2018年10月29日月曜日

病理の話(257) 男女七歳席を同じゅうしてスプラトゥーンする

隔日で病理の話を書いてきて今あらためて思うことなのだが、病(やまい)の理(ことわり)のことを語ろうとおもうとき、大事なのはやはり正常を知ることだ。

もう今まで何億回も様々な人によって言われて来たことである。

異常を知ろうと思ったら正常を知れ。

正常がわかってはじめて、それが崩れた状態として異常を定義できるのだ、と。




ただねえ人体ってそれこそ若者っぽく言うと「異常」なんだよ。

「ありえねぇ」と言ってもいいかな。

「ヤバい」でもいい。

「エモい」でもいいけどニュアンスが少し違う。




何が異常かっていうと結局因子が多すぎることなんだ。

「異常に因子が多い。」

たとえば、止血という仕組みひとつとっても、そこに関与するタンパク質とか細胞外基質の数がいくつあるのか、未だによくわかっていない。

医学部の学生が2年生くらいのときに絶対に苦労する、凝固カスケードの図。第VIII因子がどうとかいうあれ。

あれってまだ完全じゃないんだよ。学校ではいかにも「解明された」みたいな顔をして書いているけれども。

実際、体の中で、微小環境の中で、どの因子がどれくらいのスピードでどう酵素反応をおこしているのか、そこに関わっている因子はこれで全部なのかなんてのが、まだまだよくわかっていない。

今でも新しい実験結果が出てきたりする。




ゲノムプロジェクトというのがあってね。人間のDNA……プログラムだよ、人体のあらゆる細胞の挙動を決めているプログラム……を全部解読しよう、ってのをやったのよ。人類は。

で、まあだいたい全部読んだの。ゲノム情報はすべて解析おわった。

けれどそれは、プログラムの文字列を全部読みましたっていうだけでね。

およそこれくらいの数、タンパク質が作られているだろうっていう予測も立ったんだけど……

タンパク質どうしがどうやってくっついたり離れたり、お互いをいじって形をかえたりしているか、なんてのは、実はDNAに書かれていなかったりする。

すごいゲスな例え話をしていいかな?

プログラムのなかに、「男のコと女のコをひとりずつ、部屋の中にいれて、1日放置する」って書いてあるとする。

そしたらほら、おじさんたちはたいてい、いやらしいことをするって想像すると思うんだけども。

部屋ってのがくせものでさあ。

そこは昔から今にいたるまですべてのゲームソフトが所狭しと置かれているかもしれないし。

3代目JSBのライブのパブリックビューイング会場かもしれない。

あるいは実は宇宙空間かもしれない。

部屋によって、男のコと女のコが何をするかなんてまるでかわってくるじゃない。

でもDNAには、「男のコと女のコを作る」としか書かれてなかったりするんだ。そういうことがマジである。

おまけに、DNAの外側に、「ただし男のコは男のコが好きとする」みたいな但し書きがついてるかもしれないし、そんなものはついていないかもしれないんだ。




ね。

人類がさあ、結構な本気を出して、必死で調べてこれ。

何にもわかりゃしない。

無限にわからない。

異常としかいいようがない。わかっているのは、その異常によって、正常なぼくらができあがっているということだけ。






……正常を知れ、異常を知るのはそれからだ! とかさあ。


どの口が言ってんだ、って話だよな。

2018年10月26日金曜日

脳だけで旅をする

老化したことでようやく言動と見た目年齢が一致した。

そういう日はくるのだ。昔の自分に教えたい。40からが俺だ。楽しみにしておけ、と。

スーツを何の違和感もなく着崩せるようになる。

ガード下でもバーでも好きな場所で存在感を消せる。

コンビニで店員さんにまっすぐお礼を言える。

今がチャンスだ。今こそ飛び道具以外の勝負ができる。



ジャケットをデスクの横のハンガーにかけ、ノーネクタイのワイシャツに腕まくり、革靴を脱いで不健康サンダルに履き替えて、足が蒸れないようにときおり椅子の上であぐらをかきながら、外付けBluetoothのキーボードをばかすか叩いている。ときおり研修医が尋ねてくる。「今日はどうしました」と声をかける。

医師免許を持っていれば、高確率で使いこなさなければならなかったはずの言葉。

患者に向かって、「今日はどうなさいました」。

ぼくはとうとうこれを患者に言わないまま40歳になった。そもそも患者に会わない仕事なのだからしょうがない。

あこがれのホコサキを研修医に向ける。「今日はどうしました」とかまえて傾聴の姿勢。研修医はストレートネックになってぼくに資料を渡す。ぼくが敬語を崩さない以上、研修医はより強い敬語を使わなければいけない……。

なーんてことはない。

けれど昔のぼくはそう思っていた。敬語を使いこなす上司にはそれ以上の敬語でへりくだらなければ失礼ではないか、と、半ば本気で信じていたのだ。




形だけの敬意って心地よいんだなあ。




笑いが止まらないのでそのまま会話を続ける。黙っていると吹き出してしまいそうだ。ぼくより髪の毛が黒く、ぼくより無駄な体脂肪が少なく、ぼくより肌つやのいい、視力はちょっと悪そうだけれど性格ほどではなさそうな、熱心で、将来性のある研修医が何やら説明をしてくれる。

ぼくはほほえましい気分になる。ああ、優秀だなあ。人間というのは本当に優秀だ。




年を取ると、若者が愛おしくなるように、遺伝子が命令している。

人間ってのは本当に優秀だ。





老化したことでようやく言動と見た目年齢が一致した。

そういう日はくるのだ。昔の自分に教えたい。40からが俺だ。

40からの俺は自己顕示欲を乗りこなせるようになった。存在感を飼い慣らせるようになった。無駄な背伸びをしなくても、年齢と見た目だけで、自動的な敬意が集まるようになった。もう十分だ。

ここから、ようやく、内面だけで勝負ができる。

ひたすらに本を読み、知恵を使って生きていく。

思った以上に、脳に貯金はできていない。

なりふりを整えなければいけない時期は過ぎた。

もう、守ってくれる「若さ」はないのである。

2018年10月25日木曜日

病理の話(256) 連想オタク早口談義

256というとやはり思い出すのはゼビウスだ。

……いや、「やはり」と言われても困るだろうけれど。

連想というのは、他人にはなかなかうまく説明できない。

説明しようと思えば言葉を尽くせる。

当時、ゼビウスというファミコンソフトがあり、それに出てくるバキュラという敵がいた。ゼビウスでプレイヤーが操作するのはソルバルウという名前の戦闘機で、前方からピュンピュンとビームが出る。そのビームでたいていの敵を倒せるわけだけれど、バキュラだけは倒せない。バキュラは一見するとリフォーム業者がもってきそうなタイルの見本みたいなそっけない板状をしているのだが、こいつがくるくる回転しながらこっちに飛んでくると、ソルバルウが何発ビームを撃ち込んでも倒せない。だから交わすしかない。ちょっといやな敵だったのだ。そして、小学生達もみな一様にバキュラを「おかしいやつだ」と思った。だからだろう、都市伝説がうまれた。バキュラに256発ビームをあてると倒すことができる。ぼくの友だちの兄ちゃんの知り合いがナムコに勤めていて、ナムコの会議室でソフトのプログラムをこっそり見たら、そう書いてあった……。ぼくの周りで流行ったうわさはだいたいこんな感じだった。すごいな、友だちの兄ちゃんの知り合い。ナムコの会議室でプログラムをこっそり見られるなんて……。そのころ、256という数字がもつ意味はよくわからなかったけど、のちに、さまざまなゲームソフトで、HP(ヒットポイント)の上限が255だということにピンときたぼくらは、「ファミコンでは0から255までの256通りで物事を表すと何かいいことがあるのだろう」と勝手に解釈をし、しかもその解釈はそれほど間違っていなかったのだけれども、後にでてくる「256メガのメモリ」みたいな言葉にも「あっ」と思ったし、中学校に入る頃に2の8乗が256だということを聞いて、二進法とコンピュータの関係を聞いて、そうかーそれで256が大事なのかーとわかったようなわからないことをつぶやいたりした。以上より、256といえばゼビウスなのだ。

……とまあこんな感じだ。説明しようと思えばできる。

けれど、この説明、だれが喜ぶだろう。

おじさんの昔話だ。ファミコン小学生の淡い思い出でもある。だから確かに刺さる人は多少いるかもしれない。

けれども大多数の「ふつうの人」にとっては、オタクの早口のざれごと、くらいにしか感じられないだろう。

それを知っているぼくたちは、「256というと何を思い浮かべるか」という質問に対し、そもそも「ゼビウス」とは答えない。

一般の人が多少ひっかかってくれる程度の言葉をうまく使う。自分が本当に導いた直感をそのまま伝えることはしない。

「256ですか? そうですね……別に思い入れはないですね。むりやり何かと結びつけるなら2の8乗ってことですけれど。あれ、あってますよね。2,4,8,16,32,64,128,256。あってたあってた。でもだから何だって話ですよ。」

もはやゼビウスどころかバキュラのバすら出てこない。それでいいのである。






アポトーシスというとやはり思い出すのは薬剤性腸炎だ。

……いや、「やはり」と言われても困るだろうけれど。

連想というのは、他人にはなかなかうまく説明できない。

説明しようと思えば言葉を尽くせる。

アポトーシスという用語があり、病理組織学の世界でも観察することができる。病理診断で病理医が観察するのはHE染色という方法で染められたプレパラートで、ヘマトキシリンがピュンピュン飛んでワイシャツに付くとぼくはがっかりして倒れる。そのヘマトキシリンでたいていの細胞核がきれいに見えるわけだけれど、アポトーシスという現象もまた見ることができる。アポトーシスは一見すると幼稚園児が描きそうな宇宙の絵みたいなそっけないつぶつぶの集まりみたいな像をしているのだが、こいつは細胞がプログラム死つまり自分で死んだときのサインであり、周囲の細胞に悪影響を及ぼさない。だから細胞一個がひそやかに死ぬ。ちょっとけなげな細胞死である。そして、昔の病理医たちはみなアポトーシスを「おかしいやつだ」と思った。だからだろう、アポトーシスの意味が研究された。正常の細胞でも低確率でアポトーシスに陥ることはある。ぼくの友だちの兄ちゃんの知り合いが昔かかった病院の院長の友だちの師匠が病理医でアポトーシスの研究をしていてそのことを教科書に書いていた。すごいな、友だちの兄ちゃんの知り合い(略)の師匠。アポトーシスで論文を書けるなんて……。学生のころ、アポトーシスという所見がもつ意味はよくわからなかったけど、のちに、さまざまな病気の組織で、アポトーシスが異常に観察されることに意義があると知ったぼくらは、「なんらかの生体反応の結果、一部の細胞が普段よりも多くプログラム死に突入することがあるので、逆にアポトーシスがあれば診断の助けになることがあるのだ」と勝手に解釈をし、しかもその解釈はそれほど間違っていなかったのだけれども、後にでてくる「薬剤性、とくにNSAIDs関連消化管炎症」みたいな病態でアポトーシスがみられると知って「あっ」と思ったし、大学院に入って研究をしているとアポトーシスを回避するメカニズムを発現しているがん細胞はやはり生存戦略を多めに持っていると習って、そうかーそれでアポトーシスが大事なのかーとわかったようなわからないことをつぶやいたりした。以上より、アポトーシスといえば薬剤性腸炎なのだ。

……とまあこんな感じだ。説明しようと思えばできる。

けれど、この説明、だれが喜ぶだろう。

おじさんの自分語りだ。病理大学院生の淡い思い出でもある。これが刺さる人はちょっと珍しいかもしれない。

大多数の「ふつうの人」にとっては、オタクの早口のざれごと、くらいにしか感じられないだろう。

それを知っているぼくたちは、「アポトーシスというと何を思い浮かべるか」という質問に対し、そもそも「薬剤性腸炎」とは答えない。

一般の人が多少ひっかかってくれる程度の言葉をうまく使う。自分が本当に導いた直感をそのまま伝えることはしない。

「アポトーシスですか? そうですね……別に思い入れはないですね。むりやり何かと結びつけるなら学生時代に最初にならったとき、スペルがapoptosisって書くんですけれど、そのことを教授が『アポプトーシスって読むやつは素人。2番目のpは発音しない』ってドヤ顔で言ったのがなんかむかついた、ってくらいですかね。」

もはや薬剤性腸炎どころか病理のビョすら出てこない。それでいいのである。

2018年10月24日水曜日

サンダルには足つぼマッサージ用の突起がついている

クラシックの声楽がテレビで流れていた日に、タイムラインで複数の人間たち(推測)が、

「歌詞をタブレットで見てる」

「すごい、タブレットだ」

と指摘していた。そうかあそういうことなのかあ。まあそうだろうなあ。

ピアニストだって今や紙の譜面を使わなくてもいいわけだ。

そのうちウェアラブルデバイス……Googleメガネ的なアレにも歌詞が浮かぶようになるだろう。

拡張現実内に歌詞が浮かんだら、ださいときのミスチルのPVみたいな風景がみられて楽しいかもしれない。

技術革新が進むとサイバーパンクな叙情がそこかしこに顔を出す。




「パソロジスト・コックピット」ということばをはじめて聞いたときには小躍りしたものだ。まるでガンダムの操縦席みたいに、デスクの前、左右に複数のモニタを配置して、それぞれをタッチパネルで直接操作しながら、顕微鏡画像を拡大縮小したり、別のモニタに内視鏡画像を投影したり、マッピングを画面上で行ったりできるのが未来の病理医(パソロジスト)のやりかたなのだそうだ。カナダのように遠隔病理診断が進んでいる国では、すでにこのコックピット形式が導入されているという。いいなあ、やってみたいなあ。

……でも、よく考えたら、ぼくもすでにパソコンは2台使っているし、キーボードは3つある(遠隔キーボードにすることで首を保護している)。見ようによってはコックピットである。ガンダムほどではない。ジムくらいだ。




昔の忍者は、麻のタネを庭にまいて、芽が出たら毎日それをジャンプで飛び越えて、ぐんぐん大きくなる麻を必死で飛び越えているうちに人ん家の壁が飛び越えられるようになったそうだ。ぼくは、じわじわとサイバーな世界になれていくうちに、自分がすでに昭和の自分からみたら驚くほど未来に生きているのだということに気づかないでいた。



でもいまだにボールペンを胸に挿している。そういうものなのか。そういうものなのだろう。

2018年10月23日火曜日

病理の話(255) 小石を見て河原を語ること

胃、大腸、肺。

鼻の穴、耳の中、膣の奥。

これらは、チューブ状のカメラを使ってのぞきに行くことができる。

人間というのはかなり凹凸が多い。ミクロに小型化したぼくらが、体の表面に着陸して、そこをずっと歩いて行くと、皮膚から口の中、食道、胃、十二指腸とずんずん歩いて行くことができる。十二指腸でファーター乳頭と呼ばれる火山の中に入れば、その先もまた延々とつながっており、肝臓や膵臓まで達することができる。

歩いた先で、小石を拾うように、自分の立っているところの粘膜をつまみあげる。

なにか周りの床とくらべてごつごつしていたからだ。気になったからだ。

それを体の外に持って出て、病理検査室に回す。



拾った小石を薄く切ってプレパラートにする。

病理医がみる。小石の成分を分析する。

がんだ。あるいは、がんではない。

そのような「診断」がくだる……。

これが病理診断だ。



しかしちょっと待って欲しい。

その小石は、あなたが歩いていた床の「すべて」を反映しているだろうか?

たとえばその床はステンドグラスのような模様をした色鮮やかな床だったかもしれない。

そのステンドグラスの赤い部分だけをみて、「ああ、そこはステンドグラスがあるんだよ。」と、言い当てることができるだろうか?

無理だろう。

病理医は常に、「一部しかみていない」ということを忘れてはいけない。




……ただ、付け加えておくと、病理医は先人から論文として受け継いだ集合知(エビデンス)を持っている。

人体において床がステンドグラスのような多彩な模様「にはなりにくい」ことを知っている。

実際にそこを歩いていた内視鏡医が証言してくれればなおいい。

たとえひとかけらの小石であっても、内視鏡医が、

「その赤い小石は、一面真っ赤な地面からひとつ拾ってきたやつですよ」

とコメントしてもらえば、なんの問題もないのだ。



 さて、赤い地面から拾ってきた赤い石を顕微鏡でみたとして、そこに映っているものが「緑のコケ」だったとする。

そこで「あなたがとってきたものは緑色のコケでしたよ」と報告する病理医がいたとしたら、困る。

探検して赤い地面をみつけて赤い石を拾ってきた、と、探検家(臨床医)が言っているのに。

顕微鏡でみてみたら緑色のコケでした。

それは「不一致」だ。何かおかしい、と思わなければいけない。



そこでたとえばdeeper serial section(深切り切片)をきちんと作成できるかどうか……。

(小石の表面にこびりついているコケの部分しかみることができないでいる。だから、小石をもっと深く削ってもらって、小石のど真ん中をきちんとプレパラートにしてもらおう!)

と、「ピンときてサッと対処」できるかどうか。




そこをできるのが病理診断医であり、そこを求められるがゆえに、病理診断には特殊な免許が必要とされる。




・赤い小石とは思えないような検体でしたが、きちんと深く切ったら確かに赤い小石でしたよ。
・赤い小石に見えますけれど、特殊な光をあてると実は別の色にも光るんですよ。
・赤い小石を拾ってきたとおっしゃいますが、実は赤い小石の下に、茶色い地面があったんじゃないですかね?
・赤い小石が落ちているときには、違う場所に、黄色い稲穂がわさわさと揺れていることがあるんですが、そういうのはありませんでしたか?




ここまでやるから病理診断医だ。

ただ小石をみて感動するだけならばそれは「病理見学者」である。





……ただ、実をいうと、「病理見学者」であっても、給料はもらえる。

この話をすると長くなるのでやめる。

2018年10月22日月曜日

高橋達郎先生

釧路にいる。毎月釧路にいる。月一回、出張でやってくる。

はじめて釧路に来たのは2005年くらいのことだから、今から13年ほど前だ。ぼくは当時大学院生だった。

病理診断のバイト先として浮上した釧路の病院。そこには、高橋先生というベテラン病理医が勤務していた。

ぼくには師匠が何人かいる。そのうちの一人が高橋先生だ。

彼は13年にわたり、ぼくを指導してくれた。月一度程度の顔合わせではあったが、高橋先生の知見はいつも深淵で、ぼくは毎月彼の診断手法を学び、彼が公費や私費で買いそろえた教科書の背表紙を写メに撮って、札幌に帰ってから購入して勉強したりした。

彼は読書家だった。ぼくは彼をとても尊敬していた。

あまり酒は飲まないが飲み会ではにこにことしていた。野球が好きで、高校野球で活躍した選手がその後プロ野球でどのように活躍しているのかを熟知していた。長嶋茂雄の時代以前から今日にいたるまで、ことこまやかに。

小柄だが姿勢がよかった。




釧路の病理診断は、ぼくにとってはとてもハードワークだった。あまり知られていないことだが、病院の立地条件や地域の人口、医療圏の規模などによって、病理診断をする病気の種類がだいぶ違う。自分がふだん勤務している病院の症例に”慣れる”と、ときおり釧路で経験する見たこともない症例の難しさに面食らう。かたっぱしから教科書を調べ、毎月ヒイヒイと泣きごとをいいながら診断を書き、高橋先生の指導を仰いだ。




先生は、怒りや悲しみをそのまま表に出さずに言葉で練り上げるのが巧みだった。




若い病理医は地方で仕事をしたがらない。当たり前である。地方に行けばそれだけ師匠の数が減る。若手にとって、病理診断という訴訟リスクの高すぎる仕事を、師匠の手を借りずに(責任を分散させずに)自分だけで請け負うことはリスク以外のなにものでもない。顕微鏡をみて書くだけの仕事ではあるが、それだけに、孤独に顕微鏡だけを見ていても自分の世界はいつまでたっても広がらない。……正確には顕微鏡を見ながら世界を広げる方法もあるのだが、それに気付くためには経験と達観が必要なのである。

だから、釧路の常勤医はいつまでたっても増えなかった。

先生は一度定年したのだが、次の病理医がいつまでも決まらないので、そのまま嘱託再雇用され、相変わらず病理診断を続けていた。




ぼくは彼に何度も釧路に誘われた。

「市原先生が釧路に来てくれたら安心なんだがなあ」

ぼくはその誘いを何度も断った。そして、毎月勉強させてください、大学とは関係ない個人の出張で恐縮ですが、ぜひお手伝いをさせてくださいと、長年言い続けた。

彼はいつもおだやかに感情を練り上げながら、ぼくにいろいろな診断学と、いろいろな文筆手法(診断書を書くには文才が必要なのである)、さらにはいろいろな哲学を教えてくれた。




ぼくには、札幌で師事している父親のような師匠がいる。名前をMという。Mと高橋先生は、同じ職場で長年仕事をしてきた同士だったそうだ。高橋先生のほうが4歳ほど年上だったがほとんど同期のような雰囲気であった。おもしろいな、と思ったのは、札幌と釧路にわかれてもう20年以上経つにも関わらず、彼らの書く病理診断書の文体がどこか似通っていること。ぼくは日ごろ、札幌でMの指導を受けているから、ぼくの文章もまた彼らと似ていたのだろう。高橋先生は社交辞令交じりにいつも、

「市原先生の病理診断書は読んでいて安心する」

と言ってくれていた。







ぼくは彼の死因を詳しくは知らない。

20年以上にわたりずっと単身赴任だった生活についにピリオドをうったのは今年の3月。そもそも一度定年してから延長して働いていたわけで、いつやめてもよかったはずなのだが、臨床に求められるまま、ぼろぼろになるまで働いた。4月には札幌の自宅に戻り、おだやかに過ごしたという。夏が過ぎたころ、亡くなった。

かれこれ2年半ほど前にみつかった大腸癌はかなりステージが進んでいた。彼は高すぎるインテリジェンスで自らの死期を冷静に探り、

「平均余命なんて所詮中央値だから、あと何年生きるとか死ぬとかいうのはあまりあてにならないが、そろそろ店じまいの準備だな」

と言いながら、それでも2年以上働き続けていた。経過中、間質性肺炎の悪化によって何度か抗がん剤の投与を見送ったりもしたが、それでもなんとかバランスを取りながら、はたらき、抗がん剤をうち、はたらき、わずか3回ほどではあるが、ぼくとも酒を飲んでくれた。




札幌で行われた通夜にて、釧路から目をはらしてやってきた技師さんたちとあいさつをし、札幌の師匠Mと隣り合って座り、高橋先生の死に顔を間近にみて手を合わせたところまでも泣かずに済んだ。大学の教授、前教授、お偉方などひととおり挨拶を済ませ、さあ、家に帰ろうというとき、高橋先生やMと一緒にかつて働いていた、旭川医大の某講座の教授とふと会って、彼の顔を見た。

高橋先生は、多くの一流病理医たちに認められ、釧路での孤独かつ久遠の病理学人生を全うし、最後には、もう何年も一緒に働いていなかったはずの旭川の教授をまるで子供のように泣かせていたのだな、と、そこでようやくぼくもおいおい泣いた。




この原稿を今、こっそりと、釧路の病理検査室の片隅で書いている。あと15分で空港に向かい、ぼくは札幌に帰る。また来月ここにやってくる。

2018年10月19日金曜日

病理の話(254) 登山番組におけるカメラ配置の話

病理医になるにも訓練がいる。実際、ぼくは40歳になってもまだ、「病理医になるための訓練」を続けている。

きれいごとをいうならば「一生勉強」だ。人間というのは結局そういうものである。

悟れ。いつまでも、”権化”にはなれない。



……けれどもまあ、我々は、ある程度年を取ったならば自分で働いて、給料をもらって飯を食い、ベッドを整えてきちんと眠り、ときおり楽しく遊んで世の中をかきまわさなければ生きていけない。

「ぼくなんて生涯半人前ですよ。仕事をきちんとできる日なんて来るんですかね」

……そんなことを言っていては自分も飯を食えないし、自分の仕事をあてにしている他人も困るのである。



たとえ不完全であっても、どこかの段階で、責任をとらないといけない。

不完全には不完全なりの「担保のしかた」というのがある。

医療の世界には、「不完全なものどうしが相互に見守ることで完全を目指すシステム」が存在する。




かつて、150年ほど前には、病気というものは単なる「症状」にすぎず、「死をまねくもの」とか「体調不良をまねくもの」くらいの意味合いしかもっていなかった。メカニズムがわからなかった。本体がみえなかった。しょうたいがつかめなかった。

それが、解剖学の登場によって、「病気には形があるんだな、原因があるんだな」ということが少しずつわかるようになった。

それからしばらくの間、解剖学、さらには病理診断学というのは「答え合わせ」を与える学問としてあがめられた。

病理診断は絶対であった。

患者がどのような症状をうったえ、顔色がどうなって、尿がどういう色をしていて、血液がどう動いているかはすべて「サイン」にすぎない。

病理医が胃を直接みて、「胃がんです」と言えば、それは胃がんだった。定義する立場だったのだ。




けれども、昔も今も、病理医は間違える。人間は間違える。

「絶対だ」が間違いということも山ほどあった。

定義する人が間違え続けていた。それをよしとしなかったから、医療は発展してきた、ともいえる。




人類は少しずつ、病理診断の使い方を変えた。

病理診断を、回答とか定義として扱うのをやめた。

「医者たちが間違えないために、ひとつの病気を異なる視点から見るためのシステム」

として使うことにしたのである。




臨床医が患者の話や診察結果、血液データから導き出す診断は「ひとつの正解」。

CTやMRI、内視鏡、超音波などで体の構造を映し出す画像診断もまた「ひとつの正解」。

これらは、違うものを見ているのではない。

富士山に登るためにいくつもの登山ルートがあるが、どれを選んでも最後にはひとつの山頂にたどりつくのと同様に、臨床医の診断と画像の診断とは「ルートが違い、同じ山頂を目指すもの」だ。

病理医もまた、病理診断をもちいて、同じ山頂に別ルートからアプローチをする。

それはもしかすると登山ではなくドローンかもしれない。

臨床医からすると、「うわっ、あいつあんなところから見るのか。ずるいな。そりゃ簡単だわな」と、納得半分、嫉妬半分で見られることもあろう。

しかし、ドローンは悪天候では飛ばせない。

霧がかかっていたら山頂は見えない。えっちらおっちらと徒歩で登っていく方が確実なことはある。

満足度だって別種のものだ。




「徒歩の人が道に迷ってもドローンは飛ぶ」

「ドローンがさまよっても徒歩なら登山道が見える」

と、お互いにお互いの苦手な部分を補完しあうことで、誰かは山頂をみられるだろうとチームで医療をすすめる。

これならば、個々人が不完全であってもかまわない。

大切なのは「自分は何が不得意で、何をよく知らないのか、何がよく見えないのかをきちんとわかっていること」である。

富士の裾野に咲く雪割草は、登山者だけが愛でることができる。

富士山の火口の写真は登山者にはなかなか撮れない。





「一生勉強ですよ」というのは、自分が不完全なまま働いていることに対するひけめとか、劣等感とか、あるいはあきらめとか、そういうニュアンスを含んでいるようにも聞こえるが、そうではない。

現代において医療をする以上、誰もが一生勉強をしていなければ、お互いにお互いの得意不得意を時代にあわせて見極め続けていなければ、そもそもチームで富士山を極めることはできない。

では参考までに、ぼくが不得意としていることはなにか?


ぼくのわかりやすい弱点は、「自分がもう若くないと知ってしまったゆえの、発想の貧困さ」である。

ある程度視野を広くとりはじめると、浮かんできたアイディアにすぐ「……無理だな」とか、「突飛すぎる」とか、「現実性にとぼしい」と判断をしてしまい、チャレンジをしなくなる。

新しい登山道の開発が苦手なのだ。

さあそんなぼくは、これから、初心に帰ってチャレンジをするべきか?

それとも、ぼくより若い人が代わりにチャレンジしやすいように、チャレンジ以外の小仕事を請け負って、後進に道を譲るべきだろうか?

ぼくはどうすればチーム全体を前に進めていけるか?

そこに自分のエゴをどれだけ混ぜ込んでいいものなのだろうか?