2020年1月31日金曜日

構図が一番きく

『それでも町は廻っている』というマンガには高校生たちが出てくる。彼女らが修学旅行に行く回がある。何度か読んでいるうちに、まったく不思議なことなのだけれど、ぼくは自分の修学旅行の記憶を思い出せなくなって、修学旅行といえば歩鳥たちが北海道にやってきてアイヌ民俗資料館に行ったりジンギスカンを食べたりした風景を思い出してしまうようになった。

ぼくは北海道の人間だから、そもそも高校の修学旅行先は京都だ。しかし、京都での記憶が一切ない。北海道旅行の記憶になってしまった。それは「記憶」ではないのだけれど。過去とか記憶というのは遡って定義するものなのだろう。正しい過去とか正しい記憶というのは存在しない。まるで仮説なのだ。よりそれっぽいものがある、というだけ。より妥当だろうと思うものがある、というだけ。




『H2』というマンガで国見比呂の母親だったろうか、誰かはもう忘れてしまったが、誰かが鼻歌を歌うシーンがあって、「あらこんなところに牛肉が」と書いてある。

これは知っている人ならすぐわかるだろうけれどCMのフレーズだ。たまねぎたまねぎあったわね、ハッシュドビーフ、デミグラスソースが決め手なの、と続く。

しかし問題はCMのほうではない。

たとえば静かな喫茶店や地下鉄の車内など、複数の人がいて本来ならあまり余計な話し声などは聞こえないはずの場所で、遠くから鼻歌が聞こえてくるようなことがあったとき、あとでそのシーンを思い出すと、実際に流れていた鼻歌が何であっても、その歌詞が「あらこんなところに牛肉が」に置き換わってしまうのである。曲も歌詞も違うのに。マンガで読んだ視覚的記憶が、聴覚的記憶を乗っ取ってしまうのだ。





たとえば、仕事でほかの病院や大学を訪れ、そこを辞するときに、日が暮れているとする。帰り道に、建物と建物のすきまにある狭い小道を歩くことがある。すると、見えていない月が頭上に見え、存在しないベンチがそこに見え、そこに少年が座って泣いているのが見える。ぼくは思わず数歩下がって、自動販売機のそばに体を隠す。もちろん自動販売機も存在しないのだがぼくの精神はそういうことになる。

もはや、過去の記憶ではなく、現在進行形の体験が、マンガによって書き換えられている。

元となったマンガは書かない。思い付いたとしてもリプライなど送ってこないでほしい。こういうのはナイショのままのほうがいいのだ。

2020年1月30日木曜日

病理の話(409) 読み手を想像する診断書の話

たいていの無口な病理医は黙ってやっていることなのだが、あまり知名度がない話なので書いてしまう。




プレパラートに乗った細胞を顕微鏡で拡大し、病気の正体を見極め、かつ、病気がどれくらい進行しているかを判断する。これが病理診断だ。

病理医がみた内容をレポートに書く。この紙切れを「病理診断報告書」という。

(「レポート」という言い回しは、もしかすると業界用語かもしれない。書籍・雑誌の校正で「リポート」に直されることがある。確かにテレビ中継ならリポート、リポーターという言葉を使う。けれども、病理の場合は慣習的にレポートと発音する。これはもうそういうものだとしか言えない。)

閑話休題。

病理診断報告書には、英語と日本語が入り交じっていることが多い。

日本人が診断して日本人が読むレポートなのに、なぜところどころに英語が用いられるのか? などと、ときおりイキった医学生に質問されることがある。

たとえばこのようなレポートを見てほしい。


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粘膜層、粘膜筋板、及び粘膜下層の一部が採取された検体です。採取範囲で粘膜下層に達するtub1相当の腺癌を認めます。Desmoplastic reaction (+).

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「tub1」というのは病気の分類の一種で、記号みたいなものなので、あまり気にしなくてよいとして、最後にいきなりdesmoplastic reactionという言葉が出てくるので驚く人がいる。何、突然英語でかっこつけてんだよ、的な。

驚かれるのもごもっともだ。しかし、ここで英語を使うか、日本語で揃えるかについては、実際の所、相当考えられている。




Desmoplastic reactionという言葉は、日本語だと「線維性間質形成」とか、「浸潤部の線維性間質形成」と呼ぶ。

なら日本語で書けばいいじゃん、と思われるだろうか?

でもここは英語がいいとぼくは思うのだ。

なぜかというと、このdesmoplastic reactionという言葉を、教科書や論文で調べようと思ったら、英語で探した方が精度の高い情報に届きやすいからである。

つまり業界内で英語で使われている頻度が高い言葉は、無理に日本語に直さずに英語にする。

そのあたりの判断を、病理医は、受け手である臨床医たちの顔を思い浮かべながら、勘と信念の交差する部分でやっている。





レポートに書いてある言葉はすべて、受け取った医療者たちが「検索する」「調べる」ものだと考えて用意する。

「病理医がこう書いてあることに何か意味があるのだろうか?」

「病理医がたまに書いてくるこの単語が出てくる患者だけを揃えて比べたら何か意味が見いだせるだろうか?」

レポートは読み捨てて終わりではないのだ。そこから何かを得ようとする人のために、何かを得られるように書くべきものだ。

知恵の宝庫である。もっと言えば、誰かの知恵が広がるための「とっかかり」になるように、狙って作成する。計算して単語を選ぶ。

すると自然と、「医療者がその後よりどころにしやすいような単語を選んで書く」ことになる。





Desmoplastic reactionの部分を単に「DR」と略して書いてしまうと、レポートを受け取った人が検索しようと思ってもうまく探せない。あるいは探すのに時間がかかる。

「浸潤部の線維性間質形成」と日本語で書くと、一見わかりやすくなるようだが、実は文献検索がしづらい。このことは実際に検索をしてみてはじめてわかる。

「リンパ球浸潤癌 (gastric) carcinoma with lymphoid stroma」のように、日本語と英語を併記するときもある。このときは瞬間的にこう考えている。

(もしこれを受け取った医者が学会報告するとしたら、英語と日本語両方使っていろいろ書くことになるだろうから、両方書いておこう……)




……仕事に慣れてくるとだんだんこのへんが雑になってくるので、定期的に、自分の書いたレポートを読み直して、独りよがりな文章になっていないことを確認していかないといけないのだけれど……。

2020年1月29日水曜日

まだ生きていたかもしれない人

ちきしょう気に入ってはいてたボトムスが毛玉だらけじゃねぇか!

これも! これもだ!

……ネットに入れて洗濯するのを忘れたからか!

うう! 気に入ってたのに!




といいながら毛玉まみれのやつをはいて出勤している。どうせ誰も見てない。かまわない。おっさんのズボンなんて誰も見てないのだ。これは本当だ。たとえばお尻の部分にクマのアップリケをして1日過ごしてみたらいい。誰もつっこんでこないから。





と、まあ、この、「誰もつっこんでこない、すなわち、誰も見てない」というのは論理としてはおかしいのである。「みんな見てるけど、哀れすぎてつっこめない」可能性を考えていないからだ。「みんな見てるけど、会話したくないからつっこまない」も考えておかないといけない。

可能性可能性。

可能性のことをちゃんと考えよう。





こないだ読んでいた本に、偶然性とは「起こらなくてもよかったことが起こっていること」であり、可能性とは「まだ起こっていないけど起こるかもしれないこと」だとあった。

偶然性とは、「無であってもよかったのに有」であること。

可能性とは、「有になるかもしれない無」。

有と無に片足ずつ突っ込んでいる状態を、違う角度からみると、偶然とか可能性の話ができるんだ。なるほどな。




その本はとってもわかりづらい本だったのだ。なぜかというと、著者が、校正をかけるまえに亡くなってしまったからだ。『出会いのあわい』という。同じようなモチーフが何度も出てくるし、元が学術論文なのでしちめんどくさくて読んでいると眠くなってくる。

でもおもしろかった。偶然の話はおもしろい。それが可能性の話と表裏の関係にあると知ってぼくは少しだけ興奮してしまったのだった。

2020年1月28日火曜日

病理の話(408) 詩のような絵画のようなクラシック音楽のような報告書

「表皮の外向性肥厚により形成された隆起性病変です。」

病理診断報告書の一部である。

実は、この一行で、いろいろと伝わる!

なんのこっちゃい、と思われるだろう。




今のは、皮膚の、脂漏性角化症(しろうせいかくかしょう)というできものを顕微鏡で見て、その結果を書いたものの一部分だ。

知識がないとまるで意味をなさないだろう。暗号みたいだ。

しかし、皮膚科医や、病理医にとっては、それなりに多くの情報が含まれている文章である。




隆起性病変というのは、盛り上がっているということ。

病変が盛り上がるためにはいくつかのパターンがある。

皮膚の表面(表皮)に、盛り上がりの原因がある場合。

皮膚の表面よりちょっと潜った部分(真皮)に、盛り上がりの原因がある場合。

皮膚の表面からだいぶ潜った部分(皮下)に、盛り上がりの原因がある場合。

原因のある場所が違えば、想定する病気が変わってくる。

そこで、ぼくは、まず最初に「表皮の肥厚による」と書いた。




この時点で、皮膚科医の頭の中にある「鑑別診断(診断の候補のことだ)」のうち、真皮や皮下から盛り上がった病気がズバズバ二重線で消される。




皮膚科医はこの病変をとってくる際に、表面をよく観察して、

「おそらく表皮に原因があるだろうな」

というところまでは読み切っている。だからこそ、ぼくも、病理報告書の中に、

「正解!」

というニュアンスのことばをきちんと書く。




この、「臨床医の予想」をある程度思い浮かべて、「それ合ってるよ」と肩を叩くようなやりとりを続けていくと、臨床医と病理医の関係は少しずつよくなっていく。

「あの病理医は、おれたちが知りたい部分をちゃんと書いてくれるなあ」

という評価が重なっていく。

逆に、説明文を一切書かずに、ただ顕微鏡を見て

「説明はなし、診断名は脂漏性角化症、以上」

とやってしまうと、「その程度の病理医」「その程度の病理診断」と思われてしまい、なんだか距離が遠くなっていく。





なので書く。忙しい臨床医が知りたい部分をなるべく外さず、簡潔に。

するとその報告書は「素人では意味がわからないもの」になる。

背景に知識が必要なのだ。

詩を読むのといっしょだ。ピカソの絵を見るのとも似ている。クラシック音楽を楽しむのとも近いだろう。





ときに、「おかあさんといっしょ」並みにわかりやすい報告書を書いてみようかなという気持ちになることもある。でもね、それ、臨床医が望んでいるかっていうと、そんなことはないんだよね。だってお互い、大人で、プロだから。

2020年1月27日月曜日

告知後だと思う

遠巻きにして眺めていた風景にぐっと近接するとあわててしまう。そういうことはある。

「ぱらのま」を読んでいたら「富士山は裾野が広い。そりゃサファリパークとか作りたくなる。」という表現があってなるほどなと思った。遠くから見ていると気づかなかった性質に、近づくことで気づいた一例であるが、結局、あまりに存在が大きいと、近づいても裾野の妙くらいしかしゃべることがなくなる。

でかすぎるものは遠くから眺めていたほうがいいのだ。それは俯瞰とかドローンとかそういう表現で表すべきものではなくて、なんというか、可視領域の広さをはみ出てしまうでしょう、という話だ。

ということでこのたび幡野さんと会って話すことになったのだが彼についてはあまりしゃべることができないと思う。でもそれでいいのだ。お題は「好きなものについて語れ」ということらしい。だからぼくが日頃からスキだなと思って遠巻きに眺めているものについて語ればいいのだと思う。あとはとにかく聞こう。好きな人の話を。

2020年1月24日金曜日

病理の話(407) エキスパートの意見

その道の大家みたいな人がどの世界にもいる。

病理の世界にもいる。

病理診断の対象となる臓器は全身だ。目の病理診断というのもある。皮膚も。胃腸も。肝臓も。精巣も。子宮も。膀胱も。脳や脊髄、神経もだ。あらゆる臓器に発生する病気に対して、病理診断が存在する。

そしてそれぞれの臓器ごとに、「異常に詳しい人」というのが必ずいる。日本全国に2300人くらいしか病理専門医はいないわけだが、これらのさらにごく一部が専門となる臓器をわけあいながら、エキスパートとして君臨している。

たとえば軟部腫瘍であるとか血液腫瘍の病理診断の専門家となると、日本には多くても20人くらいずつしかいない。

そしてその20人、特に経験豊富な上位の10人というのは、まあこれがとんでもない人間ばかりだ。

イメージでいうと、テレビのクイズ番組に「東大王」というのがあるだろう、なぜそのスピードで雑学をすかさず正確に答えられるの……? と見ていてこっちが不安になるアレ。あの「東大王」の病理診断バージョンみたいなのが、各臓器ごとに10名くらいいる、と考えればいい。




で、そういうエキスパートたちに診断の極意みたいなのを尋ねると、これがまたおもしろいくらいにみんな「日本語が達者」なのである。そこに見えている風景をすばやく説明する能力に長けている。まれに脳が完全にブラックボックスで途中何言ってるかぜんぜんわからないけれど診断だけは正確、みたいな人もいなくはないのだが、ほとんどのエキスパートは、目でみたものに対して説得力のある実況をする能力が高い。だからそばで話を聞いているとおもしろい。



「まずこうやってぼうっと拡大を上げずに全体をみるでしょう、するとやっぱり見たかんじが”青い”よね、そしてムラがあまりなくて……」

これは別に絵画の説明をしているのではなくてプレパラートの見た目を説明しているのだが、こういう口調をしばらく耳にしていると、それまで全くわからないで見ていたプレパラートに隠されている「生命の法則」みたいなものが整列して整理券をもってこちらに押し寄せてくるのだ。

そのストーリーみたいなものにあらがうことはまずできない。




エビデンス・ベースト・メディスン(EBM)などというと、個人の意見よりも統計学的な処理の結果を重要視するような風潮のことだろう、と思われがちだが、EBMの定義はそういうことではない。

「統計学的に得られた知識を、実践的な知恵として、ひとりひとりの患者に応じて適用すること」

がEBMなのだ。つまり最後は患者ごとにアレンジして、オーダーメードの診療まで結びつけることが求められる。この、「患者ごとのアレンジ」や、「症例ごとの細かい読み解き」が、エキスパートとされる病理医たちは格段にうまい。

だから彼らのいわゆる「プライベート・コメント」はときに医学の真髄みたいな色を帯びる。見ていると敬虔な気持ちになる。人間ひとりがここまで極められるものなんだなあ、と。ただ彼らはきっと早押しクイズは苦手だろう。これが正解だろうと読み切ったあとにさらにそこをウラから補強するところまで考えたくなるのが病理医というものだ。踊るように早押しをすることに価値を見いだすエキスパートというのは寡聞にして知らない。

2020年1月23日木曜日

郷愁

出張先の倶知安で、いくつか写真を撮ってインスタグラムに載せた。最近あんまり更新してなかった。東京や大阪など生き慣れた場所では、風景がへこんで見えてしまう。どれだけ珍しいものが目に映っても、それはまあ東京だからそういうのもあるだろう、と、脳からトップダウンした情報によって末端の感動が否定されてしまう。逆に、倶知安でみかけた風景は、それが轍であっても雲であっても新鮮であった。新鮮という字は新しくて鮮やかと書くが、特段目新しかったわけではないのだけれどどこかみずみずしく見えたのだと思う。田舎に対する同情みたいなものが自分の中にあることを否定しない。理由がなければ訪れない場所、というよくわからない上から目線がぼくの中に汚く陣地を貼っている。インスタグラムのフィルターがひどく陳腐に思えた。

早朝の電車に乗るために駅前の道を歩いていた。まだ朝日の気配すら感じられないのだが歩道はすでに個人サイズの除雪機によると思われる角張った排雪がなされていて、割面がつるつるてらてらと光っていて冬靴の先に緊張が走った。10メートルほど前を学生らしき女が早足で歩いていた。ぼくより10数秒早く駅舎に消えてゆき、あっという間に定期か何かを駅員にかざしてホームの向こうに消えた。ぼくは切符を買った。倶知安駅にはIC改札がないのだ。2100円で札幌までの切符。改札は手動で、駅員が丁寧に切符を手に取りスタンプで挟んでくれた。出口となる札幌駅は自動改札だから、ハサミを入れないのだ。

ホームに出ると目の前は空虚だった。電車がいなかった。いったん陸橋をわたって隣のホームに行かなければいけない。陸橋の先に、順逆それぞれの方を向いている電車が留まっていて、どちらがどちらを前方にしているのかすぐにはわからなかった。1両しかないほうの電車には、ニセコでスキーをしたのだろう、やや疲れた大柄の外国人が2名ほど座っているのが外から見えた。周りが暗いから灯りで照らされた車内がいつもよりよく見えた。車両の側面には長万部行きと書いてあった。ここから内陸を南下して噴火湾に出て行くルート。函館本線の函館方面というやつだ。オーストラリア人だろうか、あるいはヨーロッパから来たのであろうか、彼らはここからどこに向かうのか、興味はさほどないけれど少ない情報から推理してみてもいいなと少しだけ思った。

もう一方のホームに留まっている電車は3両編成で、まあおそらくこっちが札幌行きなのだろうと思った。車両の横には苫小牧行きと書いてある。札幌の先に苫小牧があるわけだが、倶知安からだと大きく時計回りのルートで、小樽方向にいったん北上してからぐるっと札幌方向に降りていくんだよな、と、あえてめんどうくさい方向確認をした。時計の9時(倶知安)から12時(小樽)を経由し、2時(札幌)までたどり着けばぼくはゴールである。その後6時くらいまでずっと乗っていると苫小牧に着くのだ。そのルートを完走するときっと少し楽しいだろうなと思ったけれど、ここまで、1両の電車が留まるホームにも、木造の陸橋をもつ古い駅にもあまり郷愁を誘われずにいたせいか、正直、函館本線だろうが冬の倶知安だろうがどうでもよかった。早く札幌に帰って今日の仕事をしないとなという気持ちが妙に強く押し寄せてきた。

ここはおそらくぼくの祖先が幾度となく通った路線だ。札幌からここ倶知安を通過し、長万部を経由してはるか八雲まで。そこで気動車を降りてから雲石峠の八熊線をバスで通過した先にある母親の実家に、ぼくは思いを馳せていた。あそこにはもう誰も住んでいない。祖父母が住んでいた家は祖父母の死後人手に渡り、おそらくもう処分されている。あの坂を下りたところのガードレール沿いで、ぼくは弟とふたりで生涯に3度ほど同じ構図の写真を撮っている。「函館本線」のひと言から奔流のように蘇ってくる記憶、あるいは混線した母親の記憶なのかもしれないが、見た記憶のない風景にぼくは脳を押し流されていて、もはや倶知安には何の興味もわかなかった。だからこそ、ぼくの前に座って既に眠り始めている先ほどの学生を見て、君の実家をくさしているわけではないんですよと少しばつの悪い思いをしたし、もういいだろう、と誰に言うでもなくつぶやいてあとは小説の世界に入り込んだ。2時間で札幌についた。