子宮筋腫という病気はちゃんと調べるとかなりいろいろなことがインターネットだけでもわかるようになっている。なぜならありふれているからだ。
こうやって書くと、実際に子宮筋腫で苦しんでいる人はあまりいい気分はしない。ありふれているからなんだっていうのか!
でも「頻度」というのはとても大事なのである。頻度、すなわち世の中にどれくらいその病気にかかる人がいるか、というのは、その病気を診断する上で超絶大事な情報なのだ。だから医療者はつい数字にこだわってしまう。申し訳ない。
さて子宮筋腫がどれくらいありふれているかというと、だいたい成人女性の3~4人に1人は持っている。それってもう病気じゃなくて個性じゃん、と言いたいレベルの頻度である。当たらずとも遠からずで、子宮筋腫という病気があるからといって一生それに不都合を感じずに生きていく人も多い。要は程度問題なのだ。
子宮筋腫という言葉を解体すると、子宮+筋+腫 となる。子宮の筋肉が、腫(できもの)としてカタマリをつくって大きくなる病態をさす。できものというとがんを思ってひやひやしてしまうが、子宮筋腫は良性(がんではない)の腫瘍(しゅよう、できもの)である。だからソレ自身が転移したり臓器の機能を大幅に下げたり体の体力をめちゃくちゃに奪ったりはしない。
しかし、良性腫瘍であってもできものとして大きくはなる。そもそも子宮のサイズは、握りこぶしをつくったときに折りたたんだ親指以外の四本の指の体積くらい(こんな例え話はじめて使った)だが、子宮筋腫は人間の頭より大きくなることもあって、つまり元々あった子宮よりもできもののほうが大きいこともままある。すると、子宮が傾いたり、内膜の部分を押しつけたりして、ちょっとめんどうなことになる場合がある。
めんどうというと、たとえば月経痛が激しくなるとか、月経時の出血量が多くなるとか。妊娠しづらくなるなどをさす。
で、まあ、あまりに大きいとか、具体的に症状があって不都合だというときには、手術によって筋腫をとりのぞくことがある。子宮そのものをとらなければいけないケースもあるが、筋腫の部分だけをけずりとってくることもある。また、子宮筋腫は元が子宮の筋肉で、女性ホルモンの影響を受ける性質をもっているので、女性ホルモンをとめたり、女性ホルモンの影響を失わせるようなクスリを用いると、子宮筋腫もしなしなと縮むことがある。ホルモン療法だ。
かようにいろんな治療法がある中で、手術によって筋腫をとられたばあい、とったものはすべて病理医が見る。ようやく病理医が出てきた!
良性のできもの。ときにパイナップルくらいの、ときにレモンくらいの、ときにドリアンくらいのサイズの……ドリアンのサイズよくわからないけれど……カタマリを、ぼくらはまず、目で見る。
目で見ると、子宮の筋肉が一様にもこもこ増えている様子がわかる。一様に増えているからナイフで切ると断面もだいたい一様だ。
だからその一部だけを切り出して来て、プレパラートに加工して顕微鏡でみる。
顕微鏡でも、子宮の筋肉によく似た細胞が、やっぱり一様に増えていることがわかる。
そこまでいけば診断は確定だ。「子宮筋腫です!」
……まあ臨床医も患者も「知っとる」となる。当たり前のことを当たり前と確認する仕事……。
なのだけれど。ごくごくまれに。
断面が一様ではない場合がある。多様というか多彩というか。部位によって見た目が異なるというか……。
そうすると病理医の心拍数が上がる。むっ、断面に違う性状が見てとれるぞ。
肉眼で見た目が違うのならば、顕微鏡で見てもきっと違う細胞がいるに違いない!
そういう場合は、プレパラートを作る場所を増やす。普通の一様な子宮筋腫なら、せいぜい1枚とか2枚とか作っておけば十分なプレパラートを、5枚とか10枚とか作ることにする。なるべく広い範囲の細胞を確認するのだ。
そうして細胞をみる……。
単に血の巡りが悪くなって、筋腫の細胞がへたって死んでしまっているようなケースが多い。この場合はひとあんしんである。「変性した筋腫です!」でおわりだ。
しかし、まれに、まれに、「がんの性質をもった細胞」がいる場合もある。この場合は診断名が「子宮筋腫」ではなく、「子宮・平滑筋肉腫」と変わる。がんの一種だ。
こうなると再発や転移のリスクを考えながらかなり複合的な戦略で治療に望まないといけなくなる。
こう書くと、まるで子宮筋腫の病理診断は「あたってほしくない宝探し」みたいな雰囲気をおびてしまうが、実際に子宮筋腫をとってみたら実はがん(子宮平滑筋肉腫)だった、という「診断の逆転」が起こる可能性はかなり低い。
そもそも病理医が断面をみて「あっ、多彩だ」と気づくケースは、手術の前にCTやMRIですでに「断面の多彩さ」が予想されている。だから病理医ができものをナイフで切るまでの間に、産婦人科医が「もしかしたら低確率でがんかもしれない」と情報をくれるのだ。その情報は患者にも共有される。だから病理診断をやってみてはじめてわかる、あけてびっくりタイプのがんというのは近年は激減している。臨床医がCTやMRIでまったくがんを疑っていない子宮筋層のカタマリが、顕微鏡診断によってはじめて「がんと判定される」ことは極めて珍しい。
大多数のケースでは、病理医がいちいち子宮筋腫の細胞を確認しなくても、CTやMRIが良性だろうと判断していればそれはほぼ間違いなく「良性」である。
そして、この「ほぼ間違いなく」を、「間違いなく」に近づけるために必要なのが、顕微鏡ではなく、「病理医が目で断面を見ること」である。
病理医にとっての武器は顕微鏡ではなくて自分の目なのだ。ぶっちゃけぼくらは顕微鏡を見る前に診断の9割を終えていることが一般的である。顕微鏡は「念のための確認」に使うものなのだ。一般的な話として、だけれど。
2020年3月10日火曜日
2020年3月9日月曜日
ランボー怒りの誤ふぁぼ
誰かを罵倒・叱責するときの心には、批難する相手を下に見る感情が潜んでいるように思う。
自分よりもがんばっている存在、自分よりもいい性格をしている人、自分よりがんばって働いている人をけなすことは難しいだろう。
あるいは、自分と同じくらい、あるいは自分が理解できる範囲でその人なりにやろうとしている人のことも、悪く言えないものだ。
相手が自分と対等で、別個で、互いが孤高の存在であると感じていれば、まず、他人に対して強く当たることはできないはずなのだ。
最近よくタイムラインで目にするのだけれど、
「相手を下に見たいから、相手のことを悪く言うために、相手の悪さを探す」
という行動がある。
許せない事実があるから怒るのではない。
下に見たい人がまずいて、怒ることでその人より上に立ちたい。
その人がそれまでにとってきた行動、あるいはとっていない行動の中から、怒りに合致するようなできごとを組み上げて怒る。だから、対象の行動が変化し、あるいは心を入れ替えたとしても、怒りは決して収まらない。
その人が自分よりも上にいること、あるいは自分と対等にいることが許せないという感情なのだ。
その人を自分より下に引きずり下ろすために、ナンクセをつけて感情を投げつける。
ぼくはネット上に存在する怒りのほとんどが、何かを是正したいという目標を持っていないと思った。ネットの人々が怒るのは、いつだって、相手より上に立つことを目的としている、という仮説を立てた。
ところがこの仮説は間違っていた。
「ネット上に存在する怒りのほとんど」ではなく、「この世に存在する怒りのほとんど」だった。仮説は不十分であり棄却された。申し訳なかった。また仮説から立て直さなければいけない。腹立たしいことである。
自分よりもがんばっている存在、自分よりもいい性格をしている人、自分よりがんばって働いている人をけなすことは難しいだろう。
あるいは、自分と同じくらい、あるいは自分が理解できる範囲でその人なりにやろうとしている人のことも、悪く言えないものだ。
相手が自分と対等で、別個で、互いが孤高の存在であると感じていれば、まず、他人に対して強く当たることはできないはずなのだ。
最近よくタイムラインで目にするのだけれど、
「相手を下に見たいから、相手のことを悪く言うために、相手の悪さを探す」
という行動がある。
許せない事実があるから怒るのではない。
下に見たい人がまずいて、怒ることでその人より上に立ちたい。
その人がそれまでにとってきた行動、あるいはとっていない行動の中から、怒りに合致するようなできごとを組み上げて怒る。だから、対象の行動が変化し、あるいは心を入れ替えたとしても、怒りは決して収まらない。
その人が自分よりも上にいること、あるいは自分と対等にいることが許せないという感情なのだ。
その人を自分より下に引きずり下ろすために、ナンクセをつけて感情を投げつける。
ぼくはネット上に存在する怒りのほとんどが、何かを是正したいという目標を持っていないと思った。ネットの人々が怒るのは、いつだって、相手より上に立つことを目的としている、という仮説を立てた。
ところがこの仮説は間違っていた。
「ネット上に存在する怒りのほとんど」ではなく、「この世に存在する怒りのほとんど」だった。仮説は不十分であり棄却された。申し訳なかった。また仮説から立て直さなければいけない。腹立たしいことである。
2020年3月6日金曜日
病理の話(421) 膵管生検を見る
先日小学生に取り囲まれた。「おいちょっとジャンプしてみろ」と言われたのでジャンプした(チャリンチャリン)。「何かおもしろいこと言え」と言われたので一人で四千頭身のコントをやった。すると何が気にくわなかったのかはわからないが拳や足でめったうちにされた。そのあとアンパンマンに出てくるカバオのマネをしたら少し許してくれた。
つまりはそうやっていじめられていたのだが、一人の子どもが「医者なら体の中にある全部のナイゾウを今から言え、言えなければ靴紐をへんな結び方にする」と極めて残虐なことを言った。そこで頭頂部から足のつま先までを思い浮かべながら考えられるすべての臓器を口にしたら小学生たちはちりぢりになって逃げていった。世に言う長坂橋の戦いである。なお靴紐はひそかに解かれていた。
さてこのとき、子ども達が「おおー」と反応した臓器としては、下垂体や副甲状腺などがある。逆に、心臓や肺は驚かれなかった。腹の中にあるたいていの臓器のことはみな知っていた、小学生はなかなかあなどれない。胃とか肝臓などと言うと、つまんねえと殴る蹴るの暴行に及ぶなどした。しかし、あまり知名度がなかったのは膵臓(すいぞう)。あることは知っているが何をしているかはしらないという子どもが多かった。膵臓にはロマンがあるらしい。
膵臓はかなり強力な酵素を作る臓器である。また、酵素とは別にホルモンも作る。専門的な用語でいうと、外分泌臓器と内分泌臓器がフュージョンしている。……今の一文の中ではフュージョンという言葉がもっとも専門的に見えるが実はこれはぼくがちょっとかっこいいかなと思ってまぜた非医学用語なので気を付けて欲しい。専門的なのは外分泌と内分泌のほうだ。フュージョンは天下無敵の合体おとうさんである。……その話は今日はしない。
膵臓が作る酵素は、タンパク質を消化するはたらきがあって、膵液(すいえき)というサラサラの液体に含まれている。体の真ん中、胃の後ろやや下側に位置する膵臓は細長くて、小樽にある「かま栄」で売っているある種のカマボコにやや似た形状であり(わからない人はわからないまま人生を歩んでください)、中身がしっかりと詰まっているが内部には直径2~3 mm程度の膵管(すいかん)と呼ばれる管が貫通している。まあたいていの臓器には何かしらが貫通している。なぜかというと、カタマリを作っている臓器が作り出した物質を外に出すための通路が必要だからだ。肝臓の中にも胆管が貫通しているし、副腎の中には血管が貫通しているのである。ちなみに貫通している、と書くと医学めいてくるので専門的な文章が書きたい人はひたすら何かを貫通させるとよい。よくない。
膵臓は十二指腸という臓器に頭から突っ込んでいて、膵液を作っては十二指腸の中に流し込む。もちろん、膵管を通じてだ。大変に重要な臓器だが、低確率でがんが出現する。たいていのがんは膵管から出てくる。なので、膵臓のがんの検査を進めるときには、膵管の中から細胞を採取してきて、病理医にみせる必要がある。ようやく病理医が出てきた。
さて膵管というのは先ほども書いたが直径が2 mmそこそこしかない。
そこに極めて細いマジックハンドもしくはブラシ的なものをつっこむ。膵臓自体をぶち壊さないように気を付けて。そして採ってくる細胞……これが……そうそういっぱいあるわけはないのだ。
イメージでいうと、インスタント珈琲を飲み終わったあとにカップの下に沈んでいる沈殿物があるだろう。あれを指でそっと触る。そしたら指先に粉っぽいものがいくつかくっついてくる。だいたい膵管から採取してくる細胞なんてのはああいう粉に近い。たまにでかい粉もある、くらいのものだ。粉ごときで、がんか、がんでないのかを判断しなければいけない。そういう仕事がある。
で、その粉を、ただガラスの上に載っけて顕微鏡でみる細胞診という検査もあるのだが、病理医は粉をさらに斬鉄剣でうすぎりにして、ペラッペラにしてから断面を見るということをする。こちらの断面観察のほうが一般的だ。
ちょっとしか採れてないから細胞の性状がわかりにくいこともある。すると、病理医はときに以下のようなレポートを書かねばならない。
「不十分な検体(insufficient material)。診断できません」
でもね、患者からすると、苦しい思いをして膵臓から細胞を採ってきて(膵臓まで到達する際に、胃カメラを十二指腸まで押し込んで、十二指腸から膵臓に向かってアプローチすることが多い)、その結果が「不十分」と言われるとくやしいではないか。
実は内科の主治医もくやしいのである。くやしいどうしがぼくのほうを見て、すねを蹴ってくる。
だからここで病理医は必殺技を使うのだ。これは本当に強力だから覚えておくといい。まあ病理医以外が覚えたところで活用する機会はないけれど。
それは、「再度斬鉄剣」である。
「斬鉄剣リターンズ」だ。
「斬鉄剣 2nd season」でもいい。
要は、プレパラートを作り足すのだ。
粉のように細かい標本を斬鉄剣で斬って断面を見る、といった。しかし斬った粉がそれで完全になくなってしまうとは限らない。粉がさらに粉微塵になったものがまだ残っている。それをさらにプレパラートにするのである。Deeper serial section(深切り連続切片)などという。
粉を再度斬ったところで粉じゃねぇか、と思うかもしれないが、細胞というのはそもそも直径が数ミクロンしかないものなので、粉を切り直すだけでもけっこう様相が変わるのである。そうやって病理医は必死で、微小な検体から情報を増やす。「もし、がんがそこにあるのなら、絶対に見逃さない」ために。
限界はある。しかし限界を決めるのが我々であってはいけない。
靴紐を結びます。
つまりはそうやっていじめられていたのだが、一人の子どもが「医者なら体の中にある全部のナイゾウを今から言え、言えなければ靴紐をへんな結び方にする」と極めて残虐なことを言った。そこで頭頂部から足のつま先までを思い浮かべながら考えられるすべての臓器を口にしたら小学生たちはちりぢりになって逃げていった。世に言う長坂橋の戦いである。なお靴紐はひそかに解かれていた。
さてこのとき、子ども達が「おおー」と反応した臓器としては、下垂体や副甲状腺などがある。逆に、心臓や肺は驚かれなかった。腹の中にあるたいていの臓器のことはみな知っていた、小学生はなかなかあなどれない。胃とか肝臓などと言うと、つまんねえと殴る蹴るの暴行に及ぶなどした。しかし、あまり知名度がなかったのは膵臓(すいぞう)。あることは知っているが何をしているかはしらないという子どもが多かった。膵臓にはロマンがあるらしい。
膵臓はかなり強力な酵素を作る臓器である。また、酵素とは別にホルモンも作る。専門的な用語でいうと、外分泌臓器と内分泌臓器がフュージョンしている。……今の一文の中ではフュージョンという言葉がもっとも専門的に見えるが実はこれはぼくがちょっとかっこいいかなと思ってまぜた非医学用語なので気を付けて欲しい。専門的なのは外分泌と内分泌のほうだ。フュージョンは天下無敵の合体おとうさんである。……その話は今日はしない。
膵臓が作る酵素は、タンパク質を消化するはたらきがあって、膵液(すいえき)というサラサラの液体に含まれている。体の真ん中、胃の後ろやや下側に位置する膵臓は細長くて、小樽にある「かま栄」で売っているある種のカマボコにやや似た形状であり(わからない人はわからないまま人生を歩んでください)、中身がしっかりと詰まっているが内部には直径2~3 mm程度の膵管(すいかん)と呼ばれる管が貫通している。まあたいていの臓器には何かしらが貫通している。なぜかというと、カタマリを作っている臓器が作り出した物質を外に出すための通路が必要だからだ。肝臓の中にも胆管が貫通しているし、副腎の中には血管が貫通しているのである。ちなみに貫通している、と書くと医学めいてくるので専門的な文章が書きたい人はひたすら何かを貫通させるとよい。よくない。
膵臓は十二指腸という臓器に頭から突っ込んでいて、膵液を作っては十二指腸の中に流し込む。もちろん、膵管を通じてだ。大変に重要な臓器だが、低確率でがんが出現する。たいていのがんは膵管から出てくる。なので、膵臓のがんの検査を進めるときには、膵管の中から細胞を採取してきて、病理医にみせる必要がある。ようやく病理医が出てきた。
さて膵管というのは先ほども書いたが直径が2 mmそこそこしかない。
そこに極めて細いマジックハンドもしくはブラシ的なものをつっこむ。膵臓自体をぶち壊さないように気を付けて。そして採ってくる細胞……これが……そうそういっぱいあるわけはないのだ。
イメージでいうと、インスタント珈琲を飲み終わったあとにカップの下に沈んでいる沈殿物があるだろう。あれを指でそっと触る。そしたら指先に粉っぽいものがいくつかくっついてくる。だいたい膵管から採取してくる細胞なんてのはああいう粉に近い。たまにでかい粉もある、くらいのものだ。粉ごときで、がんか、がんでないのかを判断しなければいけない。そういう仕事がある。
で、その粉を、ただガラスの上に載っけて顕微鏡でみる細胞診という検査もあるのだが、病理医は粉をさらに斬鉄剣でうすぎりにして、ペラッペラにしてから断面を見るということをする。こちらの断面観察のほうが一般的だ。
ちょっとしか採れてないから細胞の性状がわかりにくいこともある。すると、病理医はときに以下のようなレポートを書かねばならない。
「不十分な検体(insufficient material)。診断できません」
でもね、患者からすると、苦しい思いをして膵臓から細胞を採ってきて(膵臓まで到達する際に、胃カメラを十二指腸まで押し込んで、十二指腸から膵臓に向かってアプローチすることが多い)、その結果が「不十分」と言われるとくやしいではないか。
実は内科の主治医もくやしいのである。くやしいどうしがぼくのほうを見て、すねを蹴ってくる。
だからここで病理医は必殺技を使うのだ。これは本当に強力だから覚えておくといい。まあ病理医以外が覚えたところで活用する機会はないけれど。
それは、「再度斬鉄剣」である。
「斬鉄剣リターンズ」だ。
「斬鉄剣 2nd season」でもいい。
要は、プレパラートを作り足すのだ。
粉のように細かい標本を斬鉄剣で斬って断面を見る、といった。しかし斬った粉がそれで完全になくなってしまうとは限らない。粉がさらに粉微塵になったものがまだ残っている。それをさらにプレパラートにするのである。Deeper serial section(深切り連続切片)などという。
粉を再度斬ったところで粉じゃねぇか、と思うかもしれないが、細胞というのはそもそも直径が数ミクロンしかないものなので、粉を切り直すだけでもけっこう様相が変わるのである。そうやって病理医は必死で、微小な検体から情報を増やす。「もし、がんがそこにあるのなら、絶対に見逃さない」ために。
限界はある。しかし限界を決めるのが我々であってはいけない。
靴紐を結びます。
2020年3月5日木曜日
非日常って雑な言葉ですよね
あらゆる出張がなくなっているのでちまちまと論文を書いたりしている、それでもまだ時間は空くのだ。思ったよりも外出するタイプの仕事が多かったのだな、とあらためて気づく。
これだけ家にいる時間が長くなったらブログなんていくらでも書けそうなものだが、いつもと暮らし方が変わってしまったせいか、ブログの書きためストックはぐんぐんと減っていく一方だ。ひまだから書けるというものではまったくないらしい。そういうのは作家のサボりの言い訳だと思っていた。ぼくは作家ではないのに同じ気持ちを味わうことができる。一種のVRだ。違うけど。
ぼくはそもそも書く職業ではない、と言うべきなのかもしれないが、病理医というのは結局のところ文章で人を納得させる仕事なので、一周回って本職は書く仕事だと言い切っても差し支えない。先日、先輩と話していて、ぼくはおそらく1か月に10万字くらいの文章を作り続けているという話になった。まあそんなものだろう、この仕事をしていれば。とにかくキーボードを壊す。
医師免許を取ってもうすぐ17年目の春がくる。博士課程の4年間を除けば、病理医として没頭して13年目だということだ。干支が一回りするくらい書き続けているのだから、そろそろ、脳がいやよいやよと言っていても指が勝手にブログを書くくらいでちょうどいいはずなのだけれど、そうはならなかった。たぶんこの先もそうはならないだろう。本職は書く仕事だ、しかし、本能で書く人間ではないのだ。そんな人がどれだけいるのかぼくにはわからない。書く仕事と隠し事とは同じひらがなで作られているのだな、もう10万回くらいどこかで言われてそうな話だけれど今知った。
時間と内容に制限がかかっているときのほうが何かをきちんと書ける。時間は空いているし何を書いてもいいよと言われても立ち往生だ。立ち往生している最中の気持ちと向き合うことはけっこうおもしろい、だからだろうか、こうしてブログのような場所をずっと設けている。ホームページ・ビルダーの時代からだ、かれこれ20年くらい、句読点の打ち方と改行の仕方がわからないままに、
えんえんと誰にほめられるでもない文章を書いている。
世にはそこそこな割合で、Twitterを気持ち悪がる人がいる。誰にともなくつぶやいて何になるの、などと言われる。けれどもぼくはブログのほうが、ホームページのほうが、魔法のiらんどのほうがずっと気持ち悪かったのに何をいまさら、と思う。いまさらTwitterなんかを揶揄しているのか、世の人々は、遅れてるな。一方的に破裂して散っていく文章を直視しないから、その程度の浅い語彙で気持ち悪がっていられるんだ。見くびって欲しい。
これだけ家にいる時間が長くなったらブログなんていくらでも書けそうなものだが、いつもと暮らし方が変わってしまったせいか、ブログの書きためストックはぐんぐんと減っていく一方だ。ひまだから書けるというものではまったくないらしい。そういうのは作家のサボりの言い訳だと思っていた。ぼくは作家ではないのに同じ気持ちを味わうことができる。一種のVRだ。違うけど。
ぼくはそもそも書く職業ではない、と言うべきなのかもしれないが、病理医というのは結局のところ文章で人を納得させる仕事なので、一周回って本職は書く仕事だと言い切っても差し支えない。先日、先輩と話していて、ぼくはおそらく1か月に10万字くらいの文章を作り続けているという話になった。まあそんなものだろう、この仕事をしていれば。とにかくキーボードを壊す。
医師免許を取ってもうすぐ17年目の春がくる。博士課程の4年間を除けば、病理医として没頭して13年目だということだ。干支が一回りするくらい書き続けているのだから、そろそろ、脳がいやよいやよと言っていても指が勝手にブログを書くくらいでちょうどいいはずなのだけれど、そうはならなかった。たぶんこの先もそうはならないだろう。本職は書く仕事だ、しかし、本能で書く人間ではないのだ。そんな人がどれだけいるのかぼくにはわからない。書く仕事と隠し事とは同じひらがなで作られているのだな、もう10万回くらいどこかで言われてそうな話だけれど今知った。
時間と内容に制限がかかっているときのほうが何かをきちんと書ける。時間は空いているし何を書いてもいいよと言われても立ち往生だ。立ち往生している最中の気持ちと向き合うことはけっこうおもしろい、だからだろうか、こうしてブログのような場所をずっと設けている。ホームページ・ビルダーの時代からだ、かれこれ20年くらい、句読点の打ち方と改行の仕方がわからないままに、
えんえんと誰にほめられるでもない文章を書いている。
世にはそこそこな割合で、Twitterを気持ち悪がる人がいる。誰にともなくつぶやいて何になるの、などと言われる。けれどもぼくはブログのほうが、ホームページのほうが、魔法のiらんどのほうがずっと気持ち悪かったのに何をいまさら、と思う。いまさらTwitterなんかを揶揄しているのか、世の人々は、遅れてるな。一方的に破裂して散っていく文章を直視しないから、その程度の浅い語彙で気持ち悪がっていられるんだ。見くびって欲しい。
2020年3月4日水曜日
病理の話(420) 胆石症でとってきた胆嚢を見る
手術で体の中からとってきたもののうち、「手で持つことができるもの」は、それが大きかろうが小さかろうが、とにかく病理医が顕微鏡でみることになっている。
「手で持つことができないもの」……たとえば血液とか尿とか腹水あたりは、病理診断されない「ことが多い」。なんにでも例外はあるけれど。
とりあえずカタチあるものを採ってきたら、ものの大きさを問わずに病理診断が行われる、と覚えておいてほしい。
胃カメラで胃粘膜をつまんでとってきた小指の爪より小さい粘膜のカケラも顕微鏡で見るし。
「胆石症でとってきた胆嚢(たんのう)まるごと」も顕微鏡で見る。
すなわち、外科で手術が1件行われたら、病理医の仕事は必ずといっていいほど1つ増える。
……ちなみに、整形外科でアキレス腱をつないだからといって、病理医の出る幕はない。なぜかというとアキレス腱をつなぐ手術のときに、体から何か病気を取り出すわけではないからね。
「修復」系の手術のときには病理医の出番はなし。
「摘出」だとまず間違いなく裏で病理医が暗躍している。
そう覚えておくといい。……いや、特にお得な情報ではないが……。
さて、胆嚢(たんのう)の嚢という字はフクロという意味である。
サイズとしては、手のひらに乗るくらい。ただしのびちぢみする。
形状としては、サンタさんのかついでいるフクロ。まさにあれ。
中には肝臓で作られた胆汁が詰まっている。子どもが喜ばなさそうなプレゼントだが、体にとってはとても大事だ。主に脂質の吸収に役立つほか、体内の鉄分の代謝にも関わっている。まあ詳しくは書かない。
この胆嚢を、体の中からわざわざ手術などというめんどうなことをやってとってくるのは、なぜか?
「なぜとってくるのか?」
このギモンをきちんと考えないと病理診断はできない。
胆嚢が手術でとられるきっかけとして最も多いのはおそらく胆石症だ。胆嚢の中に石ができてしまい、これがサンタフクロの入口を詰まらせてしまう。ずっと詰まりっぱなしならまだいいのかもしれないが、この石は動くので、胆汁が入ってくるときはずれて、胆汁がフクロから出て行こうとするときに詰まる。すると、だんだんフクロがパンパンに膨れてくる。
胆嚢は、食事のあとしばらくすると、ぎゅっとしぼんで胆汁を十二指腸の中に押し出すのだが、石が詰まっていると、この「しぼんでおしだす」ができなくなる。
買ったばかりのマヨネーズをいくらしぼっても中身が出てこないとき、あなたは気づくだろう。「アッ、中ブタはずしてなかった(笑)」
もしそのことに気づかずにマヨネーズをギュンギュン絞り続けていたらどうなる?
いや、マヨネーズならどうもならないけど。胆嚢の場合は痛みが出てくるのである。
これが「胆石症」だ。
ひどいときは、石による詰まりで痛みが出るだけでなく、胆嚢に炎症を起こす。
石をうまく砕くことができない場合には、胆嚢を手術でとる。
そうやって出てきた胆嚢を、病理医はみる。フクロを切り開いて中を見る。粘膜にへんな腫瘍(できもの)ができていないか? 滅多にできていないけれど、もし万が一見逃したらいやだからきちんと見る。とにかく病理医というのは、できものとかがんを見いだすことに文字通り命をかけているから、つい粘膜は細かめに見てしまう。
そして、無事、胆嚢の粘膜が、微細な顆粒模様で、ちょっと編み目のようになっていて、詳しく説明する気はまったくないけれど、何を言いたいかというと「石によってちょっと痛めつけられた粘膜だ」と思って安心するわけだ。そしたら次に、ナイフでフクロをさらにきって、割面(かつめん)を見る。
割面って断面と同じ意味なんだけどなぜかぼくらは割面という。なんでだろうな。医者は難しいことを言わないとくるってしまう病気なのかもしれない。
で、ま、割面をみたら、胆嚢の壁が厚くなっていたり、ときには壁の中にも石がはまりこんでいたりする。そういったものを逐一チェックして、胆嚢に何が起こっていたかを考える。
考えた結果が、臨床医や患者が考えているように、「胆石症」によるものとしてマッチするならよいのだ。そこにはなんの矛盾もない。
しかし……もし、胆嚢をみて考えて、「これは……何かほかに病気があるかもしれない」と思ったら、病理医はそこをとことん追究する必要があるのである。だってわざわざ入院してさ、麻酔かけて、手術でとってきた胆嚢なんだから、患者と医学のために思いっきり利用し尽くさないと、誰にとってももったいないじゃない。
その後、胆嚢の一部については顕微鏡もつかってじっくりと見る。偶然、まだ育つ前のがんを見つける確率もゼロではないのでしっかり見る。まあそれを見つけたところであまり意味はないかもしれないけれどね。でもちゃんと見る。
さぼらずに顕微鏡を見ていると、ときおり、新しい学術情報、たとえば、「胆嚢の粘膜をみるだけで、膵臓と胆管の関係が予測できるぞ」みたいなすげぇ話を耳にすることがある。
えっ、胆嚢を顕微鏡でみるだけで、胆嚢以外に何が起こっているかを見通すことができるんだって?
喜んでその目で胆嚢を見続けると、確かに、論文や教科書が言っているように、胆嚢をみるだけで胆嚢以外の情報が得られることがわかる。
なーんてことをずっとやっている。それが病理医であり、病理診断という仕事だ。
「手で持つことができないもの」……たとえば血液とか尿とか腹水あたりは、病理診断されない「ことが多い」。なんにでも例外はあるけれど。
とりあえずカタチあるものを採ってきたら、ものの大きさを問わずに病理診断が行われる、と覚えておいてほしい。
胃カメラで胃粘膜をつまんでとってきた小指の爪より小さい粘膜のカケラも顕微鏡で見るし。
「胆石症でとってきた胆嚢(たんのう)まるごと」も顕微鏡で見る。
すなわち、外科で手術が1件行われたら、病理医の仕事は必ずといっていいほど1つ増える。
……ちなみに、整形外科でアキレス腱をつないだからといって、病理医の出る幕はない。なぜかというとアキレス腱をつなぐ手術のときに、体から何か病気を取り出すわけではないからね。
「修復」系の手術のときには病理医の出番はなし。
「摘出」だとまず間違いなく裏で病理医が暗躍している。
そう覚えておくといい。……いや、特にお得な情報ではないが……。
さて、胆嚢(たんのう)の嚢という字はフクロという意味である。
サイズとしては、手のひらに乗るくらい。ただしのびちぢみする。
形状としては、サンタさんのかついでいるフクロ。まさにあれ。
中には肝臓で作られた胆汁が詰まっている。子どもが喜ばなさそうなプレゼントだが、体にとってはとても大事だ。主に脂質の吸収に役立つほか、体内の鉄分の代謝にも関わっている。まあ詳しくは書かない。
この胆嚢を、体の中からわざわざ手術などというめんどうなことをやってとってくるのは、なぜか?
「なぜとってくるのか?」
このギモンをきちんと考えないと病理診断はできない。
胆嚢が手術でとられるきっかけとして最も多いのはおそらく胆石症だ。胆嚢の中に石ができてしまい、これがサンタフクロの入口を詰まらせてしまう。ずっと詰まりっぱなしならまだいいのかもしれないが、この石は動くので、胆汁が入ってくるときはずれて、胆汁がフクロから出て行こうとするときに詰まる。すると、だんだんフクロがパンパンに膨れてくる。
胆嚢は、食事のあとしばらくすると、ぎゅっとしぼんで胆汁を十二指腸の中に押し出すのだが、石が詰まっていると、この「しぼんでおしだす」ができなくなる。
買ったばかりのマヨネーズをいくらしぼっても中身が出てこないとき、あなたは気づくだろう。「アッ、中ブタはずしてなかった(笑)」
もしそのことに気づかずにマヨネーズをギュンギュン絞り続けていたらどうなる?
いや、マヨネーズならどうもならないけど。胆嚢の場合は痛みが出てくるのである。
これが「胆石症」だ。
ひどいときは、石による詰まりで痛みが出るだけでなく、胆嚢に炎症を起こす。
石をうまく砕くことができない場合には、胆嚢を手術でとる。
そうやって出てきた胆嚢を、病理医はみる。フクロを切り開いて中を見る。粘膜にへんな腫瘍(できもの)ができていないか? 滅多にできていないけれど、もし万が一見逃したらいやだからきちんと見る。とにかく病理医というのは、できものとかがんを見いだすことに文字通り命をかけているから、つい粘膜は細かめに見てしまう。
そして、無事、胆嚢の粘膜が、微細な顆粒模様で、ちょっと編み目のようになっていて、詳しく説明する気はまったくないけれど、何を言いたいかというと「石によってちょっと痛めつけられた粘膜だ」と思って安心するわけだ。そしたら次に、ナイフでフクロをさらにきって、割面(かつめん)を見る。
割面って断面と同じ意味なんだけどなぜかぼくらは割面という。なんでだろうな。医者は難しいことを言わないとくるってしまう病気なのかもしれない。
で、ま、割面をみたら、胆嚢の壁が厚くなっていたり、ときには壁の中にも石がはまりこんでいたりする。そういったものを逐一チェックして、胆嚢に何が起こっていたかを考える。
考えた結果が、臨床医や患者が考えているように、「胆石症」によるものとしてマッチするならよいのだ。そこにはなんの矛盾もない。
しかし……もし、胆嚢をみて考えて、「これは……何かほかに病気があるかもしれない」と思ったら、病理医はそこをとことん追究する必要があるのである。だってわざわざ入院してさ、麻酔かけて、手術でとってきた胆嚢なんだから、患者と医学のために思いっきり利用し尽くさないと、誰にとってももったいないじゃない。
その後、胆嚢の一部については顕微鏡もつかってじっくりと見る。偶然、まだ育つ前のがんを見つける確率もゼロではないのでしっかり見る。まあそれを見つけたところであまり意味はないかもしれないけれどね。でもちゃんと見る。
さぼらずに顕微鏡を見ていると、ときおり、新しい学術情報、たとえば、「胆嚢の粘膜をみるだけで、膵臓と胆管の関係が予測できるぞ」みたいなすげぇ話を耳にすることがある。
えっ、胆嚢を顕微鏡でみるだけで、胆嚢以外に何が起こっているかを見通すことができるんだって?
喜んでその目で胆嚢を見続けると、確かに、論文や教科書が言っているように、胆嚢をみるだけで胆嚢以外の情報が得られることがわかる。
なーんてことをずっとやっている。それが病理医であり、病理診断という仕事だ。
2020年3月3日火曜日
味方にリフレクをかけてサンダガを反射させるやり方かもしれない
応援して尊敬して深呼吸したらいいと思う。ぼくはそういうことをかつてつぶやいたのだけれど、あまりに、あまりにも、批判と軽蔑と怒声が多いのではないか、と思ったのだ。
そしてこれはもっぱら自戒なのである。
ぼくは10万人近くの人々をツイッターでフォローしている。これはひとつの町くらいの規模だ。テレビを見ながらタイムラインをぼうっと眺めていると(特に表示を選別しないサードクライアントがいい)、たいていのテレビ番組には誰かが反応している。人気スポーツの国際試合があれば多くの人が。マニアックなアニメを見ていても少数の人が。
だからなんとなく社会の縮図を見た気にはなっている。けれどもそれは間違いだ。
ぼくがフォローしているアカウントの大半は、「フォローされたこと」をきっかけにぼくからフォローを返している。
ということは、少なくともぼくがフォローしている人というのは、ぼくことを一瞬でもよいと思った人ばかりなのだ。
タイムラインが荒れているということは、かつてぼくの性質と近いものを感じた人が「荒れている」状態を指す。
そこが荒れているならば、ぼく自身も、いつ荒れてもおかしくない。
ぼくが「応援と尊敬と深呼吸をしたらいい」と思うとき、それは、ぼくに向かって言っている。ぼくの何かを反映した人たちにそれが必要だと思っているのだから。ぼくのことばはいつでもぼくに向けられている。
それを見て「そうだな」と思う人が、主にぼくをフォローしているはずなのだ。自戒すればおそらく人の役にも立つだろう。
そこまでである。そこまででしかない。
そしてこれはもっぱら自戒なのである。
ぼくは10万人近くの人々をツイッターでフォローしている。これはひとつの町くらいの規模だ。テレビを見ながらタイムラインをぼうっと眺めていると(特に表示を選別しないサードクライアントがいい)、たいていのテレビ番組には誰かが反応している。人気スポーツの国際試合があれば多くの人が。マニアックなアニメを見ていても少数の人が。
だからなんとなく社会の縮図を見た気にはなっている。けれどもそれは間違いだ。
ぼくがフォローしているアカウントの大半は、「フォローされたこと」をきっかけにぼくからフォローを返している。
ということは、少なくともぼくがフォローしている人というのは、ぼくことを一瞬でもよいと思った人ばかりなのだ。
タイムラインが荒れているということは、かつてぼくの性質と近いものを感じた人が「荒れている」状態を指す。
そこが荒れているならば、ぼく自身も、いつ荒れてもおかしくない。
ぼくが「応援と尊敬と深呼吸をしたらいい」と思うとき、それは、ぼくに向かって言っている。ぼくの何かを反映した人たちにそれが必要だと思っているのだから。ぼくのことばはいつでもぼくに向けられている。
それを見て「そうだな」と思う人が、主にぼくをフォローしているはずなのだ。自戒すればおそらく人の役にも立つだろう。
そこまでである。そこまででしかない。
2020年3月2日月曜日
病理の話(419) 子宮頚部を見る
子宮頚がんについては、検診がある。ある年齢の女性にとってはおなじみの検査であろう。
「細胞診(サイボウシン)」という。
特に症状がなく健康な人にも行う検査なので、あまり強烈に痛いことをしてはメリットが消えてしまう。病気で血を抜かれるのもいやなものだが、健康なのに痛い思いをするのはもっといやだろう。
だから、子宮の入り口の部分をブラシでこすって、ブラシにくっついてきた細胞をみる。これだと、人体をむしりとるのに比べればはるかにダメージが小さい。検診向きなのだ。
ある意味、ほかの臓器のがん検診ではできないやり方だ。だって、たいていの臓器は「内臓」というくらいだから内部にある。ブラシなんて届かない。ブラシでこすろうと思ったら、胃カメラとか大腸カメラとか、気管支鏡みたいに、体の奥にチューブをつっこまなければいけないし、そもそも肝臓とか膵臓みたいな「中身の詰まった臓器」の場合はそもそもブラシのつっこみようがないのである。
しかし子宮頚部は、膣に向かって「開口」しているので、体の外からちょっとがんばればアプローチできる。「人の外壁部分に最も近い臓器」のひとつと言えるだろう。
さて、ブラシにくっついてきた細胞は、本来体の中にあったときの「整然とした並び方」を失ってしまう。UFOキャッチャーでひとつだけぬいぐるみをとってきたら、もうほかのぬいぐるみとどう並んでいたかはわからないだろう?
だからサイボウ診は、病理医が顕微鏡で細胞をみる仕事の中ではかなり難しい部類に入る。
もし仮に、ブラシではなく、子宮頚部を小さなマジックハンド状のものでつまみとってくれば、もうすこし、細胞と細胞が織りなす配列みたいなものがはっきり見てとれるのだけれど。ある程度のカタマリを採取したほうが、病理医は細胞のふるまいかたを見やすい。
病理医は、この「カタマリを見る」ほうがとくいだ。「組織診(ソシキシン)」という。
ブラシで細胞を1~10個くらいずつとってくるような「サイボウ診」は、ソシキ診に比べると正直苦手に感じる病理医も多い。ぼくはサイボウ診の指導医という資格も持っているので、いちおう両方とも見るんだけど、ソシキ診に比べるとサイボウ診のほうが少しハラハラすることはある。
でも、大丈夫!
サイボウ診については、臨床検査技師が詳しい。細胞診検査士という資格が別にあって(※めっちゃくちゃにとるのが難しい)、これを取得して毎日細胞診を見ている技師さんというのは、細胞1個1個のすがたを見極めるのがとてもうまい。
だから病理医は、サイボウ診の序盤から中盤にかけての仕事はほとんど技師さんにまかせている。彼らの方が圧倒的に得意だから分業をする。そして、ここぞというときには、ソシキ診の知識を持って病理医が介入し、診断に責任を負う。
さてそのようなサイボウ診で何をみるかというと、子宮頚部の細胞の「顔付き」をみる。具体的には、細胞核の異常や、核と細胞質の割合、細胞がきちんと働こうとしているかどうか(分化の異常がないか)などをみる。核の中にはDNAが入っており、細胞が悪性化しようとする際にはほぼ間違いなく核に変化が出る。それを見極めるのだ。
子宮頚部にはそこそこの頻度でがんが出るのだが、その発生の原因としてかなり大きなウェイトを占めているのが、有名なヒトパピローマウイルス(HPV)である。
子宮は、体の外壁部分に近いだけあって、さまざまな外敵の侵入と戦う臓器だ。そんな外敵の筆頭がHPV。
HPVは、基本的には性行為によって感染するのだが、実は非常にありふれたウイルスだ。あまり知られていないかもしれないけれど、HPVは、子宮頚部に感染してもたいていはそのあと消失する。かぜといっしょだ。ウイルスというのは人体にとりついても、そのうち倒されることの方が多い。
しかし一部は「持続感染」をする。棲み着いてしまう。その棲み着いたHPVが、たまたま「性格が悪い方のHPV」だと、長い時間(10年以上)をかけて、子宮頚部にがんが発生する。「性格がさほど悪くないHPV」だとがんまでは到らないとされる。
この「長い時間をかけて」というのがミソで……。
子宮頚部に限らず、ほとんどのがんは、「細胞ががんになろうとしはじめてから」、「実際に人間の生命に関わるような振る舞いをするまで」の間がとても長い。10年、20年という単位で変化することが多いのだ。
そして、子宮頚部は、HPVが原因としてかなりキワだっているので(ここまで原因がはっきりしているがんはほとんどない)、ある種のHPVの持続感染が生じて、子宮頚部ががんに向かって進んでいく間に時間の余裕がある。
それを外からブラシでチェックする。がんに向かって進んでいく細胞を見つけたら、がんの手前で治療してしまえばいい。
こんなにうまいこと行く臓器ってぜんぜんないんだよ!
あらゆる臓器にブラシが届けばいいか? いや、HPVほどはっきりしたリスクがわかっていないと、がんになるかならないかの事前予測が難しすぎて、検査の意義が不透明になってしまう。
数あるがんの中でも、子宮頚がんは「撲滅」……とまではいかないかもしれないが「大幅にかかる人を減らす」ことが可能なのである。とりあえずHPVワクチンがもっと一般に広がればなあ……。せめて検診だけは受けて欲しいと思うけれど……元を絶てばいいのになあ……。
「細胞診(サイボウシン)」という。
特に症状がなく健康な人にも行う検査なので、あまり強烈に痛いことをしてはメリットが消えてしまう。病気で血を抜かれるのもいやなものだが、健康なのに痛い思いをするのはもっといやだろう。
だから、子宮の入り口の部分をブラシでこすって、ブラシにくっついてきた細胞をみる。これだと、人体をむしりとるのに比べればはるかにダメージが小さい。検診向きなのだ。
ある意味、ほかの臓器のがん検診ではできないやり方だ。だって、たいていの臓器は「内臓」というくらいだから内部にある。ブラシなんて届かない。ブラシでこすろうと思ったら、胃カメラとか大腸カメラとか、気管支鏡みたいに、体の奥にチューブをつっこまなければいけないし、そもそも肝臓とか膵臓みたいな「中身の詰まった臓器」の場合はそもそもブラシのつっこみようがないのである。
しかし子宮頚部は、膣に向かって「開口」しているので、体の外からちょっとがんばればアプローチできる。「人の外壁部分に最も近い臓器」のひとつと言えるだろう。
さて、ブラシにくっついてきた細胞は、本来体の中にあったときの「整然とした並び方」を失ってしまう。UFOキャッチャーでひとつだけぬいぐるみをとってきたら、もうほかのぬいぐるみとどう並んでいたかはわからないだろう?
だからサイボウ診は、病理医が顕微鏡で細胞をみる仕事の中ではかなり難しい部類に入る。
もし仮に、ブラシではなく、子宮頚部を小さなマジックハンド状のものでつまみとってくれば、もうすこし、細胞と細胞が織りなす配列みたいなものがはっきり見てとれるのだけれど。ある程度のカタマリを採取したほうが、病理医は細胞のふるまいかたを見やすい。
病理医は、この「カタマリを見る」ほうがとくいだ。「組織診(ソシキシン)」という。
ブラシで細胞を1~10個くらいずつとってくるような「サイボウ診」は、ソシキ診に比べると正直苦手に感じる病理医も多い。ぼくはサイボウ診の指導医という資格も持っているので、いちおう両方とも見るんだけど、ソシキ診に比べるとサイボウ診のほうが少しハラハラすることはある。
でも、大丈夫!
サイボウ診については、臨床検査技師が詳しい。細胞診検査士という資格が別にあって(※めっちゃくちゃにとるのが難しい)、これを取得して毎日細胞診を見ている技師さんというのは、細胞1個1個のすがたを見極めるのがとてもうまい。
だから病理医は、サイボウ診の序盤から中盤にかけての仕事はほとんど技師さんにまかせている。彼らの方が圧倒的に得意だから分業をする。そして、ここぞというときには、ソシキ診の知識を持って病理医が介入し、診断に責任を負う。
さてそのようなサイボウ診で何をみるかというと、子宮頚部の細胞の「顔付き」をみる。具体的には、細胞核の異常や、核と細胞質の割合、細胞がきちんと働こうとしているかどうか(分化の異常がないか)などをみる。核の中にはDNAが入っており、細胞が悪性化しようとする際にはほぼ間違いなく核に変化が出る。それを見極めるのだ。
子宮頚部にはそこそこの頻度でがんが出るのだが、その発生の原因としてかなり大きなウェイトを占めているのが、有名なヒトパピローマウイルス(HPV)である。
子宮は、体の外壁部分に近いだけあって、さまざまな外敵の侵入と戦う臓器だ。そんな外敵の筆頭がHPV。
HPVは、基本的には性行為によって感染するのだが、実は非常にありふれたウイルスだ。あまり知られていないかもしれないけれど、HPVは、子宮頚部に感染してもたいていはそのあと消失する。かぜといっしょだ。ウイルスというのは人体にとりついても、そのうち倒されることの方が多い。
しかし一部は「持続感染」をする。棲み着いてしまう。その棲み着いたHPVが、たまたま「性格が悪い方のHPV」だと、長い時間(10年以上)をかけて、子宮頚部にがんが発生する。「性格がさほど悪くないHPV」だとがんまでは到らないとされる。
この「長い時間をかけて」というのがミソで……。
子宮頚部に限らず、ほとんどのがんは、「細胞ががんになろうとしはじめてから」、「実際に人間の生命に関わるような振る舞いをするまで」の間がとても長い。10年、20年という単位で変化することが多いのだ。
そして、子宮頚部は、HPVが原因としてかなりキワだっているので(ここまで原因がはっきりしているがんはほとんどない)、ある種のHPVの持続感染が生じて、子宮頚部ががんに向かって進んでいく間に時間の余裕がある。
それを外からブラシでチェックする。がんに向かって進んでいく細胞を見つけたら、がんの手前で治療してしまえばいい。
こんなにうまいこと行く臓器ってぜんぜんないんだよ!
あらゆる臓器にブラシが届けばいいか? いや、HPVほどはっきりしたリスクがわかっていないと、がんになるかならないかの事前予測が難しすぎて、検査の意義が不透明になってしまう。
数あるがんの中でも、子宮頚がんは「撲滅」……とまではいかないかもしれないが「大幅にかかる人を減らす」ことが可能なのである。とりあえずHPVワクチンがもっと一般に広がればなあ……。せめて検診だけは受けて欲しいと思うけれど……元を絶てばいいのになあ……。
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