2017年12月29日金曜日

忘年のゆくえ

今年はとうとう忘年会に出られなかった。でも、今年あったことは無事忘れているから大丈夫。会に出なくても忘年はできる。

ま、お世話になった人たちと目をあわせて、おつかれさまおつかれさま、とやることはいいことだ。出られるときは、出る。

けれど、正直にいうと、最近人と会って飲むことがとてもめんどうになった。

さまざまな仕事の予定があって忘年会には出られなかった、それは本当なのだが、最後、出られるはずだった忘年会のひとつは、体調不良を言い訳に欠席した。

無理すれば出られた。

けれど、出なかった。

いい人ばかりいる職場である。ほんとうは飲んで話して楽しくすごせた。




「誰かに話したかった胸の内」みたいなものを、ぼくはさんざんネットに放ってしまっていたから、いまさら飲み会で話す目新しい話題がない、という理由もある。

挨拶もお礼もメールで済ませてしまっているし、直接会ってどうこうというのにこだわらない、という理由もある。

懇親は、若い者どうしの方が盛り上がるだろう、と思っているのも事実だ。




いろいろな理由を思い浮かべている。

けれど、たぶん、「理由がないと安心できない」という理由があったからこそ出てきた「理由」だ。

どれも本当のことではない……本当のことなのかもしれないが、それはきっと大切なことではないと思う。




今朝、若い検査技師がぼくを呼び止めて、「先生の腰は大丈夫ですか? わたしさっきから急に腰がいたくて」と話し掛けてきた。

ストレッチが効くから試してみたらいいよ、しびれはないかな、同じ腰痛と言っても原因が違うと対処が違うから、一度みてもらったほうがいいかもねと短く伝えた。小さな感謝を得た。自席に戻った。

必要十分な伝達を終えた瞬間に会話が終わる暮らし。

慣れてしまっている。

ああそうか、最近のぼくに足りなかったのは、食材を大量に買い込んで、大量のゴミを出しながら、濃厚な食事を作って、後片付けで気が遠くなる、けれど楽しかったしおいしかったね、あはは、みたいな暮らし。





無駄なことはしない、とか、効率よく、とか、つまらないったらない。





ツイッターばかりやってないで勉強をしなさい、という言葉がずっと頭に響いている。

今日、7万円を振り込んだ。教科書代である。ぼくは勉強にはげむ。

そうしないと何も忘れることができないのである。




※次回更新は1月4日(木)の予定です。本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

2017年12月28日木曜日

病理の話(155) 名前をどこまで細かくつけようかというアレ

病名を付けるというのは病理医の仕事の中で最も重要なポイントである。

つまり! 結局! これは、がんですか! がんじゃないんですか!

そういう質問には力がある。

回答も力を持つ。

「はい、がんです」

もうここで臨床医も看護師も患者もみんながっかりするわけである。




しかし、実際に「患者の明日」に影響するのは、「どんながんか」であり、「どれくらい進行しているか」である。

「がん」という病名だけでは、ほとんどのことを予測できない。




ひとくちに「がん」と言っても。

腺癌(せんがん)と、扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)と、神経内分泌癌(しんけいないぶんぴつがん)では、効きやすい薬がまるでちがう。



じゃあ、腺癌であればだいたい共通した薬が使えるか? それも違う。

肺の腺癌と、乳房の腺癌は、どちらも「腺の性質を持ったがん」だが、性質がまるで違う。効く薬も違う。




それなら、肺の腺癌であるとわかれば、ほぼ挙動が予測できるか? 残念ながらこれも間違いだ。

Lepidic growth pattern優性の肺腺癌と、acinar pattern優性の肺腺癌。これらの悪性度(命に影響を及ぼすつよさ)は同じではない。




だったら、だったら、肺のacinarタイプの腺癌である、とまでわかれば、もう全部予測できるか? まだまだ。

浸潤部が1cm以内で、臓側胸膜に染み込んでいない場合と、浸潤部が3cmを超えていて、臓側胸膜にも染み込んでいる場合では、予測される将来像が異なる。




うん、わかった、そしたら肺のacinarタイプの腺癌で、1cm以上2cm未満の浸潤部を要し、胸膜には浸潤していなくて、リンパ節転移も肺内転移もない、までわかれば、患者が将来どうなるかを予測できるだろうか?

……いくらなんでもここまで細かく見れば、予測できるだろうか……?



いいせんいってる。

けど、これでも足りない。

この肺癌が、EGFRという遺伝子に変異を持っているか、ALKという遺伝子の関与する融合遺伝子を有しているか、ROS-1遺伝子に変異があるか……。

PD-L1ががん細胞の表面に発現しているか……。

まだ見つかっていない遺伝子変異も含めて(!)、遺伝子・タンパクレベルでどのような性質であるかを観察しないと、世にたっくさん存在するどの抗がん剤がよく効くかが、わからないのだ。







これらを緻密に、もらさず検索することこそが病理診断の仕事である。病理診断の仕事とは、細胞をみてあーおもしれぇなー不思議だなーというだけに留まらず、どこかで必ず、

「患者がこの先どうなるか、どういう治療をしたらいいか」

を推測するための手段でなければいけない。




いつもいつも推測できるとは限らないし、推測するにしても幅が大きい。話も長くなる。だって今日の記事にしたってずいぶん長いだろう。

けれど、患者や医療者が「じっくり」話を聞いてくれないと……。

「がん」というところに心を奪われてしまい、「どういうがんか」を聞き漏らしてしまうと……。





だからぼくらは、「伝える技術」を学び続けないといけないのだと思う。今まで以上に。

2017年12月27日水曜日

伝統の巨人戦

Windows updateがあるたびに少しずつアプリが不具合を来すのがおもしろい。

どんなアプリも「末永く」使ってもらうことを想定していただろうにな。

よく言われることだが、写真をきちんと紙に焼いてアルバムに入れておけば何年も取り出して眺められたのに、うっかりPCメディアに入れて置いたら時代とともに見られなくなってしまった(例:MO)、なんての、人とメディアの戦いの縮図みたいだなあ、と思う。

一方的にPCメディアが悪い、みたいに書くのもほんとうはへんだ。

紙の写真にしてしまっておいたはずが、引っ越しのどさくさにまぎれてアルバムごと紛失してしまった、大掃除の末にどこかに消えてなくなってしまった、なんて人だっていっぱいいるだろう。

人は記憶を手に入れたことで、忘却と戦わなければいけなくなってしまった。

代替保存先が紙だろうがPCメディアだろうが、忘却は容赦なく襲いかかる、ただそれだけの話、のようにも思う。



ワンピースの中で「人が死ぬのは忘れられたときだ」というセリフが出てきたとき、世界各地で何度も何度も語られた言葉であったにも関わらず、おそらく数百万オーダーの人々が「名言だ」と言った。ぼくも名言だと思った。

けれど人類は歴史の中で何度も「忘却こそが死である」というブンガクを残してきていたはずだ。

これだってひとつの忘却の形なのである。人間が寄り集まって社会を作り、社会がこねくりまわして文化を創り、歴史を織りなしていっても、社会がアップデートするたびに、歴史が刷新するたびに、かつて残した文学の記憶が失われていく。何度でも繰り返される。いつも人は、過去に言われていたであろうことに新鮮な感動をする。




忘却があるからこそ文芸は生き延びていける、と極論することもできる。

人類の英知が、巨人の肩の上に完全に乗っかっていたら、後世の人ほど新鮮なわくわくを感じることはできなくなってしまう、かもしれない。

巨人が常に膝から崩れ落ちているからこそ、人は高いところに登った喜びをいつも感じることができるのかもしれない。





その点、科学は不便である。

巨人の肩の上に立つということは、遠視でなければ生きていけなくなるということである。

科学に忘却は許されない。けれど、ぼくらは、科学を語るときにいつも、人類の総和としての知を忘れそうになるのだ。

2017年12月26日火曜日

病理の話(154) 病理は新たな地図である

子供の頃はぐんぐん知識を吸収するのに、大人になると新しいことを覚えられなくなる……という、「呪い」のようなものがある。

この理由を、「脳の成長や衰え」で説明する人もいるのだが、ぼくはちょっと違った説明を考えている。




子供の頃の脳。最初は、知識や知恵をどのように仕入れていくか。

地理で例えよう。まずは、「東京」の知識をぐんぐん仕入れていく。

山手線を覚える。京浜東北線を覚える。

メトロを知る。首都高を認識する。

23区だけが東京ではない。国立がある。八王子がある。青梅がある。小笠原諸島なんてのもある。



これが、成長するに従い、やがて東京をはみでて、埼玉を知り、神奈川を知り、千葉を知り……。

知恵のフィールドがどんどん大きくなって、少しずつ知恵の深度も深くなっていく。



成人する頃には、日本全土のどこに何があるかを、おぼろげにわかるようになっている。

一度、ある程度の地図が頭に入ってしまうと……。

実は、そこから、「知が増える快感」を得るのが、少し難しくなってくると思うのだ。




かつては、東京の外に埼玉があることだけで喜べた。

千葉に空港があると知るだけでわくわくした。




けれど、いざ全国を見てしまうと、今度は岩国に空港があろうが、新青森に新幹線の駅があろうが、

「ま、そうだろうなあ」

と、ちょっとした「当たり前感」を覚えてしまう。

ローカルな知識は、いつしか、雑学とかトリビアの箱に入れられてしまう。

新鮮みがなくなるのだ。

ありがたみもなくなってくるのだ。





何かを学ぶことに、「雑学感」が出てしまうと、人間の勉強というのはとても効率が悪くなる。

「そんなことはないぞ、私は雑学をおぼえるほうが好きなくらいだ、むしろ学校の勉強よりよっぽど覚えやすい!」

という人も一定の割合でいる。

ただ、雑学というのは、同時に複数のジャンルをおさえることが極めて難しい。

歴史と軍隊に詳しいオタクが、昆虫にも詳しいことはまれである。

広い領域を犠牲にして、一部の深度だけを深めることを選ぶならば、人間はいくつになっても学んでいけるのかもしれない(ただしここには向き不向きがある)。

しかし、「日本全国をまんべんなく」学び続けることは極めて難しい。





今日は「病理の話」の日である。以上の話が、病理の何と関係するというのか。





病理というのは、多くの医療者にとって、「マニアック」な、「雑学的な」、「オタク的な」ものだと思われているふしがある。

地図で例えるならば、北海道の、それも宗谷岬とか、知床岬みたいな、「端の端」だと考えられている。

病理は、出来る人だけがやればいい枝葉末節である、と思われているように思う。





でも違うのだ。

病理というのは、ぼくに言わせると、「あらたな地図」だ。

そもそも病理学というのは、医療を俯瞰する視点であり、生命科学や診断学に通底する概念なのである。

あらたな地図が、たたんだ状態で、置いてある。

それを開かないままに、「もうローカルな地図をマニアックに覚えるのはいいや」と思っている人がいっぱいいる。

けれど、病理は、臨床医学という地図と同じくらいの面積を持つ、色違いの地図なのである。



Google mapで、「航空写真」と「地図」を切り替えると、同じ地域がまるで違ってみえるだろう。あれと一緒なのだ。




臨床医は、ふだん、日本地図を「航空写真モード」で眺めている。拡大縮小、思いのままだ。細かい建物も、大きな山も、すべて見える。

けれど、病理学を修めると、同じ地域を「地図モード」で眺めている自分に気づく。

国道がハイライトされる。電車の路線図が見やすくなる。色彩は失われるが、市町村の区分けはよりわかりやすくなる。




ぼくはこのことにはじめて気づいたときから、誰かに病理の説明をするときに、「枝葉末節の話だけをしてもだめだ」と思うようになった。

大人は、トリビアには辛辣である。よっぽどおもしろいエピソードと一緒に語らないと、細かくてマニアックな穴の奥深くの話には、なかなかついてきてくれない。

けれど、病理は新しい地図なのだ。

世界をまだまったく知らなかった子供の頃に。

地図を眺めて、隣にもその隣にも県が連なっているのだと、感動していたあの頃に。

戻ることができる。

あの頃に戻るような気持ちで、医学をいちから、全く違う視点で、語り直す。




「大人になって、脳も衰えてさ、最近ものおぼえも悪いし、新しいことなんか覚えていられなくなったんだよ。だから、今から病理の話なんてされても、わかんないよ」

こういう人にこそ、病理の話を伝えてみたいと思うのである。

2017年12月25日月曜日

ミゴーシャって書くとガンダムのサブヒロインっぽさがある

スポーツをせずただ観るばかりの人、に対する弱いあこがれがある。

高校卒業後、父と弟と三人で、野球を見に行った。東京ドーム、千葉マリン、そして甲子園。それぞれに雰囲気の違うスタジアムであるが、いずれにも実に満足そうな、実に幸せそうな観客たちがいた。

東京ドームでは勤め帰りのサラリーマンたちがビールを何杯も何杯も飲んでいた。

千葉マリンでは後ろの席の女性がずっと「キャーハツシバサーン」と叫び続けていた。

甲子園にはそろそろ立つこともままならなくなっていてもおかしくない、よぼよぼのご老人が、応援旗を振り回しながらときおり「ケェーッ」と超音波を発していた。

彼ら、彼女らをみながら思ったのは、「この人たちはおそらくバットもボールもろくに握らないだろうな」ということ。

「プレー(競技)しなくても、プレイ(遊)するものを手にしている、うらやましい人たちだなあ、ということ。



ぼくはあの日以来、多くのスポーツのルールを学び、見られる機会がある限りいろいろなスポーツを見てみたいと思った。

そして、なにかにつけて、こう言われた。

「頭でっかちなことしてんなあ」

「スポーツは見るよりやるもんだよ」

「にわかだな」

「できもしないのに解説者になりたいのか」



ぼくは少しずつ、スポーツを肴に酒を飲む相手は選ばなければいけないということ、スポーツを語ることは比較的うっとうしいのだということ、うっとうしがられて寡黙になった人たちがスタジアムでは楽しそうに声をあげていたのだろうなということ、などを肌で感じて蓄積していった。




観客で居続けるにはスキルがいる。

ある時間を「観戦」にあててもいいくらい、日常がうまく回っていること。

ひいきの対象が勝っても負けても、スポーツそのものを楽しめるだけの、知恵。

選手がときおり発する感情を共有できるだけの、知識。



ぼくは少しずつ、あの日のサラリーマンや女性の年を追い越し、あの老人に近づいているが、いまだにそれほど頻繁にはスタジアムに通えない。

今でも、スポーツをせずただ観るばかりの人に対する、弱いあこがれがある。

最近このあこがれを、スポーツに限らず、あらゆる職業、あらゆる創作物にも広げたらどうなるのだろう、ということを、ふと思いついた。

2017年12月22日金曜日

病理の話(153) 病理医はどこで働いてるのか

今いる病理医の「はたらきかた」が何種類かにわかれていることは確実。ただその比がよくわかっていない。いつか実数をきちんと把握したいなあとは思っている。けどどうやって調べたらいいのかわかんないな。

とりあえず、分類だけを済ませておく。


・大学・研究機関にいる
・一般の病院にいる
・検査センターにいる



これらをもう少しわける。


1.大学・研究機関にいる
 a) 主に研究をしている。生命科学の研究。遺伝子やタンパクを調べるなど。顕微鏡診断は全くしない
 b) 主に研究をしているが、それだけだと食えないので、顕微鏡をみて診断をするバイトをしている
 c) 主に研究をしているが、研究するために顕微鏡をみる必要があるので、自然と診断もしている
 d) 研究をするつもりではいるが、顕微鏡診断のほうに本腰が入っている
 e) 研究をあまりせずに顕微鏡診断をメインにやっている

2.一般の病院にいる
 a) 主に顕微鏡診断をしている。研究は手伝う程度で自分ではやらない
 b) 主に顕微鏡診断をしているが、たまに大学などと協力して研究にも参加している
 c) 顕微鏡診断をしているが、いずれ大学に戻って研究するまでの修行

3.検査センターにいる
 a) 主に顕微鏡診断をしている。研究はしていない
 b) 主に顕微鏡診断をしているが、昔研究をしていたので、ときどき研究に手を貸している



まあこんなかんじ。

えーと、ぼくは「2-b」になります。


書いてみると自分でも、おっ、と思うんだけど、病理医はたいていの場合、「研究」をしている。今していなくても、生涯のキャリアのどこかでは大学と関わったり、研究をしたりしている。学者としての性格が強い仕事なんだ。

研究を全くしていない病理医は少なくて、たとえば検査センターにいたりする。けれど、そういう人もたいていは、昔大学でいっぱい研究をしていて、大学を退職したあとの第二の人生として検査センターを選んでいる、なんてパターンが多い。

「生涯にわたって、研究をほとんどしていない」という病理医の割合は、おもいのほか少ない。





ただし。

今、少しずつ、増えているように思う。

実数を把握しているわけではないけれど。

「病理診断学そのものが楽しそう」、というイメージをもって、最初から診断だけをするためにこの世界に入ってくる人が、増えていると思う。





昔だって、「診断が好きだから病理医になった」という人はいっぱいいた。けれどその人たちも、かつては大学への”ご奉公”みたいな制度があったので、たいていどこかのタイミングで研究をして、博士号をとっている。

博士号をもっていない病理医というのはかなり少ない。

でも、今この時代、はじめて、「大学に属さず、博士号に興味がなく、研究はせずに、病理診断だけをしたい人たち」が、増えてきたのだ。




このことは、病理医に限った話ではない。

臨床医は、病理医よりも30年くらい早く、この「転換」を経験している。

昔、臨床医もたいてい大学の医局に属していた。しかし、30年くらい前に医局制度がめちゃくちゃになり、今では大学とか研究にあまり興味をしめさずひたすら臨床に生きる医者が、だいぶあたりまえになった。

30年経った今だから、臨床医は、「研究しない人生」「大学にいないキャリア」を思い浮かべることができる。





しかし病理医はそうはいかないのだ。

治療も維持もしない、診断だけの医者。

ほんとうはここにもうひとつ、「研究」が加わってはじめて、病理医のアイデンティティは構築されてきたという歴史がある。

では、「研究」に生涯一度も触れずに診断をし続ける病理医というのは存在可能なのだろうか……。






ぼくは可能だと思う。

ただ、ぼくとて一度は研究の世界に身を置いていた。

研究の世界。すなわち、大学である。

ぼくより若い人たちが、大学を通過せずに病理診断学を究めようとするのをみると、なんとか応援したいと思う。

しかし、ほんとうにそんなことが可能なのだろうか、と、心のどこかで不安を抱えている。

本当に可能なのだろうか。





大学にいなければ学べない経験というのがある。

ひとつには、「多くの病理医と知り合うこと」。

ひとつの組織に属してしまうと、せいぜい2,3人、運が悪ければ自分ひとりしか頼れない。

それでは診断学は伸びていかない(と思う)。

さまざまな病理医と知り合うことで、いろいろな病理診断学を知ることができる。

大学というのは人の出入りが激しい上に、関連病院という名前の属国を持っているから、複数の病理医と関係することができる。

では、大学に行かずとも、複数の病理医と知り合うにはどうしたらいいか……?




ふたつめ。「研究のメソッドを知ること」。

自分で研究を全くやらないのは生き方としてアリなのだが、病理医というのは「診断をする上で、研究的な頭脳がないと、臨床医とうまく会話できなくなる」場合が、たまにある。

たいていはプレパラートを見て白だ黒だと言えばいいが。

ここぞ、というタイミングで、臨床医の「なぜ」に答えるためには、研究的な目線が必要になる場合がある。

大学に行かずとも、研究のメソッドを知るにはどうしたらいいか……?




ぼくはこれらの答えとして、暫定的に、ひとつの結論を用意している。

「大学とある程度仲の良い市中病院で」

「複数の病理医がいる市中病院で」

「大学とつかずはなれず、軽いコネは作りながらも研究にかり出されたりはしないような」

ところで、研修をすればいいのではないか、ということだ。




やはり多くの病理医を見ておくことは必須だと思う。少なくともキャリア10年未満で「ひとり病理医」を経験することにあまりメリットはない。まわりに教わる人も教える人もいない環境で顕微鏡とだけ向き合うのは、完成されてからでいいはずだ。

ひたすら診断をやりたいというならば、症例が多くないときびしい。勉強ができない。

症例が多ければ人も多くいないときびしい。疲弊して勉強どころではなくなってしまう。

症例が多くて、複数の病理医がいて。

しかもその病理医たちの一部が、大学とある程度良好な関係を築いていれば……。

同僚を介して、さまざまな世界をみることができる。



……と、ここまで考えてはいるのだけれど。

結局はその人が「何を大切にしたいか」で決めるべき、なんだろうなあ……。

2017年12月21日木曜日

免許はオートマ

人の気持ちを代弁したり、人の気持ちを大きくして誰かに届けたりする仕事というのがあって、それはもういかにも大変そうで、報道とか広告代理店なんてのはそういう信条を抱えて働かなきゃいけないんだからしんどいだろうなあ、と、なんとなく考えていた。

代弁は無理だわなあ。

代表したところで、なんでお前が代表なんだよって怒られるだろうしなあ。

「おきもちのしごと」は、さぞかしこわいだろうなあ。(※こわい、は北海道弁で「体が強(こわ)ばる→つかれる、だるい、しんどい」という意味になります。)



患者の気持ちになるってのは実際むりだ。

患者のほうだって、「あなたには私の今のつらさがわからないでしょう」と言うことが、あるいは言いたくなることがあるだろう。

そりゃあそうだろうと思う。物理的に無理だ、というのもあるが、もし神様が魔法かなにかで「お前は今から人の気持ちがぜんぶわかるのじゃ」とやったところで、複数の患者を相手にしている医療者が患者それぞれの苦しみをぜんぶ共有してたら、たぶん患者より先に死んじゃうだろうな。



だからどうするかというと、お互いの気持ちを完全にわかりあうなんて不可能だと悟った人から順番に、

「ぜんぶがわからなくてもお互い無駄にすりへらずにすむように、ここまでなら傷つくまい、ここまでなら癒やされよう、というポイントを遠回しに攻める技術」

というのを身につけることになる。



わからないならわからないなりの立ち居振る舞いがある、ということだ。

それは別に相互理解をあきらめろってわけじゃなくて、「わからなくても優しくできるようなしくみ」を探すことを早いうちからやっとけよ、ということなのだと思っている。



人は必ず相互にわかりあえる、と信じている人もいるので、その境地に辿り着くなんてすごいなあと尊敬もするが、とりあえずぼくにはそういうことはできないので、わからないけど尊重するよ、わからないけどやさしくありたいよという立場を極めていきたいなあと思うのだ。



残酷なことをいうようだが、ぼくは、上記の考え方はある程度「マニュアル化」できるのではないかとさえ思っている。

世の中は九分九厘、「マニュアル化」に対して批判的な態度をとっているが、ぼくはマニュアルに対して冷徹な人間のやさしさをあまり信じていない。

「説明書をまじめに作ろうと考えている人」に失礼だからだ。

あまり高頻度では遭遇しないが、たまに、「この説明書は丁寧でおもしろいなあ」というのに出会うことは、ある。

すべてのマニュアルを無機質にとらえるというのは思考停止だと思う。

人間同士がわかりあえると信じている人ほど、「マニュアル人間」をバカにする傾向があるように思う。




マニュアルの一行目には、「まず傾聴しよう」と書く。

人はいつかわかりあえるはずだ、と声高に叫ぶ人ほど、相手の話をぜんぶ聞く前に自分の考えをしゃべりだす。

自分を相手にわかってもらうことが相互理解の第一歩だと本気で信じている。

だからぼくのマニュアルの一行目には、「黙って、うなずいて、あるいは相づちをうちながら、相手の話を全部聞こう」と書いておく。

これは多くの医療者が胸にしまっている、問診マニュアルと似ている。

それがマニュアルだからといって、患者が医療者に怒る必要はない、と思う。

だって自分の話を続けることができるのだ。わからないなりに、わかろうとしてくれるのだ。

そのマニュアルの、何が悪いというのか?

2017年12月20日水曜日

病理の話(152) マクロ最強論

CT、MRI、エコーや内視鏡など、臨床の画像をまだそれほど使い慣れていない初期研修医が、病理に勉強に来ている。

そういうときにはまず、手術で採ってきた臓器の肉眼像をみせる。

ミクロ(顕微鏡)より先に、病変のマクロ(目で見える姿)を仕込む。

最後までミクロを教えないこともある。



一方、初期研修医ではなく、ある程度訓練を積んだ後期研修医、さらには研修を終わった後すでにエースとして働いている臨床医が病理にやってきたときには。

マクロと、ミクロを、一緒に見せる。

経験のある臨床医であれば、最初からハイレベルな学問を与えても、そこまで画像で培ってきた知識を総動員して、うまく消化・吸収してくれる。




いずれにしても。

病理は顕微鏡をみる部門だと思われているのだが、実際に勉強にやってきた人に、ミクロ画像だけを教えて返す、というのはやったことがない。

省略するならミクロだ。

マクロは落とせない。








世の大半の医者にとって、病理はマニアックで、ニッチで、オタクである。それはもうよくわかった。何十人、何百人という医者と話をしてきた。まちがいない。

それでもなお、一部の医者は、自分のキャリアを充実させるために、病理で勉強をしたいといって検査室にやってくる。

特に、「がんを扱う科」や、あるいは「画像診断を行う科」で働く予定の人にとって、病理は宝の山だ。

「がんを診ず、画像もあまり使わない科」であれば、病理には用はないだろうと思う。



で、その、マニアックでニッチでオタクな病理にやってきた医者達は、忙しい。

王道の、自分の本職を極めるのに、忙しい。

だから、マニアックな病理診断の全てを極める時間は、当たり前だけど、ない。

全部を教えることはできない。



ポイントを絞って教えることこそが肝要だ。

そのポイントの筆頭が、「マクロ」だと思っている。




手術で採ってきた臓器に出現している病気を目で見る。

かたちがある。色がある。表面性状のざらつきやてかり。出血や壊死の有無。周囲の正常構造をいかに押しのけているか、あるいはしみこんでいるか。

これらのマクロスコピック(macroscopic: 目でみて判別できる規模)の変化をきちんと読めるようになると、CTやMRI、超音波、内視鏡で病変を間接的に、あるいはガラスごしに観察したときの、

「現実感」が変わる。

「なぜ○○がんはCTだとこう見えるのか」に、血が通うようになる。

「なぜ□□がんの周囲に内視鏡でこのような模様が見えるのか」を、直接目で見て感じることができる。




マクロな病態の説明は楽しい。

患者さんの労苦の原因を前にして「楽しい」とは本来医者が一番言ってはいけないセリフなのかもしれないが。

ニヤニヤ楽しい、fun、という意味ではなく、興味深くて心を動かされ、なんとかしようと考え抜くinterestingのほうだ。

目で見て違いを見極める作業は、頭の中に大きな筆文字で「納得」を書いてくれる。

初期研修医にはまずマクロを叩き込む。

まともにCTも読めない初期研修医だからこそ。

病理を出てから、またCTの勉強をはじめるときに、病理のマクロを思い出して、理解が進んだらいいなと。




初期研修医が病理を去ってからのことを思い浮かべる。

きっとCTを読むだろう。内視鏡を読むだろう。超音波プローブを片手に、さまざまな病態に悩む日が来るだろう。

そのとき、マクロがお守りになるかどうか。

……なる。なるが、それだけでは足りない。




もうひとつのポイントがある。それは、ミクロ、ではない。

「病理学」だ。




初期研修医たちは2年かけて医術を学ぶ。医療倫理を学ぶ。そこに、ホンモノの学問を叩き込む。巨人の肩の上に立つためのはしごをかける。

それが病理学、やまいのことわりの学問だ。




がんの定義とは。なぜがんになる。どのようながんが多いか。あなたは将来どれほどがん診療に携わるだろうか。

がんをマクロで見ながら語る。なぜこれががんなのか。どこらへんが大事なのか。

がんだと何がまずいのか。なぜ人はがんを恐れるのか。




がんを皮切りに、がん以外の疾病についても語る。感染症。変性疾患。

心臓や外傷や麻酔の話もする。「病理医なのに?」驚くだろう。たしかに循環器内科医や整形外科医や麻酔科医の知識は、ぼくはない。

しかし、理に関しては別だ。

理がある、ということを、文字通り理解してもらう。




マクロと病理学だけで手一杯なのだ。ミクロに辿り着くひまがない。





病理を去るときに、声をかけることがあるし、声をかけないこともある。研修医たちが病理を回る最終日、ぼくはなぜか出張のことが多い。最後に会えないこともある。

会えるときにはこう声をかける。

「マクロと病理学、先生のこれからの、役に立てばいいですね」

こう言うと、いろいろな返事をされる。

もうひとこと、付け加える。

「ちなみにぼくが一番詳しいのはミクロだけど、今回の研修は短かったから、そこまでたどり着けなかったね」

このひと言には、だいたい返事は一緒である。

――――え、そうなんですか。じゃあ、またいずれ、病理を勉強しに来ますね、今度はミクロを学びます。

しめしめ。

「いずれご縁があれば。ぜひ」

2017年12月19日火曜日

ハイパーヨーヨー

ようやく腰痛が治った。

治ったというかうまくつきあえるようになった。

腰や首との戦いは5年越しである。35歳になろうかというタイミングであちこちを傷めていた。24歳まではずっと剣道をやっていたのだが、剣道をやらなくなってから10年経ったあたりで、急速に体ががたつきはじめた。筋肉が弱ることでデスクワークへの耐性も衰えたのだろう。

腰が痛くなるたびに、ストレッチや姿勢、椅子の高さなどを駆使してなんとか乗り切る。

当院の医師や友人の理学療法士などとも相談した。湿布が効く場合と効かない場合があること。体全体の緊張がかなり影響しているようだということ。枕の高さが高すぎるということ……。

よく言われることだが、ぼくもご多分にもれず、痛みがひくまでの期間は、「ああ痛みがなかったころは自分が幸せであることに気づかなかったのだなあ」、という気持ちになる……。




という文章を書いているのは公開日より1週間前のぼくであり、つまり今は腰痛の真っ最中である。

まだ治っていない。そもそも1週間後に治っているという保証もないのだ。

しかし治っているだろうと仮定して書く。治っているぼくが、痛いころの自分を思い出して、気を引き締めているところを想像しながら書く。

……いったいぼくはどんな修行をしているのだろう。




病院の廊下をゆっくりと歩く高齢者たちをみる。ああ、つらかろうな、と思う。

同じく腰痛に苦しんでいた友人の、普段の姿勢をみて、わかるぞ、その張った胸は偉そうにしているわけじゃないんだ、少しでも腰に負担をかけたくないんだよな、と察する。

仙台空港で、荷物カートに体重を預けながら歩いた。「杖」の意味を知る。昔から今に残るものには必ず意味がある。

ヘルニアではない、腰椎すべり症でもない、おそらくは凝り固まった広背筋及びその周囲筋と、デスクワークで血流が悪く硬化した大腿四頭筋によって、骨盤が上下に牽引されるときの、腱の痛み。

そこまでわかっていて、対処法もわかっていて、なお頭を必ずかすめていく、「もしこれががんだったらどうしよう」というおそれ。

病名がつかないままに日々をおくること。

医療者にたよらないままに暮らすこと。

医療者であってもこれほど不安で、ストレスで、筋肉を硬くし、症状を悪化させていく。




来週のぼくはもう忘れていて欲しい。

けれど覚えていて欲しい。

さあ、どうだったろう。いつものように予約投稿をしかけてスケジュールボタンを押す。

2017年12月18日月曜日

病理の話(151) 病理医ドラクエ論考

病理診断は全身の臓器を相手にするのだが、全部の臓器をすべて完璧にみられる人というのはけっこうレアで、たいていは得手不得手がある。



ぼくは胃、大腸、肝臓、胆道、膵臓、肺、乳腺、甲状腺が得意である。

子宮、卵巣、膀胱・尿管・腎盂、腎臓はまあ普通だ。

リンパ節、骨髄についてはがんばって覚えようとしている。

皮膚はあまり得意ではないが苦手ではない。

脳腫瘍は昔得意だったが今は大の苦手となった。

軟部腫瘍はひたすらに難しく、毎回戦いである。




……これらの得意・不得意は、ぼくの性格とか能力で決まっていったわけでは、ない。

ぼくが今まで、「臨床医といっぱい話をしてきた分野」から順番に得意になっている。

胃とか膵臓が「好き」だから、胃や膵臓が「得意」になったわけではない。

ぼくの仕事相手が、たまたま胃や膵臓の話をいっぱいしたのだ。

だから、ちょっとずつ得意にならざるを得なかった。







すべての科に習熟したスーパー病理医というのに、ちょっとあこがれる。

「脳外科もできるし心臓外科もできるし食道も肝臓もとれるし膀胱もとれる外科医」にあこがれるようなものだ。

でも、そんな外科医はブラック・ジャックだけである。つまりは昔の、マンガの中だけにいる。

高度に専門化した今の医療の現場において、例えば小脳腫瘍摘出術をバリバリこなせて、かつ、膵頭十二指腸切除術ができて、食道切除術ができて、さらに、僧帽弁形成術ができる医者というのは、賭けてもいいけど、いない。

無理である。

それといっしょだ。「すべての科に習熟したスーパー病理医」というのも、ちょっと無理がある。

やっぱり病理医も、臨床医と一緒で、働いていくうちにいつしか、「専門」が決まってくる。





確かにぼくはもともと、胃や大腸の病理は好きだった。

ただ、肺とか肝臓、乳腺、甲状腺まで得意になりつつあるというのは、これはもう絶対に、臨床医との付き合い方によってじわじわと決まってきたもので、ぼくの思惑とは必ずしも一致していなかった。

結果的にぼくは、得意な臓器がちょっとだけ増えて、うれしいのである。

おもしれぇなあ、とも思う。









病理医として名を成し、世界で戦いたい若手たちは、くちぐちに、有名な病理医の名前を出す。

「胆膵病理のドン」だとか。

「リンパ腫病理の権化」だとか。

「軟部腫瘍の帝王」だとか。

そういう人々のもとで働いて、世界に通用するような診断をしたいのだ、という。

いいことだ。

やはり、若い人というのは、「俺じゃなきゃだめな世界」で働くことを目指してほしい。

一本の大剣を持つことはとてもいいことだ。この聖剣があればどんなボスでも倒せる、というような、強い力を求めてほしい。

有名で、有能な、臓器専門の「病理医」に師事することで、自分の剣を大切に育てることができる。




ぼくにも大切な師匠がいっぱいいる。

病理医も、複数だ。様々な臓器の専門家にちょっとずつ教えてもらう。

ちょっとずつ、だから、なかなかその道の頂点には登れない。

頂点どころか5合目にも達していないと思う。

けど、師匠は病理医だけではない。「臨床医」もまた師匠だ。

日々電話やカンファレンスでやりとりする臨床医から、こんなレポートを書いてくれと要望を受けたり、実際に書いたレポートについて質問を受けたり、一緒に学会発表の内容を考えたり、査読で突き返された論文に頭を抱えたり……。

こうしているうちに、「大剣一本」とはちょっと違った強さが、少しずつ育っていく。





臨床医にとって、ぼくは、唯一無二の存在ではない。

ほかにも病理医はいる。ほかの病理医に頼んでも大丈夫。

「ぼくじゃなきゃだめな世界」ではない。「ぼくである必要はない世界」。

けれど、多くの臨床医、多くの師匠たちが、「ぼくである必要はないけれど、ぼくに仕事をふってくれている」。




「大きくて、強くて、レアな剣を振り回す、勇者」にはなれなかったぼく。

けれども、ぼくの「経験値」そのものが、少しずつ上がっていった結果……。

剣も攻撃魔法もそこそこ使えて、回復魔法もまあまあできる、「賢者」っぽいポジションで、戦えている気がする。




「あそびにん」から転職することができるというのも、気に入っている。

2017年12月15日金曜日

かさよ、かさよ

【挿入話(3)】

 財布をしまいながら、ロビーから玄関に出た。ガラス越しでは雨が降っているかどうかよく見えなかったが、過ぎゆく人々が傘をさしているのがわかった。財布と入れ替わりに折り畳みの傘を出し、傘の骨を一本ずつ伸ばしながらゆっくりと外に出る。傘を完全に開く前にひさしを通り抜けてしまう。眼鏡が少しにじんだ気がする。石のタイルが濡れそぼっている。もし今ここで足を滑らせて転んだら、また玄関からロビーに逆戻りして、順番を待つ羽目になるのか、順番を待つ人の横を担架で運ばれることになるのか、どちらにしても恰好が悪いなあと少し眉をひそめながら、ゆっくりとした小走りの姿勢で信号の前にたどり着く。ようやく傘を開き終わり、少し肩をすくめるようにして下に収まった。なぜか空気がきれいになった。背筋を少し伸ばす。なぜだろう、雨からよけるだけのことに、本能がとても満足しているのは、なぜだろう。
 傘は面倒だ。傘なんてなくても生きていける。けれど、折り畳み傘を持たない日に雨に降られると、今そこで濡れているという事実以上に、なぜ朝方傘を持たずに出かけたのだろうと悔やむ気持ちが心を濡らす。傘を持つ面倒さと、傘を持たなかった時の後悔。両者は対立項であるが、実際、どちらも私にとってはマイナスでしかないわけで、どちらが勝ったとしても私は損をするわけで。私と、傘のない暮らしと、傘のある暮らしとの三国鼎立であった。傘を納めても重みで形が崩れないようなかばんを選ぶ。かばんの柄と服の柄があまりに違いすぎないような傘を選ぶ。傘を持ち歩いていても恥ずかしくないような生き方を選ぶ。

 さっきもらってきた薬を飲むようになってもう4年ほど経つ。血圧が高いからと言って今日明日死ぬわけではない、けれど、高血圧を放っておいたらいつか死にますよとテレビも雑誌も言っている。だから薬を飲む。面倒だけれど、飲む。飲まないでいる自分を想像しながら、飲む方を選ぶ。

 この薬はきっと、傘のようなものだ。雨に降られたからといって、皮膚に穴が開くわけではないし、頭蓋骨が吹き飛ぶわけでもないが、しつこい雨が肌を濡らせば、私は少しずつ寒くなっていく。それがいやだ。傘は持ち歩くのが面倒だし、開くまでが面倒だし、傘を持った自分をコーディネートするのも少しだけ面倒なのだが、雨のときに開くと心が休まる気がする。雨音が傘を打つ音を聞いていると、洞窟で暮らしていた人類の祖先が最初に音楽を思いついたのは果たして雨音であったか、風の音であったか、どちらであったろうかと考えて、少し楽しくなってゆく。たぶん雨の方だ。だって、雨のときは、出かけられないから。出かけられないときこそ、音に耳を傾けたであろうから。

 血圧の薬を飲む。傘ほどの安心は、実は得られない。飲む前と飲んだ後で、自分がどう変わったのか、よくわからないから。毎朝、毎晩、血圧をはかる。医者に言われた血圧に収まっているかどうかを見る。収まってはいる。収まってはいるのだが、この薬がなければ果たして血圧がまた元のように高くなるのかどうか、実はそれもよくわからない。
もう雨は上がっているのではないだろうか。
 日傘にはちょっと暗いデザインの傘を、私は馬鹿正直に、雨上がりの空に向けてずっと開き続けているのではないだろうか。

 医者に、すごく遠回しにたずねてみた。
「最近調子が良いんですが、今日は薬を飲むのをやめてみようかとか、そういうことを考えてもいいのかとか、一応、今日はそういうことを、おうかがいしようかと……」
 けれど、全部は言えなかった。「今日は薬を飲むのをやめて」くらいのところで、手ぶりをつけて話を止められた。
「岡田さん、このお薬はね、ずっと飲んでいるからいいんです。やめたら血圧はすぐに高くなりますし、血圧が高い状態は1秒でも短いほうがいいんです。確かにありがたみはないですよね、今、見かけ上、血圧は正常ですからね。
じゃあ、そうですね、こう考えてみましょう。このお薬は、あれです、服。服とおなじ。私は昨日も一昨日も、職場にやってくるときに服を着てきました。それで、世の中の人に、別段変な顔もされないし、不審者扱いもされていないまま、今日にいたります。じゃあ、私は世の中の人に受け入れられているからと言って、明日私がね、服を着ないで、仕事場に来たら、その瞬間から私は変な人ですね。たぶん、通報されますし。つかまりますね。この薬もそれと一緒です、飲んでいる間は平和。飲まなければおおさわぎになります。続けた方がいいと思いますよ」

 わかってる。知ってる。そんなに言わなくてもいい。ちょっと弱さを見せただけだ。お金だってかかってるんだから。ちょっとたずねてみただけだ。

「なるほど……先生、たとえがお上手ですねえ。私すぐわかっちゃったわ。それなら飲まなければいけないのねえ」

 医者というのはこれくらいへりくだらないと機嫌を直してくれない。そして、これくらいのへりくだりが「心の底からわきあがってきた感情」だと勘違いする程度には、医者というのは世の仕組みを、人の心を、わかっていない。

 服と薬は違う。
 服を着ていない人はいないけれど、薬を飲んでいなくても平気な人はいっぱいいるんだから。
 私の薬は服じゃない。私の薬は傘。
 ずっと雨が降り続いている。おそらく死ぬまでずっと。

「母さん今日病院行ってきたんだって? 雨降ってたでしょう。危なくなかった? そろそろタクシー使ったらいいんじゃないかな」
「タクシーに乗るにはちょっと微妙な距離なのよ」
「最近のタクシー、短距離でも別に嫌な顔なんてしないよ」
「でもね、健康でいるために病院に行くのに、タクシーなんか使って運動不足になったら、意味がないじゃない」
「運動したいなら病院行くまでの道とかじゃなくて、もっと、公園とか、バラ園とか、そういうところを歩けばいいじゃない、見て楽しいし」
「あら、病院行く途中にね、とてもよく手入れされたお庭があるおうちがあってね、私あそこ通るの結構好きなのよ」
「ああ言えばこう言うんだから……わかった。けれど雨のときくらいは気を付けてよ」
「言ってなかったかしら、私、雨、好きなのよ。ちゃんと折り畳みの傘を持ち歩いてる人はね、ときどき雨が降ってくれないと、傘の持ちぐされ、みたいな気持ちになってかえって気がふさぐものなのよ」
「そんなのはじめて聞いたわ」
「傘を持っておでかけ、って、少しおしゃれでいいでしょう。フランス映画みたい」

 娘というのはこれくらいかみ砕いて説得してもなかなか納得してくれない。そして、私がわかりやすく示した矜持が「娘に心配をかけたくない感情」だと勘違いしてくれる程度には、世の仕組みを、人の心を、わかっているだろう。

 実際私は、自分の口から出てきた、「傘を持っておでかけ、って、少しおしゃれでいいでしょう」という言葉に、少し救われているような気になったのだ。

(2017.10.22)

2017年12月14日木曜日

病理の話(150) がんっつったらヤクザなわけよ

前回の病理の話でちょっと難しい話を書いて、昨日のブログでそれを茶化してものすごく難しい話を書いたので、今日はなんというか、一番かんたんな病理の話を書きます。



ぼくら病理診断医は、細胞をみることで患者の役に立つかなと思って働いています。

細胞をみるとなぜ患者の役に立つかというと、一部の病気が、細胞をみないときちんと診療ができないからです。

一部の病気です。細胞をみなくても診療できる病気はいっぱいあります。

高血圧とか。心筋梗塞とか。ケガとか。せきとか鼻水とか。

みなさんが普段、「病院に行く理由」として考えている病気の3分の2くらいは、細胞まで見る必要がありません。細胞をみる必要はないのです。




けどねえ一部の病気は細胞まで見た方がいいの。

がんとか。

ほかにもいっぱいあるけど面倒だからがんの話をするね。

口調が突然フランクになったのはめんどくさくなったから。

面倒な話って書くのも読むのも苦痛だから。

ぼくそういうのよくやるからわかる。




がんは、細胞まで見ると、いろいろわかる。

まず、「がんだ!」ってわかる。たいてい。

これが意外と難しくて、細胞まで見ないと、医療者も患者も、いまいち「ほんとにがんなの?」って言いたくなる。思いたくなる。

だからまず、「がんだ!」って決めるのがだいじ。

警察が誰かを「あいつ悪人だ!」って決めないとタイホできないから。



で、「がんだ!」だけで終わってはだめで、そのがんが「何人いるか」、「何をしてるか」をみる。

悪人が10人いるのと1000人いるのと10万人いるのは意味が違うわけ。

10人って不良集団でしょう。

1000人ってけっこうでかいヤクザじゃん。

10万人いると悪の軍隊だもの。まるでちがうよ。

不良集団だったら警察官でなんとかできるけど。

軍隊だったら戦争になっちゃうでしょう。警察官送り込んでもやられちゃう。

相手の戦力をみるってのがすごい大事なのね。で、これは、病理でみないとわからないときがある。




CTとかで見ても、「人数」はぶっちゃけわかるの。

けど、その人数が「どこにどれだけ散らばってるか」を見るには病理で細胞みるのがいいわけ。

軍隊が1箇所にかたまってるとね、CTにも映るから。すぐわかる。

けど、ゲリラ戦法みたいに、あちこちに細かく潜んでたら、航空写真みたいなCTだとよくわからないでしょう。

そういうときは細胞をみる。すると、どこかに潜り込む寸前の悪人とか、潜り込んだ直後の悪人とか、潜り込んでそこで新たに勢力を増そうとしている悪人とかがよくわかる。




人数だけじゃないよ、「何をしてるか」もだいじ。

チンピラみたいに人を殴ってたらもう悪人でしょう。

けど、全員がスーツ姿で、まるでサラリーマンみたいなかっこうをして、渋谷のセンター街に紛れ込んでたら、これ、航空写真では、悪人かどうかわからない。

そういうときに、顕微鏡で拡大するとね、サラリーマンがそれぞれリュックの中にバズーカ持ってたりするわけ。

「あっこいつやべぇ」ってわかる。

ヤクザでも「リアルヤクザ」と「インテリヤクザ」がいてね。

物理的に建物ガンガンぶちこわすやつもいれば、ネット犯罪に身を染めて潜入してるやつもいるでしょう。

人数とか居場所、そして「何をしてるか(どんな悪事をしてるか)」を、ちゃんと見る。




こうして悪人を見るためには、まずきちんと写真を撮る。写真を撮るというのは例えでもあるし、実際に撮ることもあるけど、ま、写真に例えちゃいましょう。

写真を撮るときに大切なことはなんですか?

悪人の顔がしっかり写っていること?

ほら、人数も大事だったよね。

あと居場所。

何をしてるかも。

となると、画角とか、構図がなかなか難しいでしょう。



構図決めるためには何が必要だろう?

航空写真をきちんと見ておくことかな。だいたいの見当を付けておく。

そして、プレパラートを作るときに、一番いい場所を選ぶこと。これがとても大事。



たとえば胃に病気があるとする。胃を手術でとりました。これをぜんぶプレパラートにしようと思ったら、たぶんガラスが200枚くらい必要になる。

けど、まずはプレパラートをつくらずに、胃をきっちり「目でみる」。

そして、「あっここが悪人多そう」とか、「ここがまさに犯行現場だ」というのを見極める。

航空写真(CT)も見ておく。事前に潜入捜査をした警察官の証言(胃カメラの結果)も見ておく。

そして、「ここぞ!」という場所をプレパラートにするわけ。これを切り出しといいます。

切って出してくるからだね。命名がアホだね。

切り出すのは病理医のウデがすごい大事。

ここでビシッとプレパラートにするからこそ、顕微鏡で病気をみることができるの。

切り出しがヘタだと……?

渋谷に悪人が集結してるのに、新宿の監視カメラをすみずみまでチェックしてもだめでしょう。

そういうことあるんだけどさ。まれに。どこの病院の病理医とは言わないけど。言ったら死ぬ。ぼくが。




で、プレパラートは技師さんが作ってくれる。専門の技師。頭あがらない。お歳暮贈る。

このプレパラート、1種類じゃないわけ。HE染色ってのがあってね。キャーのび太さんのHEー!なんてね。なんでもない。

これで悪人の顔とか体型がだいたいわかる。すごい使える染色。




今ね、たとえばテロ対策なんていうと、空港で、ただモニタで監視するだけじゃないでしょう。何やるか知ってる?

金属探知機ってあるじゃない。あれで武器を見つけ出す。

病理でもこれがあるわけ。金属じゃなくて特定のタンパクとか線維とかをハイライトする染色がほかにもいっぱいある。

これらを使いこなすのがまたウデよ。



でね、悪人を見てね、「ほら悪人がいましたよ」って言ったらさ。

これを臨床医とかに話さなきゃいけないわけ。

自分のところで抱えてちゃだめでしょう。実動部隊に情報を渡す。

タイホして、裁判して、世の中をよくしないといけないでしょう。つまりは診断と治療を進めないといけないわけだ。

でもね、ぼくがね、「渋谷の交差点にけっこうヤバ目のやつがワッサーいて、そこのビルとかマジ卍ヤバみでしたわ」つったらこれ、ぼくがまず捕まるよね。

だから、わかりやすい言葉が大切。

共通言語と言ってもいいかな。

「取扱い規約」とか。

「UICC/TNM分類」とか。

書き方があるわけだよ。アンチョコと言ってもいいかな。

項目をきちんと埋める。

埋めれば終わり? まあそれでもいいかな。

でもね、悪人撲滅の決め手は、このアンチョコを埋めたあとに、レポートの最後にひと言ね、書いてやること。ここ、ここにセンスが出るの。

「こいつ普段の悪人とちょっと違うかもしれんぜ、なぜならAがBだからだ」

みたいなコメントをつけるのね。ここも病理医のウデすごい出るね。

臨床医もコメント見るとピンとくるから。ここんとこうまく連携できてるとマジ医療のレベル上がるから。




最後にね。

医療やってる人って、日本全国担当してるわけじゃないの。

警視庁って東京を中心に仕事してるでしょう。北海道警察は主に北海道の案件担当してるよね。

パトロールもするし交通整理もするしタイホもするしいろいろやるじゃない。だから場所というか管轄を狭くしておくわけだよ。

けどね、病理医ってのはね、この管轄をなかば……無視するよね。

特殊部隊だよね。

全国を相手にする。

具体的に? 胃も大腸もみるし、肝臓も胆嚢も膵臓も、肺も乳腺も甲状腺も、腎臓も膀胱も尿管も、前立腺も子宮も卵巣も、脾臓だって脳だって、血管だって筋肉とか脂肪だって、神経だって……心臓だってさ。

「細胞のことは頼むよ」って言われたら出て行く。

管轄外とか基本ないの。まあ得意不得意はあるけどさ。不得意って言われたらそこの管轄も困ると思うんだよな。

そのかわり、パトロールはしないし。張り込みもしないし。泥棒と殴り合ったりもしない。

おもしろいと思った?




いやぼくはまだおもしろくないよ。だって何にも語ってないもの。

何が得意だと活躍できるか、とか……。

やっててすげぇビリビリくるのはどういうときか、とか……。

養育費払いながら旅行に行けるだけのお金をどうやって稼ごうか、とか……。




正確には書いてるんだけどね。このブログでね。過去に、149回くらいは書いたはずだよ。

養育費のことはたしか書いてないけど……。



※こんな内容を出版したらだめですよ。こういうのはブログで読むからいいの。依頼があったけど断っておきました。ブログで書かせろ。

2017年12月13日水曜日

さぁつまらん話

難しいことを書くと頭がよくなった気がしてうれしい。

本当に頭のよい人は、難しいことを書く場所を選ぶ。難しいことを書くなら、難しいことを読みたい人が集まっている場所に書く。かんたんなことを読みたい人が集まる場には、かんたんなことを書く。

自分が時間をかけて作った文章を無駄にしない。それが本当に頭のよい人である。

というわけで、繰り返すけれども、

「難しいことを書くと頭がよくなった気がしてうれしい」。








温州みかんを英語でSATSUMA(薩摩)という、という話をタイムラインで見た。

そもそも、温州ってどこだろう。

中国の下の方にあった。薩摩とは関係なさそうだ。

温州みかんは温州ではとれないんだそうな。じゃあなんで温州みかんというのだ。

少し調べると、みかんは元々中国の温州から鹿児島に伝わったのだ、という話を見つけた。これがほんとなら、温州の名もSATSUMAの名もまあ納得できる。

しかしゲノムを調べると、鹿児島あたりで変異して生着したみかんは、そもそも中国にあった柑橘類とは違うらしい。

いろいろと雑な説なのである。



ずんずん調べていく。

「橘録」という12世紀の本に、橘(きつ)は温州、という言葉が書いてあるらしい。これが温州みかんという名称の由来という説がある。

ただし。

中国には柑橘類をあらわす漢字が多い。橘(きつ)、柚(ゆ)、柑(かん)、橙(とう)、いずれも柑橘類だ。温州にあったというのは橘(きつ)。でも、日本のみかんは「柑(かん)」のはずである。

何もかもずれている。




この雑さ、このずれを考えていると、おもしろい。




昔の人は、「橘録」みたいな文字をたよりに、そうかそうか、このすっぱい柑橘類はえーと、温州? 温州か、そうだな、あのへんから鹿児島に伝わったんだろう、地理的にも合うし。みたいなことを考えていたのであろう。

けど、ま、文字というのは、ほんとうにだいじなことは伝わらないと相場が決まっている。中国でかつて橘(きつ、たちばな)と呼ばれていたものの一部は、実は「バナナ」かもしれないという説だってあるそうだ。




横山光輝の三國志を読んでいると、左慈(さじ)というあやしいまじない師みたいなやつが、時の権力者を手玉にとるシーンがあるのだが、こいつが「温州みかんを取り寄せて食べる」というシーンが出てくる。

温州みかん!

三国時代なんてのは、橘録よりだいぶ昔の話だぞ。

横山光輝はこの温州みかんを、まるで日本のみかんと同じように描いていた。気持ちはわかる。

けれど、本当に左慈が取り寄せた柑(かん)とは、なんだったんだろうな。

ああ、気になってしょうがない。





「どうでもいいことを難しく書くこと」って、一般には無能の象徴というか、害悪みたいに捉えられている。

けどやってしまう。なぜだと思う?

もしかすると、「どうでもいいことをいつまでも小難しく考える」とき、何か脳内麻薬のような報酬系が活性化されるのではないかな。

脳内麻薬によって報酬系が活性化されるのはおそらく適者生存の過程で集団を形成する各人が常に画一的な思考に支配されないために思考の多様性を産むトリガーとして脳に残存した、複雑系である社会を複雑なまま保つことで無数の外的刺激から人類というガイア的存在を総体で保守するための生存本能と考えることはできまいか、と沈思黙考し自問自答して自縄自縛の末に無念自爆したのである。



今週はめんどくさい話ばかりを書きます。

2017年12月12日火曜日

病理の話(149) WSI薬事承認にまつわるあれこれ

Philips社の「フィリップス インテリサイト パソロジー ソリューション」という機械が薬事承認された。

とても大きな節目となるので説明をしておく。




この機械は、

・プレパラートを最強拡大ですべてスキャンしてモニタに映す装置

である。ホール・スライド・イメージング(Whole slide imaging:WSI)。

実は、今までもあちこちの病院に置いてあった。ただあくまで研究レベルだったので、ハイボリュームセンターには置いてあったが、中小の普通の病院には置いていなかった。

顕微鏡を見なくても、組織像をパソコンの画面でみることができるシステム。拡大・縮小も思いのまま。インフラさえ整えれば、他の病院の病理医にプレパラートを郵送しなくても、画像を送るだけでコンサルテーションができる。





モニタに映った顕微鏡画像を見て病理診断をするのは、顕微鏡と違ったコツがいる。

だから、従来の病理医の多くは、WSIを使った診断に難色を示していた。

「顕微鏡のほうがインターフェースとしてのこまわりがきく」

「モニタの操作が難しくて、顕微鏡では拾えた微妙な所見をパソコンだと見逃すかもしれない」

「手術検体のような大きな検体の診断はWSIだと手間がかかりすぎる。小指の爪くらいの小さい生検標本ならまだしも」




けれど、WSIはとうとう薬事承認された。臨床現場で「これを使って診断を出していいよ」と認められたということである(完全にイコールではないけれどその話をすると長くなる)。

ベテラン病理医たちは困っている。いやだなあ、と思っている人も多い。けれど、今後、そもそもあまり顕微鏡の使い方に慣れていなかったデジタルネイティブな若手病理医にとっては、WSIに慣れることはさほど苦痛ではないだろう。







WSIの診断はコツがいるけれども、思ったより「悪くない」というのがぼくの感想だ。

まず、ピント合わせが必要ない。顕微鏡では無意識にピントを合わせる操作を右手が行っているが、すでにピントの合った状態でのスキャンが終わっているので、ピント合わせという操作自体が存在しない。この作業は、診断を0.5秒ずつ早くしてくれる。脳の負担が0.5秒軽くなるというのは思った以上に大きいことだ。

次に、インターフェースはがんがん進化している。速度も申し分ない。この部分がみたい、という欲求に、今のPCはだいぶ答えてくれる。タブレットでもけっこういける。

電子書籍と一緒だ。一度慣れればなんてことないのである。

デジタル画像のストレージをどうするか、という容量の問題についてもかつては深刻だった。しかし、近年の技術の進歩からするとそろそろ問題視しなくてよい。実際、カナダやアメリカの一部、スウェーデンなどの北欧諸国、さらにデジタルパソロジー技術に期待をかけている東南アジア(意外なところではマレーシアなど)ではすでに、ペタバイトレベルのサーバを病理部に配置してWSIが本格稼働している。

日本はむしろ遅れている。これだけPCもスマホもタブレットも普及しているのに。







顕微鏡とモニタの違い。個々人にいろいろ思惑がある。けれど、時代は絶対にモニタ診断に移っていく。

モニタで診断するということはすなわち、「世界のどこにいても診断ができる」ということだ。

すでにCT, MRIの画像を読む放射線診断医は、世界中で「遠隔診断」を行っている。放射線の遠隔診断においては、統一規格(DICOM)の普及が決め手となった。DICOMはそもそもPhilipsという一企業の規格であったが、企業によって画像の企画が統一されていなければ遠隔診断などはできない。Philipsがひとりがちしたおかげで、放射線診断は遠隔診断できるようになったのだ、ということもできる。

独占禁止法ということばが頭をよぎるから、あんまりめったなことは言えないのだが……。

機器は多様であってもよい。ただ、データの規格が多様であっては困る。

デジタルパソロジーシステムはじめての薬事承認がPhilips社であるというのもちょっとした運命を感じる。

病理画像も早くDICOM……じゃなくてもいいけど、とにかく統一規格でデータ化してほしい。







臓器の切り出しが必要で、プレパラートの染色も必要である病理診断においては、遠隔診断システムの普及は難しいのではないか、と考えられてきたふしもある。

しかし、薬事承認されたシステムがあれば、話は別だと思っている。

病理医がどう難色を示そうとも。

経営側が主導することで、全国の病院に「とりあえず、プレパラートスキャナくらいは入れておこうか」という感じで、インフラ整備のハードルが下がる。

ベテラン病理医たちが、いくら「顕微鏡のほうがいい」と言ったところで、それは昔の放射線科医たちが「フィルムのほうが芸術的に線が読める」と言っていたのとあまりかわらないではないか。

少なくとも、経営側はそう考える。

インフラが普及し、若い人が新システムに慣れたころ、革新が進むだろう。

実際、ベテランであっても、使い始めると、驚いてしまうのだ。「意外な快適さ」に。

難しい病理診断をコンサルトするのがとても簡単になる。プレパラートを郵送しなくてよい。学会等のために写真撮影を求められてもとてもラクだ。だってすでに写真なんだから。過去のプレパラートを倉庫まで取りに行く必要がない。だってデータなんだもの。プレパラートの保存が必要なくなる。だってデータなんだぜ。

病院に置くべき常勤病理医の人数も再考されるだろう。今、各病院に必要とされている人員数は、「仕事を分担して、それぞれが脳をきちんと働かせるのに必要な人数」である。病理医がラクになるということはすなわち、「人員数の削減」につながるかもしれない。しかし、一部の病院では元々病理医が足りないのだ。足りなかったのが、「足りなくない」に変わるかも……と、少なくとも経営側は感じるだろう。

遠隔診断によって自由なコンサルテーションが可能になれば。

病理医が忙しいときも、一部のデータを外部に委託することもできるし。

委託先……すなわち病理診断センターの仕事はさぞかし快適になるだろう。プレパラート郵送という手間がなくなるからだ。センターでバイトする病理医は、自宅にいながらにして、モニタを眺めながら数百キロ離れた施設で作成されたプレパラートの診断を行う。







この流れはもう止められない。

放射線科医が遠隔診断を始めたときに世界中にもたらされた福音が、病理の世界にもやってくる。

福音と同じくらい、問題ももたらされることになるが、それでも、放射線画像はDICOM化した。




臨床医と会話できない常勤病理医の存在価値は今以上になくなる。

会話しないならデータを外部の優秀な病理医に飛ばせば十分だ。




無数の病院がWSIを導入することでやってくるのは、「プレパラートの病理画像がビッグデータ化する未来」である。突然こんなこと言ってごめんね。でも本当です。2,3年後にものすごく大きな医事改訂があります。それが終わりの合図です。程なく大きめの規格統一が来るので気を付けて。それがやんだら、少しだけ間をおいてAIが来ます。





【おまけ】

別に上記はぼくの持論ではなくて多くの病理医が知っていることだ。デジタルパソロジー研究会のお歴々などは先刻承知だろう。

おっさん方が想像するのは病理医にとっての地獄の未来である。

ところが……。

今いちばんデジタルパソロジーに詳しい長崎大学(世界中とWSIでミーティングしてる)には、病理医を目指す若手が毎年何人も集まって来ているのだという。

若く優秀なデジタルネイティブたちは、「今こそ、本当に脳が踊る科ができあがる」と期待して、病理の世界を訪れ始めている。

希望というのは絶望が耕した畑に実るのだなあと思う。マジで。

2017年12月11日月曜日

へこむしてますか

「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」が庵野秀明監督でアニメ化しねぇかなあと思ってるうちに師走が来た。師走だけが特に忙しい印象はない。むしろ、年末年始をひかえて、各臨床科が少しずつ年末モードに入っていくため、12月の後半は組織診の仕事が少し少なくなる。家に帰る時間も少し早くなる。読む本が少し増える。正月、それは読書天国、今年も読みたい本がある。年末年始には仕事をせずに本を読む。ありがたいことである。

カズオ・イシグロを読みたいな。ああいうのは喧噪の日常にはとても読む気がしないから。

ケン・リュウの長編とかもほんとは読みたいけど今回はパスかなあ。

今年もいくつか本を読んだ、特にぼくは何冊かの本に心を折られたのが印象的だった。どういう生き方してきたらこんなすごい本が書けるんだろう、そういう漠然とした敗北感みたいな感情を心地よくツマミにして文章に酔った一年だった。

こういうことを書くと、「上を見てもきりがありません、あなたは好きなものを書けばいいのです」みたいな見当外れのなぐさめをぶつけてくる人間がいるのだが、何もわかっちゃいないなあと思う。

ぼくが本当に書きたかった情動を、ぼくより優れた筆致で、ぼくが思いもつかない技法で書き記されたら、ぼくのオリジナルの情動なんてあっという間に吹き飛んで、整地されて、置き換えられてしまうのだ。

心の中だけは誰にもいじられない、なんてのは大嘘だ。心の中の名状しがたいなにものかを、誰か他人が文章という暴力で形にしてしまったら、ぼくはもう、その情動を他人の言葉でしか言い表せなくなってしまうのだから。




白状するとぼくは1月末を締め切りとして医療系のSFの執筆をしていたのだ。

本作は6編の短編を元に書き上げる長編で、まず6編の短編を書いておいて、それをメタに配置した世界で主人公がある悩みと向き合って最終的に筆を折るまでの……

いや、主人公は実はまだ決めかねていた。

作家そのものを主人公にするかどうかはわからなかった。作家の一番近くでその仕事を練り上げようともくろむ編集者を主人公にした小説を書くかもしれないな、と思っていたのだ。

短編を2本、3本と書き、4本目がほぼ書き終わったところで、ぼくの手帳はアイディアで真っ黒になった。書きたいフレーズはある、書きたいストーリーもある、しかし、書きたい感情がいまいちつかめないでいた。

そんな折に読んだのが「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」であった。ぼくはもうこれで完全に折られてしまったのだ。

ぼくの書きたかった感情がそこにはぼくの考えもつかなかった言葉で書き記されていたからだ。

ぼくはこの心の動きをこれとは違う形で書くことは永久にできない、それは優劣とかジャンルとかそういった言葉のモンダイではなくて、もっと根源的な、

「もう、読めばいい本がほかにあるのに、なぜぼくがあえて同じ所を書かなきゃいけないんだよ」

みたいな気持ちになってしまったのだった。




ぼくは某氏の編集者に「すみません、もう書けません」とメールを打った。送信するときにちらっと編集者のメールアドレスが目に入った。おたくの出版社からはこういう内容の本は山ほど出ているじゃないですか。ALSOKでも識別できない程度の小声でぼくはひとりごとを言っていたのだと思う、なぜならそのとき、ぼくの乾いた唇は振動かなにかで避けて、ワイシャツの胸元に点状の血液が、目をこらさなければいけないレベルでわずかに降りそそいでいたからだ。


2017年12月8日金曜日

病理の話(148) とある病理の選書目録

病理の話を誰かにして、わかってもらうために、頭の中にインデックスを作っている。



細胞について。障害と応答のメカニズム。

炎症。

組織再生。

循環メカニズム。

遺伝性疾患。

免疫。

腫瘍。

感染。

代謝、栄養。




さあ、病理の話をしよう……。そう意気込んで、インデックスを順番にたどり、いちから語ってみても。

医学で飯を食おうという人以外には、まず興味をもってもらえない。




基礎のところはいいからさ、もっと役に立つところを教えてくれないかな。

もっと身近な病気について説明してもらったほうがうれしいな。

勉強したいわけじゃないの。自分の知りたいところだけ知りたいの。



そんなふうに言われてしまうだろう。

つまり、ぼくのインデックスは、「医学好き」とか「病理好き」には役に立つだろうが、「医学ふつう」「病理ふつう」とか「医学きらい」「病理きらい」な人にとっては、さほど価値がない。

頭の中には病理のインデックスが全部入ってますよぉ、なんて偉そうに言ったところで、世間の多くの人からは単なる「医学知識オタク」とみられて終わりである。

みんなはもっと、実学的な、身に迫ってくるような、あじわいのある、「やまいの知恵」みたいなものを求めている。

そういう人達に、病理のおもしろさを伝えようと思ったら、ぼくの用意するインデックスは「今のまま」ではだめなのではないか。




ぼくはそもそもインデックス大好き派である。

理論が順番に組まれていることに安心を感じる。

だから、人に説明する時も、概念をきちんと整理して、分類をして、筋道を追って説明をしたい。

……けれど、それでは通じない場合がある。

そのことにようやく気づきはじめた。




今まで気づかなかったのは、自分が誰かに何かを伝えようとするとき、「伝えようとがんばっている自分」に満足していたからではないかと思う。辛辣な言い方だが、自分に対して言うのだからかまわない。

必死で伝えようとする人間をみていれば、相手も「まあがんばってるからな、わかったふりしとこ」となるだろう。

ぼくは相手の「気づかい」にあぐらをかいていたのではないか、と思う。




今ぼくが知りたいのは、「教科書を調べるときに、目次から順番になんか読まないよ派」の「生態」である。

彼らは、索引をひくだろう。

あるいは、ググるだろう。

いずれも、何か、ひとつの単語をあてにして……。

その単語は必ずしも、その人が知りたいことをきちんと連れてきてはくれない。

どう調べたらいいかわからない人に、「インデックスをおぼえろよ、最初から読めよ」と突き放してもしょうがない。

索引を調べる人、ネットで検索をする人が、「どんなことば」で病気を知ろうとしているのかを、まず、ぼくが知りたい。

そして、あることばAを使って検索をしている人に、「BとCも一緒に加えるといい検索ができるぜ」と伝えたい。





ぼくは今、病理学に対して、通常の教科書が採用している「オモテのインデックス」に対する、「ウラのインデックス」を作れないか、と思っている。

病理学をまとめて勉強するためにはオモテのインデックスに従った方がぜったいにいい。

けれど、世の中の多くの人は、目次から順番に病理学を読もうとはしない。する必要もない。

だったら、いっそ、世の多くの人が検索する語句を順番に最初からならべた、「ウラのインデックス」を見てみたい。検索ワードの上位から順番に目次を作ってしまう、ということだ。

「ウラのインデックス」をひとつひとつ説明することで、いつか、病理学の全体を説明できるようになるならば、それはとても楽しい事なのではないか。




・がん

・インフルエンザ

・ワクチン

・ケガ

・予防

・ダイエット

・老化

……。


なんだか書店のあやしい棚を見ている気分になる。

そうだよな、書店で売れている本というのはつまり、「単語で医療をまなびにくる人」をターゲットにしているんだもんな。

当たり前のことだった。





オモテのインデックスを、ウラのインデックスと同じくらい、おもしろく語ることができるだろうか……。

今のぼくの目標はそれである。たいへんに手強い。まだ3合目にも達していない。

2017年12月7日木曜日

脳だけが旅をする

旅はぼくを読者にしてくれる。

「移動の最中」はまとめて本を読むチャンスだ。

飛行機の中で、よく本を読む。あのミステリもあのSFも全部旅行中に読んだ……。

と、昔もブログに書いた覚えがある。



ただ、実は最近、旅行中にあまり本を読めていない。移動中、困憊してしまっており、座席についたら目的地までほとんど寝てしまうからだ。持ち歩いた本を一度も開かないままに職場に戻ってきて、かばんに入れた本をそのまま出して元通り本棚にしまい込むことも多い。



旅路は人生だという。しかしぼくはその人生で睡眠ばかりとってしまうようになった。結局、旅というのは、「どこかでひとやすみしながら移動すること」を言うのだろうな。ただ移動だけしても旅にはならない。優れたサラリーマンは休暇を適切にとるなどというが、優れた旅人もまた、ゆっくりぼうっとする時間を旅程に紛れ込ませているはずだ。

ぼくは旅人であることをやめてしまっている。

日帰りの出張が増えた。翌日を移動で半日潰さないために。あるいは、一刻も早く家に帰りたい、と願って。

移動中はずっとぐったり寝ていて、本も読めず、翌日は翌日で、日帰りのダメージを背負ったまま目を伏せがちに働く。




いそいで日帰りする苦労を繰り返して疲れた、ということを言いたいだけだ、今のぼくは。

徹夜すれば努力したことになる受験生と何も変わらない。

成長がない。





自分より若い病理医が、夜中の2時まで診断をしているとか、毎週出張で飛び回っているとか、論文を毎月書いているとか、そういうことを言う。ぼくもじわじわと焦っている。高密度で長く働けなければ社会人ではない、と、いつのまにか唱えている。

本を読む時間を削って仕事をして、それが成功したとして、そのぼくは、なんなんだろう。




デスクの後ろの本棚に、「読むつもり」の本を2冊ほど積んでいる。

この2冊が、5冊くらいに増えることはあるが、それ以上になることはまずない。積ん読というのが苦手なので、本が読めなそうなときには次の本を買わないからだ。

今ある2冊のうち、1冊は「小説」。もう1冊は「教科書」。

たいていいつも、小説やエッセイのような仕事と関係のない本と、仕事に多少なりとも関係ある教科書とを、1冊ずつ用意しているのだが……。

教科書の方は順調に読み進めているのだが、小説が、2か月ほど変わっていない。読めていない。







「タウマタ」という名の写真集を買った。まだ届いていない。どういう写真集かもわからないが、ぼくはきっと、その写真を眺めているうちに、旅に出たくなるのではないかと思う。

実際に旅行をするかどうかはわからない。けれど、旅に出た気分になる方法は知っている。本を読めばいい。

読書はぼくを旅人にしてくれる。

2017年12月6日水曜日

病理の話(147) びょうりいっておいしゃさんだよ

知人から、近所の小学生が「病理医」ということばを知ってるんだよー、という話をされた。病理医を知ってるってマニアックだなあと思ったら、そのあとに続くことばがおもしろい。

その知人が、

「ほかにどんな医者を知ってるの」

とたずねたら、

「えっ、びょうりいってお医者さんなの!」

と言われたらしい。ずっこけである。



そのあと、どんな医者を知っているのかと聞いてみたところ、

「内科。外科。産婦人科。あとコードブルーの人。以上。」

とのこと。

あきらかにテレビの影響である。

そして、びょうりいという単語は知っていたし、あれが病院で働く職員だということもわかっていたが、医者だとは思っていなかった、とのこと。



昔、警察官にはなりたくない、青島刑事になりたい、と答えた子供もいたと聞く。




医者に対する強力なイメージがすでに広まっている状況で、たとえば病理医とか病理という仕事を「特殊な医者だよ」と説明すると、誤解を招きそうだ。

もっと「病理医」に対してストレートにイメージを喚起するような説明が必要なのかもしれない。

どう表現すればよいだろうか?

ぼくは、「特殊なお医者さんなんだよ」と説明することに慣れすぎてしまっている。

医者という巨大なイメージに対抗しながら語彙を使い果たしてしまう。

もっと違う方向からアプローチできないだろうか?




・病気を調べる学者だよ

 →学者というイメージにひっぱられる。メガネのオタクで顕微鏡で試験管をふってそうで、医学系研究者の一部として処理されそう

・顕微鏡で細胞を見て病気を調べる仕事だよ

 →たしかにそうなんだけどいつも思う、本来の病理医の仕事の一部しか語っていないくせに地味。どうせ一部しか語れないならもう少しはなやかに説明したい

・医者の相談役だよ

 →フィクサーみたい。気持ち悪い

・お医者さんより病気に詳しくてお医者さんの相談にのる人だよ

 →少しマイルドにしたけど……おばあちゃんの知恵袋感がある

・病院が国家だとすると病理医は軍師かな

 →この例えを思い付いた自分があいかわらず気持ち悪い

・病気にやたら詳しい学者なんだけど給料はなぜか医者と一緒なんだよ

 →「なぜか」をつっこまれると死ぬ

・医者になるだけの資格を持っているのに医者にならなかった変なおじさんだよ

 →最近は変なおねえさんの方が多い

・勉強してたらお給料が入る仕事だよ

 →みもふたもない




たぶんこういう話を、居酒屋トークみたいな緩い感じでもいいから、本当にずーっとずっと考え続けていくことで、世間のこの職業に対する認知が変わると思う。

そして同時に、副産物として、

「今、病理医として働いているひとたちが、自分の仕事をより正しくとらえることができる」

みたいなことが生まれる。

ぼくはこっちも意外と大事なのではないかと思っている。





ぼくらは医者の資格を持っているけれど、実際、医者とはまるで違う仕事をしている。ぼくらの本質は学者に近い。

医師免許を持ち、学者にしては高い給料をもらい、病院にも勤務することが可能な、生命科学者。





……そこまで考えているはずのぼくが、知人から「えっ、びょうりいってお医者さんなの」の話を聞いて、無意識にずっこけてしまう。

なんだろう、医者ということばにしばられているのはぼくの方なのか。

なれたはずの臨床医にならなかった、という「ストーリー」を自分に与えたくてしょうがないのだろうか。そんなところがぼくの中にあるのだろうか。

あるかもしれないな。おもしろいなあ、と思う。




「見たもの、経験したものを博物学的に並べたあと、ストーリーを与えて仮説を形成する」というのが病理医の仕事の本質である、と、思わせぶりに最後に書いておく。

2017年12月5日火曜日

ちなみにときおりLDLが高いです

古いドイツ車に乗っているのだが、冬が来たらまたエラーのランプが点灯した。去年もこういうことがあった。触媒コンバータの故障を意味するランプだ。

ウェブサイトで確認すると、アクセルを控えめに走行して早くディーラーに持って行け、とあるので、ご指示に従ってディーラーに行ってみた。するとまったく違うことを言うのだ。

「これはですね……その……いわゆる『かぶっちゃった』ってやつでですね」

コンバータじゃないのか。

かぶる、なんてのはずいぶん昔のアメ車乗りがいっていた言葉だ。エンジン内の燃焼が悪いときに、イグニッションの部分に不完全に燃焼したガソリンが「かぶってしまう」ことで、エンジンの始動がいまいちうまくいかなくなる。

ディーラーの整備士は言うのだ。

「えー、黄色のランプってのは黄信号で、ですね……まあその……気を付けて走行すれば大丈夫でして……えーと、近所のコンビニに5分くらいで着いて、すぐエンジンを切るような運転をしてると、こうなりやすくなります。あとはー、冬になるとなんかいろいろこうなります。けど高速道路を走ったり、回転数をあげて走ったりするとそのうちランプも消えますよ」

いったい何を言っているのだ、こいつは。

おかしくなって笑ってしまった。自分が何もわからないものに乗っていること、ウェブサイトであれだけアラートを鳴らしているにもかかわらず、整備士が至って呑気で、むしろ、「この程度ならまだ大丈夫ッスよ」とでも言いたげなこと……。



今年も冬が来てまたランプがついた。

さてどうしようと思ったのだが、ひとまず高速道路で新千歳空港に行く用事がある。

黄色アラートが点灯した状態で高速走行など絶対にやりたくない危険な行為だろう……と、以前は考えていた。しかし、昨年の整備士のお説によれば、

「回転数をあげて長時間走行するとエンジンが安定するんすよ ランプも消えますし」

なのである。

十分に注意して高速に乗り、制限速度ぎりぎりでじっくりと1時間ほど運転してみた。

翌日にはランプが消えていた。

また笑ってしまう。はは、ぼくは何にもわからないまんまに車に乗っている。

整備士がほんとのことを言っているかどうかも確かめようがない。

ググっても違う情報が出てくる。知人はそれぞれ好き勝手な事を言う。

ランプがついてもまた消えるというなら、ランプの意義とはなんなのだ……。





病院に来る患者なんてのは、みんなこういう思いをしているのだろうなあと思った。

血液検査の結果を見ておどろく。黄色のランプがともっている。

どうすればいいんだろう、あんなに糖質制限してるのに不健康なの、どういうこと?

医者にたずねる。

炭水化物減らしたせいでかえってタンパクとか脂質が過剰になってるんですよ。そのせいで中性脂肪が高くなってるんですね。

もう何を言っているのかわからない。

こうしろって書いてある通りにしたのに。

医者に言われて食生活を変えればよいのか。

そもそもこの「黄色ランプ」は、自分にどういう危険をもたらすのか。

ググると違うことを言っている人がいっぱい出てくる。

医師免許を持っている人なら安心かと思ったけど。

ウェブサイトに「医師です」と書いてあるのをそもそも信じてよいのかわからない。

食事のことなら栄養士に聞く方が安心かなあ。

でも、聞いたところで、結局なにを言っているのかわからなかったらいやだなあ……。







今朝はとても寒かった。氷点下にふるえながら、運転席に座り、キーを回し、助手席においていたひざかけを手にとり、さて発進しようと思ったら黄色いランプが点いていた。

古いドイツ車はだめだな。

でも、車ってのはそう簡単に乗り換えられるもんじゃないんだ。

ちょっと血圧が高いからって来世に期待する人間がどこにいるだろう?

問題は、この黄色ランプが、高血圧くらいの意味なのか、高コレステロールくらいの意味なのか、ぼくにはさっぱりわからないということなのだが……。

2017年12月4日月曜日

病理の話(146) 語る時間と語らない時間

臨床医からの信頼が極めて厚い病理医というのは、「臨床医との対話の回数が多い」。

そして、勘違いしやすいのだが、「ずーっと仕事中臨床医と会話している人」が病理医として優れているわけではない。



病理医の強みというのは、何百種類もの色のレゴブロックが作り上げた医療という造形物の中で、病理医だけが持つ色・形を持っている、という一点にある。

その強みとは顕微鏡を見て細胞について思いを馳せることができるということだ。

細胞を見ることをおろそかにし、臨床医によりそうように、臨床医療のなんたるかだけを考えている病理医であっては、赤や青、緑で作られたレゴの中にキラリとまじったクリスタルカラーであることはできない。



先日、「濱口秀司さんのアイデアのカケラたち。」という連載の中で、目を引く記事があった。

http://www.1101.com/hamaguchihideshi/2017-11-27.html

いろいろな読み方があるだろうが、ぼくは、コミュニケーションとコラボレーションによって何かをクリエイトするとき、その作業の中に

・ひとりで沈思黙考する時間



・他人のアイデアに触れて、自分の中にあるバイアス(偏り)を排除する時間

の両方があることが重要なのだな、ということを感じた。




病理医が臨床医に寄り添いすぎて、診断学の要諦や治療のありよう、医療のメジャーな問題点などにあまりに共感しすぎてしまうとどうなるか?

それは、「臨床医だって普段から考えていること」を、病理医が一緒になってやっているにすぎない。病理医じゃなくてもできることだ。むしろ、臨床医が得意なことに病理医が興味本位で首を突っ込んでいるようにも思える。

病理医に求められていることは、「臨床医ができること」ではない。

臨床医が持っているバイアスや、臨床医が抱えている死角を、病理独自の視点で潰すこと、病理固有のスキルで問題を大きく揺り動かして解決することなのだ。






多くの仕事を世に送り出している臨床医には、たいてい、懐刀(ふところがたな)とでもいうべき病理医がいる。

先日、ある学会に出ていたとき、ひとりの肝臓内科医と話をした。彼は日頃、「頼りになる病理医」とメールのやりとりをするのだという。

「今日の学会にもいらしているんですか?」

ぼくは尋ねた。すると、彼はこう答えた。

「今日は病理の先生は別のお仕事だからいないよ。あんまり一緒の会には出ないね。ぼくは彼とね、うん、そうだな、年に2回も会わない。何週間に一度くらいのペースで、メールで短くやりとりをするだけ」

ぼくはそれを少なく感じた。コミュニケーションが足りないのではないかとさえ思った。しかし彼はこう続けた。

「でもねえ、その一瞬のメールが、ぼくの考えていなかった部分のフタを開けるんだなあ。ほんとうに、おもしろいくらいに、音を立てて、パッカッって開く。そこからまず、自分で考える。前提を疑う。見ていなかったものを見る。そして、何かまとまったな、と思ったときに、またメールをするんだ。するとね……」

そのアイデアは、さぞかし素晴らしい進歩をしているんでしょうね。ぼくは相づちを打つ。彼はまとめるようにこう言った。

「そう、まず、すごいねってほめてくれる。そしてそこでさらに、ぼくがこれだけひとりで考えまくって完成したアイデアを、さらにひっくり返す……というか、画竜点睛を入れてくるんだな。あれにはほんと参るよ。頼りになる病理医ってやつだ……」




臨床医からの信頼が厚い病理医というのは、「臨床医との対話の回数が多い」。

さらに言えば、臨床医からの信頼が究極に厚い病理医というのは、「臨床医にひとりで考えさせるだけの力をもったひと言」の重みを知っている。

コミュニケーション、コラボレーションというのは奥が深い。

口数が多ければよいというものではないようだ。ぼくは幸い、口数がそこまで多くない方の病理医だったよな。そう思ってツイッターのホームを覗くと、「38万ツイート」ということばが踊っていた。


2017年12月1日金曜日

むりだっちゅうねん

最近ちょっと腹の減り方が激しくなった気がする。

この腹からの欲求にそのまま答えたら、中年太りをするのではないか。

ふと、そう思った。



偉そうに言っているがぼくは、すでに中年としての「太り道」の途上にある。体重は青年期よりも3キロほど増えた。筋肉が落ちたのに体重が増えているというのはつまり、そういうことだろう。

今のところ、着やせするような服を選ぶことで、体型を維持しているふりをしている。

もはや待ったなしだ。このまま太っていくのだろう。できれば踏みとどまりたいとは思う。今まで着ていたスーツのズボンが入らなくなるのは残念だ。




本能に従って生きるという言葉には注意しなければいけない。本能のまま食ったら太ってしまうのだから。

本能というのは、理屈とか人の情念を超えたところで、「何かを保とうとする働き」である。一見、従っていれば間違いないように思える。

なんとなく、本能に従って生きれば一番いいじゃないか、と言いたくなる。けれどここには落とし穴がある。




本能が保とうとする一番大きなところは、本人の生命の維持……ではない。

種の存続だ。

自分が命を終えても、種族の遺伝子が後世に残っていくこと。本能というのはぶっちゃけ、そこにつながっている。

本能というとすぐ食欲と性欲と睡眠欲の話になるだろう。種の存続なんていうとなおさらだ。みんなセックスのことばかり考える。

けれど、種族の遺伝子を後世に残すことは、生殖だけでは達成できない。

生殖活動だけしても、いわゆる「子育て」をしないと、ヒトは生命を保てないからだ。脳ばかり大きく闘争と逃走の能力が不完全な、未熟な状態(つまりは赤ちゃん)で生まれてくるヒトは、ただ生めばいいというものではない。

セックスだけが本能であっては困るのである。その先にもさらに本能がないといけない。

社会を形成して子育てをすること。

徒党を組んでお互いを守るということ。

親子だけでは無理なのだ。

兄弟だけでもだめなのだ。

孤独であっては生きられない。

……家族単位では孤独であっても、真の意味で孤独な人間というのはいない。買い物をするだろう。本を読みテレビを見るだろう。言葉を知っているだろう。戸籍という意味ではなく、人間同士のつながりを手段として有している時点で、それは動物的な孤独とは少々異なる。

荒野で一匹遠吠えをするオオカミと、自分は孤独だと泣くヒトとは、周りに冷酷な社会があるかどうかの差分だけ、違う。




ヒトには、自分が生き残りたいとか子種を残したい以外にも本能がある。

だから、少なくとも、本能に従えば、社会を形成するために必要な自分でいることはできるのだ……。



いやまてまて。暴飲暴食をすると命を縮めるというではないか。それはいいのか?

いいのである。

暴飲暴食をすると、統計学的には、50代を超えて生きるのが難しくなる。高血圧、脂質異常症、糖尿病などは、人生の下半期に重くのしかかる病気だ。けれど、50を超えてから死んでも、種の存続にはあまり関係がない。すでに子を産み、ある程度まで育て終わった年齢だ。社会を形成する役割についても、半分くらいは達成できている。

ヒトの本能は、「50歳を超えて生きようと思っている我々のエゴ」には付き合ってくれない、ということだ。





ぼくは50で死にたいとは思わない。

けれど、本能はぼくの50歳以降を助けてくれないはずである。





この悲しい関係に、叛逆をおこすために、何が出来るか。

ぼくは自分が生きていくために、社会を存続させていかないといけないと感じる。

多少の空腹感をおぼえながらも、もっと若いひとたちが社会を便利に使えるように、自分のカロリーを社会に注いでいく。

他人の手伝いであくせくはたらき、きっちりとカロリーを消費してから、食べる。

そうすれば、にっくき中年太りをも、ある程度予防できるのではないか、と考えるのだ。


……そんなことが、可能だろうか……(タイトルに戻る)。

2017年11月30日木曜日

病理の話(145) エンドレス細胞トーク

ちょっとメタな話で外しワザの回となるが、書いておきたいことがある。

病理医をやっていると言うと、かつては、「そんな細胞ばっかりみる仕事、飽きないの?」と言われることがよくあった。

ぼくは、その声に反論するためにブログをはじめたふしがある。

つまりはこの、「病理の話」をはじめたきっかけについて、今日は語ろうと思う。




ブログの題材として、2回に1回「病理の話」を選ぼうと決めた。ブログ開設の段階で、ある程度明確な目標があった。

その目標とは。

「病理の話」を100個書けたらホンモノだ、100回書こう、ということだ。

病理の話を100本書けたら、ぼくはこのブログをやる価値がある、と思っていた。

より正確に言うならば、病理医という仕事を人に語るにあたって、「ブログ記事を100個書けない程度の思い入れ」であるならば、ぼくが誰か他の人に「この世界おもしろいよ」と説明する説得力の部分が心許ない、と思った。





パイロットになりたい。

花屋さんになりたい。

電通に勤めたい。

アイドルになりたい。

いろんな夢がある。それらには勝手なイメージがついている。

勝手なイメージだ。実際に夢を叶えてみれば、きっと、そうそういいことばかりではあるまい。

けれど、オトナになった自分が、子供のころからもっているポジティブなイメージの中で今暮らしているのだ、という満足感は、その人の心の大切なところを支えてくれるだろう。何ものにも代えがたいだろう。

勝手なイメージであってもよい。良いイメージであればよいのだ、職業イメージというものは。




……けれど、病理医についているイメージというのは、さほど良いイメージではない。「地味」だ。

「1日中顕微鏡見ている」。

これは果たして、多くの人にとっての夢になりうるだろうか?

一部のマニアックな人にとってはパラダイスかもしれない。けれど、大多数の人にとっては、1日中レンズと向き合っているというのは、職業を語るイメージとしては、かなりダメダメなのである。




こういうセリフが出てくるのも納得だ。「飽きないの?」





ぼくはそこに「飽きないよ」というために、実例が多く必要だろうと思った。良いイメージで塗り替えるというのも手だが、良いイメージを1、2個用意したくらいでは、当初の地味なイメージを払拭できるとは思えない。

だから、物量で勝負しようと思ったのだ。具体的には、こうだ。

「いいオトナが100回も200回もブログの記事を書けるくらいに、働いていて考えることが多い世界」





100回を超えたころ、思った。ああこれは、いつまででも書けるなあと。

病理ってのはやっぱり、医学の根幹なんだな。とても幅が広い。

題材が枯渇することがないんだ。

病理の話だったら、いくらでも書ける。病理の話「以外」の日の方が、題材に迷うくらいだ。





ほんとうは以上の内容を、「病理の話(101)」くらいでやろうと思っていたのだが、101回目にえらそうにこれを載せて、102回目に更新がとまったら失笑されるだろうな、それはこわいな、と思って下書きに入れたまましばらく忘れていた。今日、発掘した。


題材は尽きない。それは今でも変わらない。ただ、うまく書けるかどうか、潜り込んで書けるかどうか、というところで毎日うんうんうなってはいる。




偉そうなことをいっぱい書いたけれど単なる苦行体質なのかもしれない。

2017年11月29日水曜日

アライグマのお父さん

今年はなんとか3本論文を書けた。うち、投稿してすでに受理され掲載までされたものが1本。1本はさきほど投稿を終了した。もう1本は、年内に投稿先を決める。共著者の臨床医たちにもお伺いを立てなければいけない。

数年前には一人で論文を書くなんて夢物語だと思っていたけれど。

イヤイヤながら、押し出されるように、しょうがないなあと言いながら、書いているうちにどうもスキルのようなものを身につけることができたようだ。

今では、次の論文を書く自分を想像することができる。もちろん、まだまだ、手間がかかってしょうがないけれどもだ。




こういうことをずっと繰り返しているような気がする。

決して能動的に、自分から何者かを成し遂げようとし続けてきたわけではないし、実際に完遂できた仕事というのも極めて少ないぼくだが、

「いつの間にか退路がなくなっていた」

「気づいたら歩かされていた、歩かされていることも忘れて歩いていた」

ということが毎年少しずつ増えている。

望むか望まざるかに関わらず、いつしか種のような、卵のようなものがどこかからかぼくの体に植え付けられていて、自分のキャラクタを食い破って、なんだか羽化をさせられて、よたよたと飛んでいる。




「中動態」というやつだろうか。自分だけではどうにもならない外界の力と、自分から発したかもしれないがよくわからないエネルギーとが、自分の中に回帰して、自分を勝手に突き動かす。歩かさる(北海道弁)。

やろうと思ってやりました、なんてわかりやすい話ではない。

な、なぜかわからないんですけど、やることになっていました、やっているうちに慣れました。

そんなことばかりだ。




以下、前にも書いたことがある話だと思うが、解釈が増えたのであらためて書く。

「ぼのぼの」というマンガの中に、

「もしかして、オトナって、かくれんぼの鬼みたいなんじゃないだろうか。

なんとなく似ていると思う。

『さあ、見つけに行かないと』と思うところなんかすごく似てると思う」

というセリフがあって、ぼくはあれがとても好きだ。

いつも「さあ、見つけに行かないとな」と言って、しぶしぶ動き出す。

オトナは中動態の鬼なのだと思う。ぼくは最近、「さあ、そろそろ書かないと」と言って、論文を書いた。

2017年11月28日火曜日

病理の話(144) ミュージックビデオ的病理教育の是非

「クリエイション クリエイション クリエイション

粘膜と

クリエイション クリエイション クリエイション

間質が

毎回パラクライン・オートクライン・ドンピシャのタイミングでパン!『はいGUT』が聞こえるような」


と、岡崎体育に歌ってもらえばいいのだ。





細胞だけを眺めていても病理診断はできない。

人体の中で機能をもち、なんらかの役割を果たしている臓器、器官。これらを観察する上では、「役者」としての細胞だけではなく、「背景」とか「大道具」とか「小道具」にあたる間質(かんしつ)を見極めるとよい。

そう、ぼくらがみているのは細胞だけではない。




HE染色と呼ばれる汎的な染め物は、正常の細胞やがん細胞の、「核」という構造を染め抜くのに適している。核と細胞質、すなわち人に例えるならばアタマとカラダを見分けるのに向いている。

だから、まずは主役や脇役を、HE染色で十分に評価しよう。

そして、そこまでで病理診断を終えてしまってはもったいない。

次に、別の染色を用いて、スタジオ、セット、あるいはロケ地の風景などをがっちり評価する。

一流のカメラマンが、撮る対象に合わせてレンズを入れ替えるように。

ターゲットにあわせて染色を変えていくことが、切れ味のある診断をする上でとても役に立つ。




PAS染色で中性粘液や糖をハイライト。

Alcian-blue染色で酸性粘液を浮き上がらせて評価する。

細胞が作り出す粘液は、正しく作る分には人の役に立つが、過剰であったり使いどころを間違っていたりするならば、きっとその「生み出し手」は何か悪いことをたくらんでいるのだ、と推測することができる。



Gitter染色で細網線維を浮き上がらせ、Azan染色で膠原線維の分布を把握する。EVG染色でも膠原線維と弾性線維の両者を染め分けることが可能だ。

そこにある線維が、善良な細胞の足場であるのか、悪人たちのアジトを作るバリケードであるのかを見極めることで、悪者たちが作り上げた悪の根城を詳細に評価することもできる。



染色が増えればそれだけ作業は煩雑になる。臨床医たちも、マニアックすぎる染色の評価をいちいち覚えてはいられない。

しかしだ。

カメラマンは多くのレンズを使うけれど、我々写真のシロートは、カメラマンによって選び抜かれた構図やピントの場所、色彩などを、ごたごた深いことを考えずとも、感じて、よいと思うことができる。

病理医だって一緒だ。そうあるぺきなのだ。



岡崎体育の何が偉いかというと、「PV」が音楽と映像のドンピシャミックスであることをメタにとらえた作品を世に送り出したことではないかと思っている。

彼はカメラマンの気持ちも、クリエイターの気持ちも持ち合わせて、それでいてミュージシャンである。

さあ、病理を前にして、我々はどれくらいの気持ちでいるべきだろうか。

2017年11月27日月曜日

VOICE

京都のワインバーは白を頼んでも赤が出てくるしメニューを音を立てて置くしでとにかく一見を放り出したいのだろうという気構えが伝わってきた。我々はそれでもボトルを開けながら本の話をしていたのだ。

途中から合流した写真家とぼくはいろいろな話をした。

病理医というのは写真家にあこがれるものなのだ、ということ。

細胞を染めるときに使うヘマトキシリンはアマゾンだったかナイル川だったかの流域に生えている植物から抽出するのだという話。

フィルムの写真が表現する粒子にこだわりたいのだということ。

ポートレートを撮る際に、シャッターを5分くらい開きっぱなしにしていると何かがにじみ出てくるのだということ。

ぼくの臓器を取り出して、台の上に置いて、30分くらいシャッターを開きっぱなしにして、写真に撮ったらきっととんでもないものが撮れるのだろうな、ということ。そしてそれは、きっと世の中にはキャッチーすぎるから、出してはいけないものになるのだろう、ということ。

編集者はこの話を商売にできるのではないかと20回くらい言って酔いを深めていったので、ぼくは何かの記事を書かされる前にここに記しておくことにする。



現象を切り取って絵に残すこと、写真に残すこと、文章に残すこと、これらに共通するのは何か?

元あったものを完全に写し取ることではなく、そこに作者・撮影者・執筆者の意思が入ってどこかにピントが合い、なんらかの構図をとることこそが、大事なのだということ。

ぼくはこれを学問の庭で語り、写真家はこれを人間の温度で語っていたように思う。




http://www1.odn.ne.jp/~cbe35240/photography/top_j.htm





編集者は酒が強くトレンチコートを着こなし頭が異常によいイケメンなので、いつか20分くらいのシャッタースピードで写真を撮って魂を抜いてやればいいのだ。

彼は文学の用語を話した。優れた書き手には筆力以上に「ボイス」があるのだという。

脳だけが旅をして、文だけが声を出す。

しかし写真もまた語る。ぼくは写真家に、

「病理の写真は、空きスペースにいっぱい解説を書いておくのですよ。昔の病理医はそうやって、デジタルではなかった貴重な写真に自分の知恵と科学をぎゅうぎゅうに詰め込むようなことをしていたんです」

と語った。写真家は静かにうなずいて、それを見てみたいなあ、と中空に何かを書くような動きをした。

2017年11月24日金曜日

病理の話(143) がんとにらみ合え

がんが発見されるとき、がんというのはすでに「大軍」である、という話をする。


がんが見つかるとはすなわち、人の目に見えるほどカタマリが大きく育っているということであり、あるいは患者の体に悪影響を及ぼすほど(なんらかの症状が出るほど)まわりを攻撃している、あるいは押しやっているということである。

がんは、がん細胞のカタマリだ。がんという単一の悪人がいるわけではなく、「がん軍」という兵士の集まりである。兵士ひとりひとりががん細胞だ。ただひとりで人体のどこかに潜んでいたり、数人とか数十人でゲリラ的に活動をしているときには、遠目から見ても、そこに悪人(がん)がいるということに気づけない。何十万人という徒党を組んで、大軍隊になってはじめて、認識することができる。

がんを倒すには、この大軍が少しでも小さいときに見つけて粉砕すればよい……のだが、じゃあ、どれくらい小規模なときに叩けばよいのだろうか?

1人? それはそうだろう、1人しかいないならば、悪人は成敗しやすい。しかし、これをあえて抗がん剤とか放射線で叩こうとすることに何か意味があるだろうか。

東京23区のどこかに1人だけ極悪人がいる。それをターゲットに、東京都全域を焼き尽くすような爆弾を投下することに倫理があるだろうか。

1人だったら、爆弾など用いずとも、普通の警察機構がはたらいていれば、倒すことができるだろう。普通の警察機構とはすなわち、免疫のことだ。人体には四六時中、免疫という名の警察が存在している。町のあちこちに毎日何人も生まれてくる悪人は、生涯を通じて、この免疫警察が取り締まっている。

そう、ぼくもあなたも、今この瞬間にも体のどこかで常にがんの芽が生まれている。しかし、99%以上の確率で、そのがんは早いうちに取り締まられているのだ。

だから、がん細胞1個を標的とした治療というのは過剰なのである。今日、ぼくに抗がん剤を打つことに、なんの正当性も見いだせない。



逆に、大軍として育ち切ってしまったがんを倒すのもまた困難だ。

大軍を要して、周囲の善良な人々を苦しめてやまない軍隊には、いろいろな隠し球がある。全身に斥候を飛ばしている。遊軍があちこちに控えている。大軍を滅ぼしたとしても、各地に潜伏した残党が、再び旗を立てて襲いかかってくる。



つまり、軍隊ができて、それがこれから明らかに国を脅かすような規模に育ち切る前段階で取り締まる……のが理想なのだ。現代、医学が進歩して、がんが発見されても治療によって十分に長く生きることが可能となったが、それは「がんを克服した」のではない。がんの勢力を見極め、軍隊がほどよいサイズであるものに適切な治療ができるようになっただけで、大軍であれば今も倒しきることは困難である。また、軍隊とは呼べないサイズのチンピラ集団を「がんだ!」と言って総攻撃するようなことも、結局は国を傾ける。




がんを考えるには、それががんであるという”質的診断”だけではなく、がんがどれくらいのサイズの軍隊なのか、どれくらいの勢力でどこに分布しているのかという”量的診断”が不可欠だ。これはUICC/TNM分類と呼ばれる国際分類や、がん取扱い規約と呼ばれる日本の分類によって細かく調査される。

どこからが「治療に値するがん」なのかというのは、大きすぎてもだめ、小さすぎても不利益、という大変難しい問題。これを解決するには、無数の人を観察し、多くの統計学的処理を行う、数学の力が必要である。




「がんと戦うな理論」は不完全である。

「まだがんになっていない、チンピラ集団に爆弾を落とすな」はおそらく正しい。

「すでに大軍すぎて倒しきることが不可能ながんに爆弾を使うな」もおそらく正しいが、だったら悪の軍隊相手に何もしないでよいのか、という問題がある。すでにこのブログでも2度ほど書いてきたが、相手が強すぎて倒せない場合でも、たとえば川中島で対峙して結着がつかなかった武田・上杉軍の戦争のように、「相手が勢力をこれ以上増やさないように、均衡を保つ技術」というのは存在する。これは「戦わないこと」ではない。「かしこい戦い方をすること」にあたる。

西洋医学は、なんでも爆弾投下する医学ではない。

「がんとうまく戦え理論」だったらもっと多くの人が幸せになるだろう。もちろん、人はいつだって、なぜ悪がはびこるんだ、あの悪人達を一刻もはやく成敗できないものか、と苦しむだろうが、人体という巨大な国を守る国家元首が誰かといえば、それはあなたの脳・知性であり、為政者たるもの「理想はままならないが、最善は尽くせる」というココロモチの元に、やさしい政治をしていただければなあ、と思う次第である。

2017年11月22日水曜日

SFの住人には向いてない

めったに鳴らないスマホが知らないうちに光っているので何事かと見てみたら、Google photoが

「この写真は横向きになっていますが、向きを変えましょうか?」

みたいな通知を飛ばしてきただけだった。



アプリがどんどん便利になって積極的に話し掛けてくる。



北海道に、「まつりや」という回転寿司がある(札幌市内に数店舗、本店はたしか釧路にある)。かつて、この人気店に観光客を連れて行くことになった。ここは相当混んでいて、夕方はたいてい1時間くらい待たないといけないという噂。

アプリで事前に予約など入れられないだろうか、最近はそういうのがあるだろ……と推測し、探してみたら案の定アプリがあった。

「まつりやアプリ」。安直である。

さっそくダウンロードしてみた。まああまり高機能ではなかった。ただ、アプリからたどってWeb予約のサイトにたどり着けたので、よかったねよかったね、となった(でも予約しても結局店で誰かが待ってないといけなかったんだけれど)。



後日、仕事中にスマホが静かに鳴動していたので、どこの物好きからメールだよと思ってスマホを見ると、すっかり忘れて放置していた「まつりやアプリ」からの通知であった。

「本日、ウニが入荷! ○○店にて!」

……これを見て、○○店におしかけて、ウニを食べて、わぁい、かあ……。

すごい時代だなあ。

書店で雑誌の表紙をみて、「あっ、今日はおすしを食べたいな」と思い付くのと、テレビで情報番組をみて、「あっ、中トロうまそうだな」と影響を受けるのと、スマホの通知で寿司に興味が向かうのと、何が違うのかと言われたら、少なくともぼくにとっては何も変わらない。

もちろん、営業をかける方からしたら、不特定多数に物量作戦で発信するテレビのCMよりも、元々この店に興味があってアプリをダウンロードまでした人に営業をかけたほうが、何倍か効率的なのだろう。だからこんなシステムが、地方の回転寿司屋のアプリにまで搭載されているんだろう。




今ぼくは、スマホの通知を「誰かからの連絡だ」と思って見に行く。そして、なーんだ、アプリの通知かよ、と、肩すかしを食らった気持ちになっている。

すなわち、「人かな → なんだ、アプリか」の順番である。今のところ。

けれども、あと10年もしたらぼくは、スマホの通知を見てまず最初に「どのアプリかな」と考えるようになるのかもしれない。

このままスマホが進化したら、IoTに世界が食われたら、スマホはいつもぼくの何かを的確に指摘してくれる相棒となるだろう。おそらく、ありとあらゆる生ける人間よりも、スマホのほうがぼくに話し掛けてくれるはずなのだ。

そしたら、スマホの通知に対する感覚は、「アプリかな → なんだ、人か」に変わっていくのだろうか。




将来、日本はきっとこうなる、みたいな話をずーっとしてきたけれど、ぼくはもうとっくに「これ以上想像できていなかったはずの将来」に住んでいるのであって、今が未来であって、未来に住むぼくは夢の技術を前にして、「人かと思ったらアプリだった」なんてぼやいているのであるなあ。

2017年11月21日火曜日

病理の話(142) 社会的文脈が定義する診断という行為

なぜその治療をするのか? という疑問をないがしろにしてしまうと医療はいろいろゆがむ。

お金をかけて、たとえば入院をして、あるいは通院をして、本来自分が自由に使えたはずの時間を失って、その代わりに得るものは何か?

寿命? 痛みのないくらし? 不安のないくらし?

時間を失って時間を手に入れるような治療、というのもある。「半年入院したことで半年寿命が延びました」。入院中だって人に会ったり考えたりしているわけだから、半年寿命が延びるのならば1年入院したってよい、という考え方もある。しかしここまで来ると要は考え方の問題なのだ。患者によってはそんなことは許されないと考える人もいるだろう。

つまり、治療とか生活維持を目的とした医療というのは、最終的には個人の価値観にかなり左右される。



これに対して、「診断」は医学的に行うものだから、個人の価値観が関与する余地がない……というのは、正しいだろうか?



ぼくは、ときに「診断」も社会的に行われる場合があるよなあと思っている。



何度か書いたことであるが、たとえば半年間で人の命を奪う病気があったとしたらそれはほぼ100%の人が「致死的な、まずい病気」と考えるであろう。

このまま放っておいたら心臓が止まるケガ、というのは誰がみても「命に関わる病態」だとわかる。

しかし、あくまでたとえではあるが、「200年後に確実に人を殺す病気」というのがあったら、それは致死的な病気と呼んでよいだろうか?

そんなものは、きっと、「命に別状がない状態」として扱われるだろう。200年生きることがそもそも(現状では)不可能なのだから。



極論ついでに言う。高度に進化したロボットが意志を持っていたとして、彼らは自らを不死ととらえるだろうか? ぼくは、ロボットも自らを不死だとは思わないのではないかと思う。

「5000年も経つと、サビや破損などの経年劣化で絶対に動けなくなります。人間にとって5000年は悠久の時でしょう、しかしぼくらロボットにとっては、それはあくまで有限、かぎりがある、ということであり、人間と同じように少し遠くに死を感じているのです」

くらいは言うのではないか。



診断というのは実は主観的な、社会的な、文脈的な概念である。

「核が大きいから悪性」というのも方便だ。そこには、人間社会という背景によって「何を悪いとみなすべきか」という文脈が成立しているからはじめて成り立つ意図というものが含まれている。




これをわからないままに診断学をすすめようとすると、どこかで必ず穴に落ちる。

治療、維持、あるいはもっと広く、「その時代が規定する、人生と病気の関係」というものをきちんと考えずに診断をすると……。

ものすごく古い「ことわざ」にひっぱられて、ピントはずれの医療論を語ってしまうことにもつながるのだ。


What's the difference between a physician, a surgeon, a psychiatrist, and pathologist ? The physician knows everything and does nothing. The surgeon knows nothing and does everything. The psychiatrist knows nothing and does nothing. The pathologist knows everything, but always a little too late.


「内科医、外科医、精神科医、病理医の違いを知ってるかい? 内科医はなんでも知ってるけどナンにもしない。外科医はナンにも知らないけど何でもする。精神科医はナンにもわかってないしナンにもしない。病理医は全てを知っているがいつだって少し手遅れだ。」



上にあげたものはまさに、大昔の社会が規定した「医学」であって、今の時代にはまったくあてはまらない。現代において、病理医は全てを知ることはできず、かつ、いつだって少し早めに動くべき職業人なのである。

2017年11月20日月曜日

うイッス

来年以降、研修医とか臨床医が今まで以上に病理の部屋に勉強しにくることが決まり、今、病理検査室の模様替えをしている。

人があんまり多くなるとデスクが足りないのだ。だから、いらないものを整理したり、棚などを配置換えして、むりやりデスクを1個増やしてみた。

新しい椅子もひとつ注文した。



この椅子がコクヨのちょっとしっかりしたやつで、とても座りやすそうなやつなのだ。

それに対して、ぼくの座っている椅子はもうかれこれ30年以上使われているのではないかという古いやつ。



誰もみていないときに、こっそり、新しい研修医用の椅子をぼくのところに持ってきてみた。

ベストフィットである!

いいなあこれ。もらっちゃおう。

いちおうボスに確認してみた。「いいよいいよ 使いなよ」。おすみつきである。

うきうき。



でも何かおちつかない。良心がとがめるから、とかではなく、単純に座面が少し高くて、一番下まで下げてもデスクに対して少し首が下がる体制になってしまう。

これだと……。PC入力時に、首が少し下を向いてしまうのだ。

長年のPC作業で頚椎症もちのぼくにはちと厳しい。



やっぱりこの椅子、返そうかなあ。新しく来る研修医も、きっと、新しい椅子のほうがいいだろうし。



急に善人に戻る。椅子を元の場所にもどそうと思い、穴熊となっているぼくのデスク周りから椅子を運ぶために、エイヤッと持ち上げて……。



腰を痛めて今にいたる。ぼくもうすっかりおじいちゃんだな。それもいじわるじいさんのほう。たくらんで、裏目に出て、痛い目にあうほう。ちっきしょう。





ところで。

昔話に出てくる「おじいさん、おばあさん」というのは、今でいうとおそらく40代後半とか50代であったのではないかと思われる。

当時、平均寿命が短い。出産年齢も若かっただろう。「翁」というのは、必ずしも、現代の我々が想像するような高齢のおじいさんではなかったのではないか、と思う。

また、例えばこぶとりじいさんとか、浦島太郎とか、いくつかの昔話には、実際の疾病をモデルにしたのだろうな、というものがある。こぶとりじいさんのモデルになった病気は、40代でかかりやすい。もちろん、おじいさんがかかってもおかしくはない病気なのだが、「こぶとりじいさん」は今で言えば「こぶとりおじさん」くらいの年齢なのではないか、と思う。




すなわち、今日のぼくがもし室町時代あたりに生きていたら、「椅子じいさん」などとタイトルをつけられて、「いじわるじいさん 腰ひねる」などと後世のこどもたちにわらべうたにされてしまっていたかもしれないのだ。

人間、まじめに生きていかなければだめなのである。とっぴんぱらりのぷう。

2017年11月17日金曜日

病理の話(141) 移り変わる解釈と不変の所見について

時代が進むと、「医学的に重要だったはずのこと」が、少しずつ移り変わっていく。

これはもう、医学の宿命みたいなものなのである。




胃のある病気(すこし珍しいやつ)は、かつて、「大きければ大きいほど転移のリスクが高い」と言われていた。

・その病気が5.5cmより大きいか、小さいか

これがひとつの目安であった。さらに加えて、以下の評価項目を検討せよ、と昔の教科書に書いてある。

・細胞核が頻繁に分裂しているかどうか
・細胞がぎっちりと詰まっているかどうか
・細胞核の形状がやたらととっぴな構造になっていないか
・病変の中に壊死(細胞が死ぬ領域)がないか
・血管の中にもぐりこんでいないか、胃粘膜の中に分け入っていないか

合計6つのリスクファクター。該当項目にマルをつけて、マルの数が多ければ、転移のリスクが高い。



……でも、今、この評価は使われていない。

今はもっと単純化された。腫瘍の大きさと、核分裂数。この2つがあれば十分だと言われている。「Ki-67」という免疫染色の結果を用いてもよいが、これを加えてもせいぜい3項目だ。

なぜか?



時代が進むにつれて、この病気と診断された人の総数が積み重なっていく。去年も何人いた、今年も何人いた、と、症例を積み上げて検討をしていくことができる。

つまりは、後の世の人のほうが、より多くの症例を検討することができる。より切れ味のよい「統計処理」をすることができる。

これにより、「どの因子が、患者さんの将来をよりはっきりと予測しているか」が、より詳しくわかったのだ。だから、昔検討されていたファクターのすべてをチェックしなくても、診断には十分だ、ということになった。

診断が省力化されたのである。





別の病気の話もしよう。

むかし、ある血液系の病気を、A, Bの2種類にわけていた。

しかし、今はもうこの分類は使われていない。AもBもいっしょくたにして検討している。

せっかく分類したのに。

なぜか?

それは、時代が進んで、新しい薬が登場したからだ。

この薬は、AにもBにも、どちらにもよく効く。

この薬が登場する前は、AとBを比べると、Aの方にはより強力な治療をしないと、患者の命があまり長く保てなかった。Bのほうが少しマイルドな治療でよいとされた。

けれど、ある薬によって、AもBも、分け隔てなく「治る」ようになった。

だから、AとBをもはや分ける必要がなくなってしまった。





以上の2つの例を考えると。

実は、最初の例の、「さまざまなファクター」というのは今でも検討することができる。

あとの例の「AとB」を、今でも分類することは可能である。

けれど、今、それを「してもしなくてもいい」ことになった。その労力を省略する分、もっと大事な分類をして、もっと細かい医療を進めていかなければいけない。






昔も今も、「プレパラート上に見えているもの」はさほど変わっていない。

昔の人だってとても優秀だったのだから。

今の人間がみているもののほとんどは、昔の人もみていた。



ただ、時代が進むと、そのときそのときの医療の「積み重ね」や、「新しい診断法」「新しい治療法」、「生活習慣の違いなどが生み出すリスクの差」、「別の病気が治りやすくなったことで高齢化が進んでいること」などがさまざまにからみあって……。




プレパラートにみえている「事実」の、意味が変わる。重みづけが変わる。

それが、冒頭に書いた、医学的に重要だったはずのことが、少しずつ移り変わっていく、ということである。







職場のボスが、病理検査室にあった古い教科書をすべて大事に保管している。

保管場所がなくなってきたので、医局にあるぼくのデスクを解放して、本棚に所狭しと、昔の教科書を並べている。

1950年代の本もある。

ときどきみてみる。今とはけっこう違う。特に、病気の量は今よりもかなり少ないように思う。

けれど、よくよく読んでみると、そこに書いてある「細胞の所見」だけは、今とそう変わらない。

変わったのは解釈のほうだ。「医学的に重要なこと」が移り変わっている。

時代に合わせて解釈を変えていく。

なんだよ、結局、患者は医者の解釈に振り回されているだけなのか……?

違う。

医者の解釈とはそのときの全力だ。将来出るかもしれない優れた薬にあわせて今の診断を変えることはできないし、変える意味もない。あらたなリスク、あらたな予防、あらたな治療が登場するからこそ、診断も時代毎に姿を変えていく。

病理医はそれに翻弄されそうになりながら、それでも、時代を通じて変わらない「所見」を記載して、「現時点で最高の解釈」を記す。それが、今の医療を生きる病理医のすべきことである。

2017年11月16日木曜日

オータムなのかフォールなのかそこをきちんとしてほしい

今年の札幌は秋が長かった。

いつもだと、夏が終わって秋が来たと思った途端に初雪が降り、そこからは雪崩のように冬にまみれていく。

けれど、今年は、一度だけ雪が降ったあと、しばらく暖かな日が続いている。

紅葉を落ち着いて眺めていた時間があった。



日本という国には四季があるからいいよね。

よく聞く言葉だ。しかし実際、春夏秋冬というものは、互いに等価ではない。

北国では冬が長く、春夏秋はいずれも短い。

長い冬のあとにくる短い春に喜びを感じたのは嬉野さんだ。

短い夏のあとに少しだけ長く訪れた秋にぼくは喜んだ。



四季というのはぼくらが思っているよりもずっと適当で、サイクルごとに必ずしも整ってはいないけれど、けれど、何度も何度もまわしてみると、どこかでしっくり四季が揃うタイミングがある。

ぼくは今、どうもそういう、適当な四季の中に暮らしているのだろうという実感がある。

だから時折、まれに、訪れる今のような秋に、ひどく感動してしまうのではないかと思う。

札幌にはもう冬が来ている。記事を書いてからブログに載るまでの一週間で秋は終わってしまった。

2017年11月15日水曜日

病理の話(140) 画像もまたひとつの答えであるから

旧知の放射線技師からメールが来て、ある症例について相談を受けた。

ある疾患の超音波画像やCT、MRIを見比べていたところ、少し珍しく、どうにも解せなかったのだという。

情報を元に、ただちに病理組織を検索し、画像の不思議さについては一定の見解を得た。

おもしろかった(というと患者さんに失礼だが、あえて言いたい、おもしろかった)のはそこからだ。

彼はこう言った。

「画像は珍しいんですけど、病理がぜんぜん普通だったら、どうしようかと思っちゃいました。学会に発表しても、なんだそんなのぜんぜん珍しくないよって、言われたらいやだなあ……って」



ぼくはうなってしまった。

画像が珍しい、不思議だ、と思ったなら、それで学会発表の動機としては十分ではないのか。

病理が平凡だと、そこにたどりつくまでの過程でいくら不思議さがあっても、学会では受け入れられない、というのか。

少なくとも彼はそう思ったわけだが。

実際に、そんなことがあるだろうか。



あるな。



学会発表というのはそういうものだ。新規性、異常性、なにか今までと違うものをこそ、発表して検討する価値がある。それは確かにそのとおりなんだけど、でも、現場に生きている我々が、いつもいつも目新しいものばかりに遭遇するわけではない。

だからこそ。

ちょっとした、日常の、ささいな質問を、大事に大事にふくらませていく場所というのもあっていいのではないか?



ぼくはメールに記す。

大丈夫ですよ、病理も十分珍しいですから。どこかに発表しましょう……。

けれど心の中で、強く思う。




病理は答えの一つでしかない。病理診断が珍しくなくたって、画像が珍しい、不思議だ、おもしろいと思ったならば、それは検討する価値が十分にあるのだ、と。




だって、画像もまた一つの答えなのだ。病理がただ一つの答えだなんてことはない。患者の口から出てくる情報も答えである。診察で得られる理学所見も答え。血液検査だって答えの一面だ。

これらの答えが複合されて、最終的に、

「患者がどうなるか」

「患者をどうできるか」

「患者とどう生きるか」

という命題が、本当の答えとして立ち上がってくるのではないかと思う。病理診断が珍しいとか珍しくないとか、そんなことは、本当のところ、どうだっていいのだ。病理診断がすべての答えなわけがないではないか。





と、病理医がいうと、いろいろ面倒なので、小声で控えめにいうようにしている。

2017年11月14日火曜日

果報少女かどか☆カギカ

「声に出して読みたい日本語」というフレーズ自体を声に出してみたいと思う時がある。

「写真を撮っているカメラマン」を写真に撮りたいときもある。

「応援団」を応援している。

「辛そうで辛くない少し辛いラー油」は……少し辛いラー油、でいいと思う。



何の話かよくわからなくなったが、カギカッコでくくったとたんに、カギカッコの中身を俯瞰したくなる病におかされている。この病はおそらく空気感染する。今の社会にはすでにこの病がすみずみまで侵略していると考えてよい。

ツイートというのは何かにカギカッコをつける作業に近い。

写真が風景を切り取った途端に、写真のほうが現実の風景よりも雄弁になることがあるように。

カギカッコは何かのフレーズを主人公にしてくれる。



だからついカギカッコを多く使ってしまう。ぼくのツイートにはカギカッコの出現頻度がとても多い。かつて、このブログをはじめる際に、ブログでは意識してカギカッコを使いすぎないようにしようと思った。次第にそのことを忘れ、最近また、頻用するようになっている。



何かを強調してみせたい。

だれもが語っていい事実をあえて自分が語るのならば、その切り口にわぁっと喜んでほしいと思う。

だからカギカッコを使う。ぼくはここに着目したんだよ、このフレーズに意味があるんだよと。




吉野朔実が亡くなったあと、ぼくは吉野朔実のbotをフォローした。

彼女のマンガのセリフはすべてカギカッコにくくられているような気がした。

詩人はカギカッコを使わない。

おそらく、声帯よりも唇に近い部分、上咽頭のあたりに、カギカッコフィルターが用意してある。口から出てくることばはどこもかしこも、あますところなく叙情にあふれている。

ぼくは今、どちらかというと、一回もカギカッコを使わずとも人をゆらゆら揺らすことができる人、のほうにとても興味がある。

それはおそらく現実の世界にもSNS上にもほとんどいないのだが、まれに、いる。

かなわないなあ、と思う。無言でフォローして、「いいね」をつける。




いいねはごく個人的にはたらくカギカッコだからだ。

2017年11月13日月曜日

病理の話(139) 直接みられる皮膚科学と病理学

かつて、「わからない」「なおらない」「しなない」、通称「3ない」と言われていた医学がある。それは何かというと。

皮膚科学、であった。

あくまでも「昔」の話である。



皮膚の病気は実に多彩。湿疹(しっしん)ひとつとっても、原因が無数にあり、見た目も微妙に違う。治療がうまく行くケースが比較的少なく、なんだかだらだらと治らないままの状態が続く。そして、命には関わらないことが多い……。

いずれも過去の話だ。診断のレベルがどんどんと上がり、診察の仕方、詳しい検査方法、基礎研究との連携などによって、今や皮膚病はかつてないほどに解析され……。

この価値観は、ひっくりかえった。

「わかる」「なおる」「生きる」である。「3る」。語呂が悪いので流行らないが。



ではこれをひっくり返したのは何か? 医学の進歩、というとちょっとざっくりしすぎている。

ぼく個人の意見ではあるが、皮膚科の診療がこれほど劇的に進歩できた(わからないからわかるへ変化したというのは、とんでもない進歩である)のは、皮膚病が「直接みえる疾患である」ということが大きいように思う。



心臓とか肝臓、肺、血液の病気というのは、医者がどんなに手を尽くしても、結局直接みることができない。だから、診断学は、自然と、「類推の学問」となる。いかに間接的に病気の姿を捉えるか、いかに影絵から本態を見破るか、というところに根幹がある。

これに対して、皮膚は「みえる」。

いかに細かくみるか、いかに詳しくみるか、を突き詰めていくことで、どこまでも診断を深めていくことができる、ということだ。

皮膚は、直接検体を採取することが比較的容易である(審美的な問題はあるのだが)。

病気を遺伝子解析することも比較的たやすい。採ってすぐ解析用の溶液や装置に入れることができるからだ。




ここまでの話、だいぶ簡単に書いている。実際にはそこまで単純な話ではない。しかし、一面の真実は語れているはずだ。




極論する。臨床医学というのは、「できるものならば、皮膚科のように、直接みてみたい」。

直接みたい。近距離でみたい。ありとあらゆる方法を使ってみてみたい。

それができない科だからこそ、さまざまな画像診断が発展するわけで……。

できる科であれば、病気に最接近することはとても役に立つし、ぜひやりたいと思うものなのだ。




極論ついでに言う。

今の時代、胃カメラや大腸カメラを使う消化管医療というのは、少しずつ皮膚科に近づいている。

カメラを使って直接病気に迫っていけるのだから。




実際、今、胃の病気の一部は「まだわからないが、なおる」病気へと変貌を遂げつつある。特に、ピロリ菌に感染していない胃においては、「死ぬ胃癌」よりも「死ぬ前に治せる胃癌」が増えている(個人の感想ではなく、学術的業績の数々がそれを示唆している)。

もちろん、まだまだ、「死ぬ胃癌」の数は極めて多い。そこは勘違いしてはいけない。けれど、「死ぬ前にどうにかできる病気」が胃にもあるのだ、ということが、近年わかってきた。

まるで、皮膚病のようだ。

そして、胃がまるで皮膚のように感じられるのは、胃カメラの発達によるところが大きいと思う。





一方で。

皮膚にも「死ぬ病気」がある。悪性黒色腫などのがんだ。

皮膚がんというのは比較的まれである。湿疹などの、「しなない」病気のほうが極めて大きい。

だからこそ、ときに出現する「死ぬかもしれない病気」をきちんと見つけ出すことが極めて重要である。

胃も、だんだんと、そういう世界になっていくような気がしている。死ぬ病気が珍しいからよかったね、で終わらせてはいけない。死なない病気の中から、死ぬかもしれない病気をピックアップするというのは、かなり高次の診断能力を必要とするのだから、きっちり気を引き締めてかからなければいけないのだ。




「病気に最接近できる領域」において、病気を”きちんと”みるのは医者の使命である。




なお、”最後まで”みるのは、実は病理医の仕事である。




三度目の極論を言う。病理診断学というのは、皮膚科からスタートする学問である。かの有名なAckermanの教科書も、日本語の名著「外科病理学」も、冒頭には皮膚疾患が置かれている。

最接近して、最後までみるのが病理だから。

患者にぐっと近づいたとき、最初に見えるのは皮膚だろう? だから、病理のスタートは、皮膚なのだ。

そして、医学が進歩して、皮膚だけではない、さまざまな臓器に接近できるようになれば、病理医の仕事もまた、深く鋭く進化せざるをえない。





蛇足:

今日の話を一部分だけ切り取られるととても困る。

病気というのは「ひとことで片付けられない」世界だからだ。

深くみる、というのは、「ひとことで片付けられない世界をのぞく」ことでもある。そこのところ、自戒を込めておく。

2017年11月10日金曜日

現実の話をする

夢の話をする。

「脳はいいかげんにできている」という本を読んでいたら、その中に、

「夢というのは嫌な夢のことが多い」

みたいなことが書いてあって、まあ医学的根拠はともかくとして、そういえばそうだなあと思った。

正確な記載は忘れてしまったけれど。

「夢が記憶の定着に役立っているのだとしたら、いやなこと、避けるべきことをきちんと記憶しておいたほうが、生き延びる上では有利なのかも」

みたいなことが書いてあったと思う。



いい夢をまったく見ないわけではないが、確かに、6:4くらいで、なんだか嫌な気分になったり、不安になったり、さみしくなったりする夢を見ているなあ、と思う。

これは、ぼくだけ、あるいは一部の人だけにあてはまる現象なのだろうか。それとも、多くの人にあてはまる、普遍的な傾向なのだろうか。

もし、「夢は基本的にちょっとだけ悪夢」が、多くの人にあてはまるのだとしたら……。

夢という言葉は、自然と、ネガティブな言霊を帯びたはずだ。

けれど、現実には、夢は将来とか未来とか希望といった、ポジティブなニュアンスをまとった言葉であるように思う。




ぼくは今39歳だがいくつかの夢があり、そのうちのひとつをこないだ夢にみた。

ところが絵に描いたような悪夢で、これが俺の夢なのかよ、と、目覚めたときに少し切ない気持ちになり、そうだな、夢の話に暮らしてはだめだ、夢を現実にしようとする力こそがぼくを推進させてくれるのかもしれないな、と思った。

それっきり忘れていた。

今朝、夢に息子が出てきて、目覚めたあとに偶然、現実の息子からlineが来た。……ああやはり、良い夢よりも良い現実のほうがはるかに良いよなあ……と、思ったのだ。

2017年11月9日木曜日

病理の話(138) 病理医のバイアスと問いまくられた経験

人というものはなかなか頑固な生き物で、自分の目で見るまでは信用できない、などと言う。

逆に、自分の目で見たものを過剰に信奉してしまうこともある。

実は、病理医あるある、である。

たとえば……。


とある肝臓のがんは、ときおり、肺に転移する。

ではどれくらいの頻度で転移するか?

しょっちゅう、とは言えない程度。

たまに、くらいかな。



ところが、病理医から見ていると、「肝臓のとあるがんの肺転移」というものは、めったに目にしない。

だから、「肝臓のとあるがんは、めったに肺転移を来さない」と言いたくなってしまう。

臨床医と話してみると、イメージよりもはるかに「肝臓のとあるがんの肺転移」は多いらしい。しかし病理医をやっていると、めったに経験しない。この差はなぜ出てくる?




かんたんなことだ。

「肺に転移した肝臓のとあるがんは、手術で採ってくることがめったにない」

からである。

「肺に転移があるとわかった時点で、手術以外の治療を選択する」

と言い換えてもよい。


病理医は、手術などで採ってきた臓器をみるのが仕事だから、手術にならなかったケースについては、普段あまり見ていない。だから、経験できない。



なーんだそんなことかあ。

でもこれは根の深い問題なのである。

 

「病理医としての経験から申し上げますが、最近、子宮の病気の数が減りましたねえ」。

ほんとうだろうか? 実は、その病院で、手術ではなくレーザー治療を積極的に行うようになったから、病理に提出される手術材料の数が減っているだけではないか?

「最近は早期胃癌の頻度がとても増えていますね、進行癌なんて2割も見ないです」

ほんとうだろうか? その病院の外科医の数が減っていて、進行癌の手術をほかの病院に送っているだけではないか?

「○○の○○病の診断は極めてかんたんです。病理で誤診するなんてまずありえませんよ」

ほんとうだろうか? その病院の臨床医がとても優秀だから、病理にお鉢が回る前に診断が9割がた決まっているだけで、他の病院で診断すると実はとても難しい、ということはないか?

「○○病の診断には○○という免疫染色が有効ですね、ぼくはこれでだいぶ診断を決めていますよ」

ほんとうだろうか? たまたま、「落とし穴」となりうる難しい症例を経験していないだけで、診断がかんたんだと思いこんでいるだけではないか?




ほんとうだろうか?
ほんとうだろうか?
ほんとうだろうか?

三度くらい問い返す。手を変え品を変え。時間も場所も変えながら。問い直す。自分の胸に問う。



ぼくが「医学的に正しい」と思っていることが、実は自分の経験によって、すなわち自分の目によって、「歪んだもの」である可能性は、ないだろうか?



経験は手技を迅速にする。

経験によって行動の最適化がなされる。

経験がないときに比べて、経験があるときのほうが、早く自分の思い通りの場所にたどり着ける。

経験とは、そこまでの価値だ(まあ十分ではあるが)。

真実に、科学に、肉薄すべき病理医は、経験によって裏打ちされた真実とやらを、常に問い直すべきである。

「問いまくられた経験」こそが、研磨されたダイヤモンドに匹敵しうるのだ。

2017年11月8日水曜日

脳だけが旅をする

大学時代、ときおり、寝台列車に乗った。

……スマホで「しんだいれっしゃ」と入力しても、一発では変換されない。昭和は遠くなりにけり、である。

知らない人もいるだろう。

普通、列車というものは、真ん中に通路があり、両端に座席がある。

これに対し、寝台列車の場合は、列車の片側に通路があり、窓に面している。そして、もう一側にコンパートメントが並ぶ。

ハリー・ポッターなどを見ていると、欧米の列車というのはだいたい、通路が片側にあって、コンパートメントがもう片方に寄っているが、あんなかんじだ。

寝台列車のコンパートメントの中には、座席の代わりに、二段ベッドが二組ずつある。

どこも、ひどく狭い。

上の段であぐらをかけば、天井に頭が触れるくらいのやつだ。



ぼくらはこの寝台列車に乗って、秋田、岩手、山形などに遠征をしたのだった。剣道部時代の話。

大学生は酒ばかり飲む生き物だが、狭くて揺れる寝台列車では、なぜかみな、無口になり、酒もそこそこに寝台のカーテンを閉め、あるいは夜中にこっそり起き出して、通路の小さな非常座席をひっぱりだして、窓の外に広がる漆黒をだまって見つめて、やはり眠れなかったのであろう上級生に、「まあ、ほどほどにな」とか言われながら、まどろむタイプの夜更かしをしたものだった。

「深夜特急」を、寝台で読むのが最高だったのだ。

どうせ、暗くて、読めたものではなかったが……。






先日、とても狭いホテルに泊まった。

なんだかとても懐かしかった。

リネンが信用できない感じ。

となり近所のおじさんたちの寝息が聞こえるような錯覚。

ぼくは学生時代の寝台列車を思い出しながら眠った。

こういう時の夢というのは本当におもしろい。

会いたくなかった人たちがピンポイントで出てくる。

狭いホテルというのは旅情をかきたてる。

タバコ臭いバスタオル。

音がうるさい換気扇。

壁しか見えない夜景。

ダイヤモンドの形にぺこぺこにした、缶ビールの空き缶。

しまいづらい冷蔵庫。

夜通し、失恋を語っていた男。

中年にしか見えなかった当時の先輩が、今の自分より14も若かったのだということ。

ぼくは当時、何もかもわかっているくらいに、多くの言葉を使っていた。

夜の雲も意外と見える。

ラムをコーラで割る。

サザンが好きな店主。

寝台列車で読んだ本。

旅先で撮った写真。

一枚も手元に残しておかなかった写真。

ぼくは狭いホテルの一室で写真を撮った。

どうせ現像もしないのだ。だってぼくは、22歳の日々をこんなに覚えているけれど、30歳の日々も、35歳の日々も、もうなんにも、なんとも思っていないのだから。

2017年11月7日火曜日

病理の話(137) 一眼レフとルーペ

ミクロの世界は顕微鏡でないと見られない、というイメージがあるが、実際、人の目はものすごいので、ふだん顕微鏡を使って見ている情報のほとんどは、

「よくよく見ると、肉眼でも見える」。

よくよく見ようと思うと、ホルマリンにひたしたあとの臓器に、目をぐっと近づけなければならない。水洗いしてから見ればほとんどにおいはのこらないが、それでも刺激物であるから、ゴーグルをしてマスクをして……。

ま、ちょっとだけめんどうである。けれど、今はとてもよいものがある。

デジカメだ。それも、マクロレンズを装着したやつ。

目を皿のようにしてじっくり見るのもいいけど、デジカメできれいに写真を撮ってから、それを拡大すれば、とてもよく見える。



具体的にどれくらい見えるか。

そうだなあ。

毛穴は余裕で見える。

胃の粘膜や大腸の粘膜の表面にあるつぶつぶも、ま、普通に見える。

肝臓は、漫然とながめていると、「詰まった臓器」に見えるが、目をこらして(あるいはデジカメで撮影して拡大して)ぐっと見ると、詰まった実質の中に走行する、細かい胆管や門脈、動脈の枝が、きちんと見える。

肺は、本気を出すと、肺胞まで……はちょっと大げさかな、けれど、気道のごく細かい部分までは、見ることができる。




顕微鏡がなくても、「セミ・ミクロ」の構造までは、なんとか見ることができる。

昆虫学者が蝶の羽を虫眼鏡で眺めるように、病理学者も昔はルーペを手にしていたという。

ぼくのデスクにも、ルーペが置いてある。ボスからもらったやつだ。

今はデジカメが強力なので、あまり使わなくなってしまったけれど……。

たまーに、取り出して、使うこともある。




昔の臨床医は、ルーペを片手に検体に向き合う病理医を見て、なんだか、オタクっぽいと思っていたろうな、と思う。

わざわざホルマリンくさい臓器に目鼻を近づけなくても、さっさと顕微鏡を見ればいいのに、と。

なんかああいうチマチマしたものを見るのが好きなやつらなんだな、と。









今、臨床医の目は、すみずみにまで行き渡るようになった。

CTやMRI、超音波検査などの「解像度」は昔とは比べものにならない。内視鏡だって、拡大内視鏡だけではなく、超拡大内視鏡なんてものまで現れてきている。

技術の発展によって、マクロの世界で診断していた臨床医たちが、少しずつ、ミクロの方に手を伸ばしてきているのがわかる。

そんな、診断学の最前線にいる臨床医たちと話をしていて、先日、「ぼく、今でもときどきルーペ使いますよ。ボスにもらったんです」と言ったところ……。




「おお、いいねえ! やっぱ顕微鏡だけじゃなくて肉眼もきちんと見てくれる病理医のほうが、ぼくらと『オーバーラップする部分』が多いんだよなあ!」

と言ってくれた人がいた。

オーバーラップ。

マクロからミクロに手を伸ばす臨床医がいて、ミクロからマクロに手を伸ばす病理医がいると、お互いが手に触れている領域がだんだん広がることになる。

臨床医と病理医、それぞれの目に触れる部分というのは、きっと、どちらかしか見ない、わからない領域に比べれば、「めっちゃ見られている」。「しっかり解析できる」。「見逃しも少なくなる」。




うん、そうだな、顕微鏡はぼくらの武器だけど、ルーペもきちんと使っていくことも、大事だよな。

今、ふと、ルーペを見たら、ほこりをかぶっていた。いかんいかん。デジカメのことばかりほめてごめんな。

2017年11月6日月曜日

母への手紙

あっ! そういえばぼく今ゲームしてないわ!

ってなった。卒業である。39歳で卒業。

記念だ。母親に電話しよう。

思えば小学生のころから、母親に、

「いつまでもピコピコファミコンしてないでそろそろやめなさい。高橋名人も1日1時間って言ってたでしょ」

と言われていた。

みんな持ってるからと言ってスーパーファミコンを買ってもらい、クラスメートが次から次へと遊びに来るのを見た母親に、

「みんな持ってないじゃない!」

と怒られた。

中学の卒業寸前に、同級生の家に10人くらいで泊まりに行って、その男の子の親が出かけていないのをいいことに、一晩中「プライムゴール」のPK戦をやっていた。ACアダプタが焼けそうになった。

高校のとき、塾から帰ってきてちょろっとFFをやったりしたが、さすがに受験前にはゲームをやめていた。母親には

「ようやくピコピコやめたねえ」

と言われた。でも、大学に入ってまたゲームをするようになったので、

「大学生になってもファミコンやるの!」

と驚かれたが、いや、プレステだから、と答えた記憶がある。

大学院になってもやっていた。プレステ3は初期ロットの60GBのやつを買った。

社会人になってもやっていた。さすがに据え置きゲームをやる頻度は減ったが、それでも、最近ではスプラトゥーンをやったし、Switchのゼルダもマジ最高だった。




それが。

ゼルダをクリアし、スプラ2に移行したはよいが。

出張に加えて論文と書籍の執筆がたのしくて、職場で仕事をしている時間以外にもなんだかいろいろPCに向かうようになって……。

それはそれとしてマンガを読んだり本を読んだりはやめないでいたら……

今、ゲーム、自然と、やってない!!

やる気も、しなくなってる……!

ついに。ついに。33年越し。

ぼくはゲームをやりたいという気持ちを失った。




ああ!

ぼくはこのまま一生ゲームをやりながら過ごすのだと思っていた。

ゲームはカレーライスと一緒だと思っていたけれど。

しばらく食べない日があったとしても、いつか知らないうちにまた食べている、そんなものだと思っていたけれど。

嫌いになることなんてない、ちょっとご無沙汰しているだけだ、と思っていたけれど。

ゲームを、離れた。もう、ゲームのない暮らしがこのまま続いても、大丈夫だ! そんな気がするんだ!!





と、知人に力説したのが、たしか10月26日。よく覚えている。

翌日、10月27日が、スーパーマリオオデッセイの発売日だったからだ。よく覚えている。ぼくは、出勤する直前にそれをダウンロードして、帰宅してから次の日の朝までずーっとやっていた。覚えている。





「母さんぼくはもう忘れちまった

腐った名前と恋に落ちた

そうさ金曜は適当に終わった

今日はちょっと前に進め

心配ない」

(LOSTAGE/手紙)

2017年11月2日木曜日

病理の話(136) リズム隊が聞こえるようになるとバンドが好きになる

病理はおもしろいねえ。そう言った呼吸器内科医がいた。

「そうですね。病理はおもしろいです」

ぼくは答えた。彼は言葉を継ぐ。

だってさ、CTで見たなんかよくわからん影がさ、病理見てからもう一回見直すと、なんか読める気になるんだよ。あれ不思議だよなー。



よく言われることである。



CTで肺を見た時に、ごく小さな、「すりガラスごしに向こうを見るかのような」、”白み”があるとする。

これを、「ああ、何か白く見えるなあ」で終えてしまってよいならば、医療者という仕事は必要ない。

・その白みはなぜすりガラスのように見えるのか?
・なぜ油絵のようにゴキッとはっきり白くうつらないのか?
・ゴキッとはっきり白くわかりやすい結節と、すりガラス越しの不思議な病変とはどう違うのか?

これらに疑問をもってから、たった一度でいい、それぞれの病気の病理組織像を見ておくと、CTの像の違いを生み出している細胞の違いというのがスコンと見えてきて、

スコンと腑に落ちる。

何度も見れば必要はない。どこかの段階で、一度だけ見ればいい。




何度も見るのは病理医の仕事だ。毎回、病変毎に、ニュアンスの違いを受け取り、昨日の症例と今日の症例と明日の症例ではどこが違うかをきちんと評価する。細胞を用いて診断するというのはそういうことだ。

ただ、臨床医にとっても、「生涯で一度だけ」顕微鏡像を見ることに、とても大きな意味がある。

その意味とは。




「自分と違うメソッド(やりかた)で、病気を違う角度から見て、診断している人がいること」に気づくこと。

そして、

「自分と違うメソッドをいったん経験することで、自分のメソッドの利点が、よりはっきりわかるようになる」ことである。




組織病理というのはあくまで二次元の情報だ。プレパラートには4μmの厚さしかない。ルパン三世に出てくる石川五ェ門が、斬鉄剣で車をスパッと切ったら断面が見えるだろう。あの断面だ。断面だけで勝負する。

一方、CTも、基本は「スライス」だ。断層画像とも言う。

断面の観察だけなら、CTの解像度はとても病理にかなわない。病理はマイクロメートル単位で見ているのだから。

そんな「病理の解像度」を知ることは、CTを読む上で、役に立つ。

「病理を目標に見る」ことができると、CTの読影力も上がる。




ぼくは、この関係、何かに似ているような気がするなあと考えていた。

そして、ひとつ思い付いた。




好きなバンドのCDを聴いていて、最初は、ボーカルの声質とか、メインのギターリフをかっこいいと思うんだけど。

一度、ライブを見に行くと、ボーカルとかギターだけじゃなくて、ベースとかドラムの動きが目に入って。

目の前で演奏しているベーシストやドラマーを見ながら、ああ、こんな演奏してたんだな、こんな音をあわせてたんだな、ってのがわかるようになって。

帰ってきてからもう一度音源を聴くと。

ベースの音がはっきり聴こえるようになっていて。

ただのリズムだったドラムも、音色のおもしろさがなんだかわかるようになって。叩いているところが目に浮かぶような気がして。

「リズム隊」の存在感が見えてきて。

バンドと音楽がもっと好きになるような……。




あんな感じかもしれないなあ、と思いついた。




臨床医は、一度、病理を見るといいと思う。ライブに来ると音楽がもっと好きになるように。病理に来ると臨床がもっと好きになれるかもしれない。生涯に一度でいいとは思う。もっとも、ライブに一度だけ行く人というのは、ぼくは今まで聞いたことがないけれども。

2017年10月27日金曜日

戻りガツオの旬だそうです

土佐の高知のはりまや橋は、がっかりするぞと言われたが、

ぼくは以前にここにきたとき、仕掛け時計のあれをみた。

土産屋さんの前で待てよと、思わせぶりに友が言い、

橋の手前で日差しをあびて、行き交う親子を目で送る。

時報が鳴ったら意味がわかった、店員さんがはすに見た。

ちょっと小粋な楽しい曲が、小春の陽気にしみだした。

あるいはこれは作った記憶か、いやいやぼくは覚えているぞ、

響くはよさこい節だった。息子がきょとんと聞いていた。

からくり時計が開くと見せて、ちょっと裏切る楽しいしかけ、

時計の下に踊り子が出た、右に伸びるははりまや橋だ、

左に延びるは桂浜、誰もが知ってるたてがみの龍、

しずかに響く鐘の音。拍手をするはぼくばかり。

土佐の高知のはりまや橋で、おっさん時計が鳴るを見た。




高知に来るのはこれで3度目。

台風が近い。あすには帰る。

ホテルの窓から城を見ている。

いずれまた来る、晴れた日に。

わらでたたいた、カツオを食べる。

2017年10月26日木曜日

病理の話(135) スポーツ解説者と病理医の共通点

たとえば消化器内科医が、胃カメラや大腸カメラで胃・大腸の病気を見て、診断をする。

診断は詳しければ詳しいほどいい。

 ・なにか盛り上がっているなあ
 ・なにか赤いなあ

だけではなく、

 ・ここが出っ張ってここがへこんで、表面がちょっとざらついていて、超拡大すると表面の模様がみえて、白いふちどりみたいな円弧状の曲線がいっぱい見えて、赤茶色の血管が縦横無尽に伸びる様子が見えて……

てな感じで、彼らはとことん見る。たいしたものである。




彼らは、毎日いろいろな症例を見る。症例の中には、「ズバッと病気の本質まで見えてしまうもの」もあれば、「なんだか難しくて、その場で表面から見ただけではわからないもの」もある。

わからないものをどうするか?

持ち寄ってみんなで検討したり、論文にして世界に見てもらったりする。



難しい症例を持ち寄って、みんなでああでもないこうでもないと、「読み方」を勉強したり、新しい疾患概念を考え付いたりする場を、俗に「研究会」という。

この、研究会のときに、病理医の出番がある。





たとえば胃カメラ。たとえば超音波検査。たとえばCT, MRI。

臨床医はカメラで病気を直接見たり、あるいは体にX線とか磁気とか超音波とかを当てたりして、なんとか病気の正体を探ろうとする。

その後最終的に、病気の正体に最も肉薄するのは、病理医である。

病理医は、とってきた病気を切って、じろじろ見て、さらにプレパラートまで作って、細胞レベルまで見まくる。免疫染色を使って異常なタンパク質を見破ったり、ときには遺伝子検査まで行って細胞のルーツまで見極める。

一番答えに近いものを、見ている。

ということになっている。





そういうことになっているから、「研究会」という場で、病理解説という仕事が回ってくる。

臨床医たちがさんざん胃カメラや超音波やCTで見まくった病気に対して、「病理医からはこう見えたよ」、とパワーポイントでプレゼンをすることで、その場にいる多くの医者たちが

「おおー、なるほど、そういうことかあー」

となるように、がんばる。

これが病理解説なのであるが……。




ま、なかなか、思うようにはいかない。




病理で見たものをそのまま説明しただけではだめだ。

顕微鏡を見て思ったことを言う。細胞がこうなっているぞ、と。タンパクの異常があるぞ、と。

いくらミクロの世界を正確に読み解いたとしても。

「……で、その結果、なんで俺たちが胃カメラで見たものは、赤くて飛び出しててざらざらしているように見えたわけ?」

という、マクロの世界に対する質問が、ずばずば出てくる。







病理解説はサッカーの解説に似ているような気がするのだ。

テレビでサッカーの試合を見ていると、さまざまな実況・解説者がいる。

ひとりひとりの選手の名前をひたすら呼んでいくタイプの実況。

「あぁー!」「あぶなーい!」と、見ている人を盛り上げるが、その実、なにも解説はしていない、お調子者タイプの解説。

「長友の運動量がいいですね」「大迫のポストが効いてます」と、個人のはたらきを説明するタイプ。

テレビはエンターテインメントだから、どのようなやり方であっても、場が盛り上がり、視聴者が楽しめばよいと思うわけだが。

純粋に「どっちのチームが勝ちそうか」を予想するには、どのようなスタイルの解説がよいだろうか?




選手個々人の能力(身長とか足の速さとか)を語るだけでは、足りないだろう。

それぞれの選手のはたらきを読み解き、相手チームの選手とのポジショニング、フォーメーションのバランスに着目。

どの選手がどう動くことで、どこにどのようにスペースができ、そのスペースをどちらが有効利用するか。

ボールを持っていない選手の動きが、ほかの選手を考えさせ、走らせ、結果的にチーム全体の攻撃力を上げていることもある。



そして、解説は、

「サッカーのことはそこまで詳しくない人」

にわかってもらわなければいけない。これがポイントである。




サッカーを何年もプレーし、ゲーム理論なども理解している選手を相手に説明するのは簡単だ。どの選手のどの動きが有効だったかを、専門用語で語れば用が足りる。特殊なフォーメーションの効力を短い言葉で伝えられる。

けれど、「サッカーは好きだし興味はあるが、そこまで詳しくない視聴者」に、専門的な用語を多用して説明しきれるものだろうか。たぶん、無理である。





夜のニュースなどで、スポーツコーナーがはじまると、その日に行われたサッカーのダイジェストが流れる。日本代表戦などがあった日には、少し詳しい試合の解説が行われる。

その際、プレービデオを一時停止させて、選手にマルをつけたり、画面上に矢印を書いてみたり、早送りや巻き戻しを駆使したりしながら、ときには、フォーメーションを簡単にまとめたイラストのようなものも添えて、「視聴者がきちんとサッカーを楽しめるような、なぜ勝ったか・負けたかがわかるような」解説が行われる。

病理解説は、どちらかというと、この、「夜のスポーツニュースの解説」に近い。わかっているだけではだめだ。わかってもらう必要がある。

むずかしい。奥が深い。

うまくいかないことも多い。





ぼくは、病理解説のしゃべり方を考えるとき、「テレビ」を参考にしている。

スポーツニュース。お天気の解説。

あれ、やっぱ、すげぇと思う。色の使い方とか、矢印の見せ方とかね。ぼくはテレビっ子だから、余計にそう思うのかもしれないけれど。

2017年10月25日水曜日

フォーカルフォーワン

「モニタリング」をたまに見る。帰宅が間に合わないときには、「桜井有吉・夜会」を見る。

だいたい、ゲストが、そのクールのドラマの主役だ。

はいはい、番宣番宣。

けど、まあ、これだけ若くて足が長くて顔のちっちゃいモデルさんみたいな俳優・女優ばかりが次から次へとドラマに出る時代だ。

正直、番宣でバラエティに出てきてくれないと、ドラマがはじまっても、「……誰?」となってしまう。

番宣で何度も何度もいろんなバラエティに出てくれるから、同じような顔をした若い俳優を、少しずつ覚えていけるのだ。






最近、こういう風に感じることが、なんだか多くなった気がする。

「テレビのやることにまかせておいても、ま、いっかな」

昔は、もうすこし、とがっていたんだけどなあ。






テレビのやることは商売だからさ。

テレビ局に得になることは伝えるけど、損することはぜったい伝えないよな。

事務所のひいきとかひどいんだろ?

裏で利権がさあ。






なんだかもうめんどくさくなってしまったのだ。

だって、そんなの、テレビに限った話じゃない。

ぼくのやることは商売かもしれない。

ぼくが得になることは伝える。損することはそこまで伝えない。

ひいきも利権もあるかもしれない……。

なんにも「信頼できない」時代だからこそ、なんかうまいこと、自分にハマる現象をみつけて、

「そういうとこ、ぼく、ありがてぇな」

って、部分的にでも信頼しないと、なんにもできねぇんだよなあ。





そうか、今気づいたけれど。

ぼくは、「全幅の信頼」みたいなことを言わなくなった。

どれだけ仲が良いとしても、どれだけ尊敬しているとしても、どれだけあこがれているとしても、「信頼」しているのは、その人の一部分だけでいい。一部分だけでも信頼できれば十分なのだ。

「すべて」をどうこうしようなんて、おこがましいんだよな……。




自分自身も、一部しか信頼できない、それでいいんだよと、20年くらい前の自分に伝えたい。

「わかってらあ」と言うかもしれない。だって、当時は、誰も信頼していなかった。

2017年10月24日火曜日

病理の話(134) 病理解剖の先にある会話

おおかたの予想と異なる経過をたどった患者。

きわめて診断が難しかった病気。

効くはずの薬が効かなかった腫瘍……。

その結果、医療者にとっても患者の家族にとっても、解せない死というのが、ときにある。



全力を尽くした医療者が、亡くなった患者に対してもまだ尽くせる「全力」がある。

それを病理解剖と呼ぶ。




病気の全体像を取り出すことで、なにがどのように「いつもと違ったのか」を細かく検索。

画像ではとらえきれなかった小さな変化。

新しい疾患概念。

病理解剖とは元来、「病理学の礎」であった。




現代。

画像診断や、臨床医学は、とても進歩した。今や、患者の死に臨み、医療者が「解せない」ケースは昔よりもはるかに少ない。

そのため、病理解剖の数は減っている。

そんな現代においても、なお医療者が「わからない」と感じるケースというのは、すなわち、「超難解症例」であることが多い。

だからこそ、病理解剖の結果も複雑となる。



病理医が精魂込めてレポートを書く……。

その難解なレポートだけで、「全力」と呼べるだろうか?



最後の最後に、患者の死に対して医療者が行えることは、病理解剖の先にある。

CPC。Clinico-Pathological Conference; 臨床病理検討会、という。

患者を担当した主治医。患者に関わったことのある他科の医師。放射線科、循環器科、外科、リハビリ科、腫瘍内科、緩和ケア科。あるいは医師以外の医療者……看護師、放射線技師、臨床検査技師、理学療法士。

そして、患者を直接担当してはいないが、CPCを通じて学問を修めようとする者。研修医、指導医……。

これらが一同に介する。

主治医がプレゼンテーションを行う。患者の経歴を。病院に来たきっかけ。原病における問題点。何がいつもと違ったのか。

これを受けて、病理医がプレゼンテーションを行う。双方が発表を終えたあと、ディスカッションがスタートする。




「先生ね、これ、すごく珍しい病態だと思うんですよ。少なくともぼくは、30年この世界にいて、こんな病気をはじめてみた。ね、これ、珍しいですよね」

「ええ。確かにレアケースです。ただし、私はこれと類似の症例を、今までに3回経験しています。その全てで患者は亡くなりましたが、うち1例において、亡くなる前に診断がつき、治療方針を少し変更することができました」

「えっ、先生、ぼくより若いのに、これもう4回目ってこと? なんで? 病理だから?」

「そうですね。病理だからです。コンサルテーションで関わった症例、前の施設にいたときに検査センターを通じて出会った症例、大学経由で相談をうけた症例」

「それは病理だからでしょ? 普通に臨床やってたらこんな疾患、一生に一度お目にかかるかかからないかだよね」

「そうですね。ですから先生、これは症例報告すべきだと思います」

「そうか……英語? 英語で出せそう?」

「十分な珍しさです。過去に経験した症例の主治医に問い合わせて、ケースレポートではなくケースシリーズのかたちで報告するのもいいかもしれません」

「よし、じゃあ、研修医ひとり先生のところに行かせるから、指導してやって」

「わかりました。では先生、さっきのプレゼンの、臨床情報の部分はぼくにください」

「OK、そうか……今回は死ぬ前にはわからなかったなあ」

「それなんですが。生前に出して頂いていた例の検査のうち、こちらについては陽性尤度比は高いのですが、陰性尤度比があまり高くないんですよ。今回、陰性でしたが」

「だからって、こんなめずらしい病気のことまで毎回あたまにひっかけて診療できるかなあ……」



「ちょっといいですか?」

「はい(放射線科の)先生どうぞ」

「これ、もしかしたら、画像の典型所見がこっちに出てるのかもしれません。生前は気づきませんでしたが……」

「ほんとうですか?」

「ええ、さっきの解剖での臓器写真を見ると、こっちにも病変が及んでるんですよね? これ、気づきにくいですけど……ふりかえってみれば、ここに、造影効果の異なる領域があります」

「おお……うわぁ、これはわかんないなあ……」

「ええ、まったく情報がないと難しいですね。けれど、検査前確率がもう少し高ければ、そのことが放射線科の読影医に伝わっていれば、あるいはこの所見は拾えるかもしれません」

「これ、論文化のときに、ちょっと検討してみましょう。他の例でもみられたかどうか」




「あの、ちょっといいですか」

「はい、(看護師の)○○さん、どうぞ」

「この方、いつもと違う痛み方をしていたんですが、それについては何かわかりますでしょうか」

「なるほど、病理の写真は出していたんですが、説明が足りませんでした。すみません。この方の病気は、このように、いつもよりも広く、この形式で進展をしているんです。先ほど、放射線科の読影でこちらにも影があるかもしれない、と読まれていましたね」

「これで、痛みの説明がつきますか?」

「つくと思います。ただ、このことは今回の1例だけではちょっと言い切るのは難しいですね」

「それについては私から」

「はい、(麻酔科の)○○先生」

「ペインコントロール目的でこのような例をコンサルトされたことがあります。ここまで進行してしまうと局所の制御も難しいのですが、たとえば……」





ここまで「盛り上がる」CPCというのは、そうめったにはない。

CPCに出席したことがある人であれば、一部の医者だけが盛り上がり、研修医を含めた多くの医者達が「はやく終わらないかなあ」とあくびをしている、みたいな経験もあるのではないかと思う。



ただ、「ハマれば」すごい。

ハマらせることができるのは、CPCの病理を担当する病理医……。

さらには、症例に対する「くやしさ」を各層としない主治医。自分がもう少し、何かできたのではないかと思い悩む主治医がからむCPCは、必ずハマる。

そして、ここが大事なのだが。

周りにいる、医者に限らない、医療者たちが、CPCに対して貪欲に「何かを得よう」としていると、そのCPCは異様に盛り上がる。




ぼくは今、複数の病院の、さまざまな形式のCPCに出ている。

病院や主治医によって、CPCのスタイルはさまざまだ。

会話がほとんど交わされないカンファレンスであっても、プレゼンが丁寧に作り込まれていると、あたかもひとつの「講演」を聴いているような気になり、ふるえるほど感動することもある。

逆に、院長以下、ほとんどすべてのスタッフたちが怒号を飛び交わせる、おっそろしいカンファレンスもある。





「ハマった」CPCを経験したことがある研修医は、病理医にそうそう悪い感情を抱かない。

今、病理医のことがあまり好きじゃない臨床医がいる場合、その人はたいてい、「つまらないCPC」を乗り越えなければいけなかった、悲しい過去をもっている。

2017年10月23日月曜日

だいたい短編4本くらい書きあがってます

ノーベル賞受賞を記念して、Eテレで再放送をやっていたのだという。親父が録画した番組をみせてもらった。カズオ・イシグロの白熱文学教室。たいへんおもしろかった。

アイディアが浮かんでから、それをどの舞台装置に放り込むか、を考えるのにとても時間をかけるのだという。

小説のよいところは、舞台を自由に変えることができること。

日本を舞台に書いた小説は、欧米においては「それは日本でのできごと、日本人だからこそ考える心のうごきなんだろう?」と受け止められたのだという。

しかし、日本を舞台にして書いたテーマを、舞台をイギリスに変え、登場人物を執事に変えて、「日の名残り」として世に出したら、彼の代表作と呼ばれるほど世に広まったのだ、という。

あるテーマを描くときに、舞台を自由に設定できるのが小説のすばらしいところであり、だからこそ、書くテーマが決まってからも、舞台を設定するのに長い時間をかける。




この話はぼくをめちゃくちゃ感心させたし、あまりに深く腑に落ちた。




「医療ミステリ」というジャンルがある。

医療ミステリは、たいていの場合、「単純に舞台が医療現場だというだけ」のミステリだ。

作者が医療の現場に何かテーマを見出して、そこを掘り下げよう、何か感じたことを綴ろうと思って書かれた医療ミステリなど、数えるほどもない。

医療の現場でなければ成り立たないトリック、というのはある。

しかし、医療の現場でなければ成り立たないストーリーと呼べるまで練り込まれた医療ミステリには、ほとんどお目にかかったことがない。

たとえば、人気のアニメに必ず「水着回」と「浴衣回」と「ヒロインの妹回」が設定されているかのように。

ミステリを書いているうちに、「今度は医療を舞台にしよう」「今度は電車と時刻表を舞台にしよう」みたいに、場面だけを変えて、結局おなじミステリを書いてしまう人、というのがいる。

ぼくは、そういうのが苦手だった。なぜ苦手なんだろうと思っていた。



カズオ・イシグロの顔としゃべりくちを見ている間に、すっかり、わかってしまった。

自分がなぜ、「場面だけを医療現場に設定したものがたり」があまり好きになれないのか、を。




もしもぼくが、舞台を医療現場に設定した小説を書けと言われたら。

それは、「医療現場を舞台にしなければいけない」ものなのだろうか。

小手先の技術と、むりやりひねりだしたテーマを、オファーにあわせて単に医療現場にあてはめただけのものに、なりはしないだろうか。




ぼくは父親がうまそうなコーヒーを注いでくれる横で、ずっと黙りこくってしまっていたのだ。

2017年10月20日金曜日

病理の話(133) 割り箸が入っていた袋の話

その内視鏡医は感染力が強かった。

いつも周りにいる人をある種の熱病にかけた。

探究、議論、前提をひっくり返し、常識を疑わせ、思索のもたらす報酬回路を起動させた。

「そんな些細な違いが何になるの?」という疑問の先に、新たな世界が次々と広がっていった。上質な手品を見ているような気になった。



研究会が終わって、懇親会が開かれる場合がある。

まあみんな忙しいのだ。いつもいつも、勉強した後にそのまま飲み会になるわけではない。医療者の中には、学術研究はそっちのけで終わった後の懇親会の場所選びに奔走するタイプのお調子者もいるが、何事かを成し遂げつつある人間は基本的に宴会には興味がない。しかし、彼は偉すぎた。札幌に招聘して研究会でコメントをしてもらうとき、必ず豪華な接待が供された。今の時代、研究会後の飲み会を製薬会社が手配することはない。そんなコンプライアンス違反に積極的に企業が手を染める時代はとうの昔に過ぎ去った。札幌在住の内視鏡医たちが、精一杯の矜持を発揮して、新鮮でうまい魚介を出す店を選び取り、彼を主賓に据えた。ぼくはその末席にいた。参加費はひとり1万円ということだった。高さに見合っただけの料理と酒が出る、と言われた。

ぼくはいつしか、かの内視鏡医の前に座っていた。

彼は手にした酒を次々と飲み干しながらも、切れ長の目をますます鋭く光らせて、先ほどの研究会で深めきれなかった「病理の話」を続けていた。



「先生さあ、ぼくはこないだ思ったんだけどね、あの腫瘍の真下に広がる風景ってのは、あれ、誰も、どの教科書にもまだ書いていない現象なんじゃないだろうかとね、思うんですよ」

ぼくは彼の熱意に浮かされていた。

「それでね」

彼は箸袋を手にした。箸袋の、のりで接着されている部分を丁寧にはぎとり、細長い紙を一枚作り出す。スーツの内ポケットから、製薬会社のそれではない、少しふるびたボールペンを取り出して、そこに何事か書いていく。

それは胃粘膜の構造であった。

彼は酔うと、自分が内視鏡で日々みている光景を、病理のプレパラートを思い浮かべながら、手元に即席のスケッチをこしらえつつ、ぼくに病理の論戦を挑んでくるのだった。




宴会は続く。掘りごたつのテーブル席を1つ隣に移動すれば、そこには、見知ったドクターたちが知らない医療スタッフの話やゴルフの話、料理の話、酒の話、家庭の話などで歓談する花園がある。

ぼくは箸袋の地獄にお供していた。





なんて実践的な病理学を語る人なのだろう。





「や、先生それでね、このね、ここの腺管についてなんだけど、どうもぼくはもう少し免疫染色を足す価値があるんじゃないかと思ってるんですよ。実際、どう思う?」

ぼくは答える。

「先生、それはとても斬新です」

自分が翻訳された海外文学のような語り口になっている。

「そうかい、先生に斬新だって言ってもらえると、ぼくはうれしいなあ! ぼくはね、常々、病理で見ているものも真実、内視鏡で見ているものも真実、だとしたら真実を2つの角度から見ているわけでね、そこにはきっと、何か三次元視したら見えてくる『ほんとうの、真実』があるんじゃないかと思っているんだよ!」

ぼくは翻訳された海外文学の世界に出てくるような、神の啓示を受けた人間のような過ごし方をする。





この論文はぼくが1から10まで考えたものである。

症例はぼくのものではない。いろいろな研究会でお会いした内視鏡医たちが持ち寄った症例であった。

いろいろな内視鏡医のおかげで、ひとつの仕事が結実しようとしている。ぼくは満足だった。けれど、三次元的に満足するためには、もう一翻、「役」が必要だと感じた。

考えた末に、彼にメールを出した。

ぼくが書いた論文の共著者になってもらえないだろうか、という要件だ。

「一度も直接師事したことはないけれど、いつも師匠だと思ってきた内視鏡医」に、論文に参加してもらいたいと思った。

ぼくのアイディアはすべて、彼の箸袋から生まれたものだったからだ。






彼はこともなげに答えた。

「ああーぼくなんて何もしてないんだけどなあ、うれしいですね、ありがとうございます」





ぼくは、ありがとうございます、という日本語が、こんなに迫力があるということを、今この瞬間まで知らないでいたのか、と思った。