうか。




ぼくは父親がうまそうなコーヒーを注いでくれる横で、ずっと黙りこくってしまっていたのだ。

2017年10月20日金曜日

病理の話(133) 割り箸が入っていた袋の話

その内視鏡医は感染力が強かった。

いつも周りにいる人をある種の熱病にかけた。

探究、議論、前提をひっくり返し、常識を疑わせ、思索のもたらす報酬回路を起動させた。

「そんな些細な違いが何になるの?」という疑問の先に、新たな世界が次々と広がっていった。上質な手品を見ているような気になった。



研究会が終わって、懇親会が開かれる場合がある。

まあみんな忙しいのだ。いつもいつも、勉強した後にそのまま飲み会になるわけではない。医療者の中には、学術研究はそっちのけで終わった後の懇親会の場所選びに奔走するタイプのお調子者もいるが、何事かを成し遂げつつある人間は基本的に宴会には興味がない。しかし、彼は偉すぎた。札幌に招聘して研究会でコメントをしてもらうとき、必ず豪華な接待が供された。今の時代、研究会後の飲み会を製薬会社が手配することはない。そんなコンプライアンス違反に積極的に企業が手を染める時代はとうの昔に過ぎ去った。札幌在住の内視鏡医たちが、精一杯の矜持を発揮して、新鮮でうまい魚介を出す店を選び取り、彼を主賓に据えた。ぼくはその末席にいた。参加費はひとり1万円ということだった。高さに見合っただけの料理と酒が出る、と言われた。

ぼくはいつしか、かの内視鏡医の前に座っていた。

彼は手にした酒を次々と飲み干しながらも、切れ長の目をますます鋭く光らせて、先ほどの研究会で深めきれなかった「病理の話」を続けていた。



「先生さあ、ぼくはこないだ思ったんだけどね、あの腫瘍の真下に広がる風景ってのは、あれ、誰も、どの教科書にもまだ書いていない現象なんじゃないだろうかとね、思うんですよ」

ぼくは彼の熱意に浮かされていた。

「それでね」

彼は箸袋を手にした。箸袋の、のりで接着されている部分を丁寧にはぎとり、細長い紙を一枚作り出す。スーツの内ポケットから、製薬会社のそれではない、少しふるびたボールペンを取り出して、そこに何事か書いていく。

それは胃粘膜の構造であった。

彼は酔うと、自分が内視鏡で日々みている光景を、病理のプレパラートを思い浮かべながら、手元に即席のスケッチをこしらえつつ、ぼくに病理の論戦を挑んでくるのだった。




宴会は続く。掘りごたつのテーブル席を1つ隣に移動すれば、そこには、見知ったドクターたちが知らない医療スタッフの話やゴルフの話、料理の話、酒の話、家庭の話などで歓談する花園がある。

ぼくは箸袋の地獄にお供していた。





なんて実践的な病理学を語る人なのだろう。





「や、先生それでね、このね、ここの腺管についてなんだけど、どうもぼくはもう少し免疫染色を足す価値があるんじゃないかと思ってるんですよ。実際、どう思う?」

ぼくは答える。

「先生、それはとても斬新です」

自分が翻訳された海外文学のような語り口になっている。

「そうかい、先生に斬新だって言ってもらえると、ぼくはうれしいなあ! ぼくはね、常々、病理で見ているものも真実、内視鏡で見ているものも真実、だとしたら真実を2つの角度から見ているわけでね、そこにはきっと、何か三次元視したら見えてくる『ほんとうの、真実』があるんじゃないかと思っているんだよ!」

ぼくは翻訳された海外文学の世界に出てくるような、神の啓示を受けた人間のような過ごし方をする。





この論文はぼくが1から10まで考えたものである。

症例はぼくのものではない。いろいろな研究会でお会いした内視鏡医たちが持ち寄った症例であった。

いろいろな内視鏡医のおかげで、ひとつの仕事が結実しようとしている。ぼくは満足だった。けれど、三次元的に満足するためには、もう一翻、「役」が必要だと感じた。

考えた末に、彼にメールを出した。

ぼくが書いた論文の共著者になってもらえないだろうか、という要件だ。

「一度も直接師事したことはないけれど、いつも師匠だと思ってきた内視鏡医」に、論文に参加してもらいたいと思った。

ぼくのアイディアはすべて、彼の箸袋から生まれたものだったからだ。






彼はこともなげに答えた。

「ああーぼくなんて何もしてないんだけどなあ、うれしいですね、ありがとうございます」





ぼくは、ありがとうございます、という日本語が、こんなに迫力があるということを、今この瞬間まで知らないでいたのか、と思った。

2017年10月19日木曜日

皿の上のふわふわ

「地上の飯」(中村和恵)がとてもよかった。すごく乱暴に説明するならば、「食べることにまつわるいろいろを書いたエッセイ」なのだが、なんというか、上質だった。

「料理の四面体」を読んだ時も思ったのだが、学者が食をめぐって書く文章というのはとてもおもしろいなあと思う。

いや、学者じゃなくてもいいんだけど。よく考えるとぼくが椎名誠の本をおもしろく読むとき、旅とおなじくらい食に深入りしていたように思う。

数えてみれば、病理より料理の本を多く読んでいるかもしれない。




でもぼくは、食べ物についてはタンパクで、どこに出張したときに何を食べてどう思ったか、みたいなことをまったく覚えていない。

「山口で食べたはもしゃぶが、今まで食べた食べ物のなかで一番おいしかった」、という「自分の口をついて出た文章」は覚えているのだが。

今、はもしゃぶがどうおいしかったか、思い出せない。

「岡山で飲んだ赤磐雄町の日本酒がとてもおいしかった」、という「文章」は覚えているのだが。

ぼくは日本酒の味の違いを言い表せるだけのことばを持っていない。




「それでも町は廻っている」で亀井堂が、

「それを言葉にしていくのが小説なんだよ。突飛な事書こうとしてもだめなんだ」

というシーンがある。はじめて読んだ時、「ああ、ぼくは小説家にはなれないな」と、しっくりきてしまった。

どうおいしいか、どううれしかったか、それを言葉にできないぼく。

食レポもできないしフードエッセイも書けない。

そして、だから、そういう本を読むのがとても楽しい。




料理をことばにできないぼくは、じゃあ、病理をことばにできているのかと考える。

果たしてどれほどできているものか、と、自問する。




「ことばにできない」という歌詞は一発勝負だ。ことばにできない、と言って言葉にしてしまっているわけで。伝家の宝刀をさっさと抜いてしまった小田和正がその後書き続けたすばらしい詩の数々を見るにつけ、「なんと表していいかわからない」をクリエイティブな文脈で用いることができるのは、たった一握りの、ことばに愛された人間だけなのではないか、と考えさせられる。

ぼくは、ことばにできる、と信じて進んでいかなければやってられない方の、人間である。